0. この記事の要点
Section titled “0. この記事の要点”- 正整数 の根基 は、 を割り切る相異なる素数の積です。 の「素因数の集合」だけを残し、指数の情報をすべて捨てた量だと思ってください。
- ABC 予想は、 と を満たす正整数の三つ組について、 が を超えることは( を固定するごとに)有限回しか起こらない、と主張します。指数を にすると偽になり、 の余裕がどうしても必要です。
- この主張は「足し算の結果が、高い冪をたくさん含む(=根基が極端に小さい)ことは稀である」という形で、加法と乗法の噛み合わなさを定量化しています。
- ABC 予想を仮定すると、十分大きい に対するフェルマーの最終定理、フェルマー・カタラン方程式の解の有限性、Hall 予想の弱形、Szpiro 予想などが短い計算で従います。数論の多くの問題が 1 本の不等式に還元されるのです。
- 多項式に対する類似(Mason–Stothers の定理)は なしの形で成立し、初等的に証明できます。整数版が難しいのは、整数には微分に相当する操作が無いからだと理解されています。
- 望月新一による証明の主張(宇宙際 Teichmüller 理論)は 2021 年に学術誌に掲載されましたが、証明の要となる部分に専門家からの反論があり、本記事の執筆時点で数学界の合意には至っていません。
1. 動機:足し算は掛け算の構造を壊す
Section titled “1. 動機:足し算は掛け算の構造を壊す”1.1. 素因数分解と加法の断絶
Section titled “1.1. 素因数分解と加法の断絶”整数論の出発点は素因数分解の一意性(算術の基本定理(定理 4.2)[素数の魅力と素数定理])です。これは掛け算についての定理であって、足し算については何も言いません。実際、 と の素因数分解を完全に知っていても、 の素因数分解については、ほとんど何も分かりません。
たとえば と は、 と という小さな素数の高い冪です。ところが和は
となり、突然 という新しい素数が現れます。逆にこの例は「小さな素数の冪を足したら、また小さな素数の冪(しかも平方数 )になった」珍しい例でもあります。
この「珍しさ」を測れないでしょうか。素朴な直観はこうです。 と がともに高い冪を含む数だとすると、 もまた高い冪を含む、ということは滅多に起こらないはずだ。なぜなら、和を取る操作は素因数分解の構造を完全に破壊するので、和がふたたび「構造のある数」になるのは偶然に頼るしかないからです。ABC 予想は、この直観を根基というたった一つの量で定量化したものです。
歴史的には、ABC 予想は 1985 年に J. Oesterlé と D. Masser によって定式化されました。Oesterlé は楕円曲線の判別式と導手を比較する Szpiro 予想を研究する中でこの形の不等式に到達し、Masser はそれを を含む一般の形に整えました。背景には、次に述べる多項式の世界での定理があります。
1.2. 多項式の世界からの示唆
Section titled “1.2. 多項式の世界からの示唆”多項式 に対して「 で、 が高い重複度の根ばかり持つ」ことがどれくらい起こるかは、1981 年の W. W. Stothers と 1984 年の R. C. Mason によって完全に解決されていました。結論だけ先に言うと、 が互いに素で全部は定数でなければ
が成り立ちます。ここで は の相異なる根の個数です(定理 5.1 で証明します)。「相異なる根の個数」は、多項式における根基の次数にほかなりません。つまり多項式の世界では、 の余裕すら要らない鋭い不等式が、しかも初等的な計算で証明できるのです。
数体と関数体(多項式の世界)は多くの現象を共有します。ABC 予想は、この多項式版の定理を整数に翻訳したらどうなるか、という問いから生まれました。翻訳の辞書は
です。この辞書で上の不等式を書き直すと 、すなわち になります。命題 3.5 で見るように、この形は整数では偽です。しかし「ほんの少し」だけ緩めれば正しいだろう、というのが ABC 予想です。
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