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シュレーディンガーの猫:重ね合わせはどこで終わるのか

前提:ラプラスの悪魔と決定論:未来はすでに決まっているのか

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  • シュレーディンガーの猫は、量子力学の不思議さを宣伝するための話ではありません。提案者本人が「この理論をそのまま信じると、こんな馬鹿げたことになりますよ」と皮肉るために 1935 年に作った反例です。
  • 量子力学の「重ね合わせ」は、生と死が半分ずつ混ざっている状態でも、どちらかなのに私たちが知らないだけの状態でもありません。この 3 つは実験で区別できます。区別の方法を、偏光板と簡単なベクトル計算で最後まで見せます。
  • 猫のパラドックスの本体は、「ミクロでは重ね合わせが許され、マクロでは許されないなら、その境目はどこにあるのか」という問いです。これを観測問題と呼びます。
  • コペンハーゲン解釈は「観測した瞬間に状態が 1 つに収縮する」と考え、多世界解釈は「収縮は起きず、観測者ごと枝分かれする」と考えます。どちらも同じ予言をするので、実験で決着はついていません。
  • デコヒーレンスは「なぜマクロな物体では重ね合わせの証拠が消えるのか」を計算で説明します。ただし「なぜ結果が 1 つに見えるのか」までは説明しません。この差が現在も議論の的です。

1. 動機:猫は最初から「反対意見」として登場した

Section titled “1. 動機:猫は最初から「反対意見」として登場した”

1935 年は、量子力学にとって騒がしい年でした。5 月にアインシュタイン、ポドルスキー、ローゼンの 3 人が「量子力学による物理的実在の記述は完全と言えるか」という論文を発表します。彼らの答えは「言えない」でした。その論文に刺激されて、同じ年の 11 月にエルヴィン・シュレーディンガーが「量子力学の現状」という長い論説をドイツの雑誌『自然科学』に発表します。猫はその第 5 節に、ほんの十数行だけ登場します。

ここで押さえておきたいのは、シュレーディンガーが量子力学の外野ではなかったことです。彼は波動方程式を作った当人であり、量子力学の共同創始者の一人です。その本人が、自分の理論の当時の標準的な解釈に対して「そのまま素直に信じると、こうなりますが本当にいいんですか」と突きつけたのが猫でした。つまり猫は、量子力学の華やかな宣伝文句ではなく、苦情として生まれたのです。

前章のラプラスの悪魔と決定論では、初期条件をすべて知っていれば未来は一意に決まる(初期値問題の解の一意性(定理 3.2)[ラプラスの悪魔と決定論])という古典力学の世界観を見ました。量子力学はこの世界観に 2 つの傷をつけます。1 つは、測定結果が確率でしか予言できないこと。もう 1 つが、この記事の主題である「測定する前の状態は、そもそもどちらとも決まっていない」ということです。前者だけならサイコロと同じで、まだ我慢できます。厄介なのは後者です。

2. 準備:重ね合わせは「どっちつかず」ではない

Section titled “2. 準備:重ね合わせは「どっちつかず」ではない”

猫の話に入る前に、量子力学が「状態」をどう書くかを決めておきます(古典力学での状態の書き方は 状態と位相空間(定義 2.1)[ラプラスの悪魔と決定論] にあります)。高校数学の範囲で十分です。

定義 2.1状態の重ね合わせ

ある系に、互いに排他的で、測定すればどちらかが必ず区別できるような 2 つの状態 0\lvert 0 \rangle1\lvert 1 \rangle があるとします。このとき、2 つの数 α,β\alpha, \beta(一般には複素数ですが、この記事では実数だけを使います)を係数とする

ψ=α0+β1,α2+β2=1\lvert \psi \rangle = \alpha \lvert 0 \rangle + \beta \lvert 1 \rangle, \qquad \alpha^2 + \beta^2 = 1

もまた、この系が取りうる 1 つの状態です。これを 0\lvert 0 \rangle1\lvert 1 \rangle重ね合わせと呼び、係数 α,β\alpha, \beta確率振幅と呼びます。条件 α2+β2=1\alpha^2 + \beta^2 = 1規格化条件といいます。

記号 \lvert \cdot \rangle は「これは状態を表すベクトルです」という目印にすぎません。0\lvert 0 \rangle1\lvert 1 \rangle を平面上の直交する 2 本の矢印だと思えば、ψ\lvert \psi \rangle は長さ 1 の矢印です。規格化条件は「矢印の長さが 1」という三平方の定理そのものです。

