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角運動量とスピン:交換関係から固有値・パウリ行列・合成則を導く

前提:水素原子:中心力場のシュレーディンガー方程式から n, l, m が現れるまで

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  • 角運動量演算子の本質は [Ji,Jj]=iεijkJk[J_i, J_j] = i\hbar\,\varepsilon_{ijk}J_k という交換関係にあります。L=r×p\boldsymbol{L} = \boldsymbol{r}\times\boldsymbol{p} という具体形は、この関係を満たす一例にすぎません。
  • 交換関係とエルミート性だけから、J2\boldsymbol{J}^2 の固有値が 2j(j+1)\hbar^2 j(j+1)JzJ_z の固有値が m\hbar mm=j,j+1,,jm = -j, -j+1, \ldots, j)に限られ、さらに jj0,12,1,32,0, \tfrac12, 1, \tfrac32, \ldots に限られることが従います。微分方程式は一切使いません。
  • 半整数の jj が軌道角運動量に現れないのは、代数の都合ではなく「状態が R3\mathbb{R}^3 上の 1 価関数である」という要請のためです。この要請を外すと半整数が使えるようになります。
  • 電子は空間座標に依らない内部自由度としてスピン s=1/2s = 1/2 を持ちます。これはシュテルン=ゲルラッハ実験・アルカリ金属の二重線・異常ゼーマン効果が要求した実験事実で、パウリ行列 σi\sigma_i で表されます。
  • 二つの角運動量を合成すると j=j1j2,j1j2+1,,j1+j2j = |j_1 - j_2|, |j_1-j_2|+1, \ldots, j_1+j_2 が各 1 回ずつ現れます。LS=(J2L2S2)/2\boldsymbol{L}\cdot\boldsymbol{S} = (\boldsymbol{J}^2 - \boldsymbol{L}^2 - \boldsymbol{S}^2)/2 が結合基底で対角になることが、微細構造の計算の出発点です。

1. 動機:角運動量はどこから来るか

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古典力学では、中心力のもとで運動する質点の角運動量 L=r×p\boldsymbol{L} = \boldsymbol{r}\times\boldsymbol{p} が保存します。惑星の軌道が 1 つの平面に収まるのも、面積速度が一定(ケプラーの第 2 法則(定理 3.3)[惑星の運動と中心力])なのも、この保存則の帰結でした(惑星の運動と中心力)。そして保存する理由は、ポテンシャルが回転で不変であることにあります(対称性と保存則(ネーターの定理)全角運動量の保存(例 4.4)[対称性と保存則])。角運動量は、はじめから「回転対称性に付随する量」なのです。

量子力学ではこれが演算子になります。水素原子では、シュレーディンガー方程式を球座標で変数分離し、角度部分の固有値問題を解いて球面調和関数 Ylm(θ,φ)Y_{lm}(\theta,\varphi) を得ました。そこでは L2\boldsymbol{L}^2 の固有値が 2l(l+1)\hbar^2 l(l+1)LzL_z の固有値が m\hbar mm=l,,lm = -l, \ldots, l という結果が出ました(角度部分の固有値の量子化(定理 3.4)[水素原子])が、l(l+1)l(l+1) という一見奇妙な形も、mm の動く範囲も、ルジャンドルの微分方程式を解いた副産物のように見えたはずです。

ところが、これらは微分方程式とはまったく無関係に決まります。必要なのは交換関係 [Lx,Ly]=iLz[L_x, L_y] = i\hbar L_z とエルミート性だけです。この事実が重要なのは、逆にこの交換関係さえ満たせば何でも「角運動量」として扱えるからです。そして自然界には、r×p\boldsymbol{r}\times\boldsymbol{p} とは書けない角運動量が実在します。

歴史的にそれを突きつけたのが 1922 年のシュテルン=ゲルラッハの実験です。銀原子のビームを不均一磁場に通すと、ビームは連続的に広がるのではなく、ちょうど 2 本に分裂しました。当時はこれをボーア=ゾンマーフェルト理論の「空間量子化」の証拠と読みましたが、この読みは二重に不自然でした。第一に、l=1l = 1 なら m=1,0,1m = -1, 0, 1 の 3 本になるはずで、m=0m = 0 を捨てる理由がありません。第二に、銀原子の基底状態は最外殻が 5s5s 電子 1 個で l=0l = 0、つまり軌道角運動量はそもそもゼロです。分裂数 2 は 2j+1=22j+1 = 2、すなわち j=1/2j = 1/2 を意味しますが、これは半整数であり、L=r×p\boldsymbol{L} = \boldsymbol{r}\times\boldsymbol{p} からは決して出てきません。

同じ頃、アルカリ金属のスペクトル線が近接した 2 本組(ナトリウムの D 線など)になること、磁場中でスペクトル線が古典論の予想と合わない分裂を示すこと(異常ゼーマン効果)も未解決でした。1925 年、ウーレンベックとハウトスミットは、電子が大きさ /2\hbar/2 の「固有の」角運動量を持つと仮定すればこれらが一挙に説明できることを示します。これがスピンです。1927 年にパウリが 2 成分波動関数による定式化を与え、1928 年のディラック方程式では、スピン 1/21/2 が相対論的な要請から自動的に現れました(量子力学の誕生)。

この章では、次の順序で話を進めます。まず交換関係だけから固有値をすべて決定し、次に「なぜ軌道角運動量では整数しか現れないのか」を明らかにし、その隙間にスピンを置きます。最後に、複数の角運動量を合成する規則を導きます。

flowchart TD
A["回転の非可換性"] --> B["交換関係<br/>J_i J_j − J_j J_i = iħ ε_ijk J_k"]
B --> C["昇降演算子 J± と<br/>ノルムの非負性"]
C --> D["固有値が決まる<br/>J² → ħ² j(j+1), J_z → ħm<br/>j = 0, 1/2, 1, 3/2, …"]
D --> E["軌道角運動量 L<br/>状態は R³ 上の 1 価関数<br/>→ l は整数のみ"]
D --> F["スピン S<br/>内部自由度(実験事実)<br/>→ s = 1/2 が実在"]
E --> G["合成 J = L + S<br/>クレブシュ・ゴルダン分解"]
F --> G
この章の論理の流れ。交換関係が中心にあり、整数・半整数の分岐は「状態空間が何か」で決まる

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