では、この係数は何を意味するのでしょうか。答えを与えるのがボルン則です。

定義 2.2ボルン則

状態 ψ=α0+β1\lvert \psi \rangle = \alpha \lvert 0 \rangle + \beta \lvert 1 \rangle にある系について「0011 か」を測定すると、結果は確率 α2\alpha^200、確率 β2\beta^211 になります。そして測定の直後、系の状態は測定結果に対応する 0\lvert 0 \rangle または 1\lvert 1 \rangle そのものに変わります。

規格化条件 α2+β2=1\alpha^2 + \beta^2 = 1 は、「確率の合計が 1」を保証するためにあります。

ここで注意してください。α2\alpha^2 は確率ですが、α\alpha そのものは確率ではありません。足し算をするのは α\alpha の方で、2 乗するのはその後です。この順序が、量子力学と普通の確率論を分ける決定的な点です(振幅を足してから 2 乗するという規則を経路の和にまで押し進めたのがファインマンの定式化です。確率振幅と経路の和(定義 6.1)[アインシュタインとファインマン] を参照)。順序を入れ替えると何が変わるかを、実際に手を動かして確かめましょう。

例 2.3偏光板 3 枚:何もないところに光を通す

偏光板を 2 枚、透過軸を直交させて(00^\circ9090^\circ)重ねると、光はまったく通りません。これは誰でも実験できます。ここで、その 2 枚のあいだに 4545^\circ の偏光板をもう 1 枚差し込みます。素朴に考えれば、邪魔が増えたのだから通る光はゼロのままか、さらに減るはずです。実際には光が通ります。

計算します。強度 I0I_0 の自然光(偏光していない光)が 00^\circ の板を通ると、強度は半分の I0/2I_0/2 になり、00^\circ に偏光した光になります。この状態を 0\lvert 0^\circ \rangle と書きます。次に 4545^\circ の板を通すとき、4545^\circ135135^\circ を新しい基準に選ぶと

0=1245+12135\lvert 0^\circ \rangle = \frac{1}{\sqrt{2}} \lvert 45^\circ \rangle + \frac{1}{\sqrt{2}} \lvert 135^\circ \rangle

と書けます(00^\circ の矢印を 4545^\circ 傾いた座標軸に分解しただけです)。定義 2.2 より、4545^\circ の板を通り抜ける確率は (1/2)2=1/2(1/\sqrt{2})^2 = 1/2 です。強度は I0/4I_0/4 になり、光は 45\lvert 45^\circ \rangle作り変えられます。同じことをもう一度繰り返すと

45=1290+120\lvert 45^\circ \rangle = \frac{1}{\sqrt{2}} \lvert 90^\circ \rangle + \frac{1}{\sqrt{2}} \lvert 0^\circ \rangle

なので、9090^\circ の板を通る確率もまた 1/21/2。最終的な強度は

I0×12×12×12=I08I_0 \times \frac{1}{2} \times \frac{1}{2} \times \frac{1}{2} = \frac{I_0}{8}

です。板を 1 枚増やしたのに、00 だった透過光が I0/8I_0/8 に増えました。フィルタを足すと通る量が増える、というのは古典的な「ふるい」の描像では説明できません。4545^\circ の板が光を減らしただけでなく、状態を作り直したからこうなるのです。

注意 2.4

例 2.30\lvert 0^\circ \rangle は、「4545^\circ の光と 135135^\circ の光が半分ずつ混ざったもの」ではありません。もしそうなら、4545^\circ の板を通した後も 00^\circ の板を再び通せば半分が生き残るはずですが、実際は 45\lvert 45^\circ \rangle から 0\lvert 0^\circ \rangle を通す確率がまた 1/21/2 になるだけで、元の 00^\circ 成分が「残っていた」わけではありません。重ね合わせは混合物ではない。この区別を第 4 節で厳密にします。

3. 装置:ミクロの曖昧さをマクロに翻訳する仕掛け

Section titled “3. 装置:ミクロの曖昧さをマクロに翻訳する仕掛け”

シュレーディンガーの原文の装置は、次のようなものです。

flowchart TD
A["放射性原子 1 個<br/>1 時間で 50% の確率で崩壊"] --> B["ガイガー計数管<br/>崩壊を検出して電流を流す"]
B --> C["リレーがハンマーを落とす"]
C --> D["青酸の入った瓶が割れる"]
D --> E["猫が死ぬ"]
A -. "崩壊しなければ何も起きない" .-> F["猫は生きている"]
ミクロな重ね合わせをマクロな生死に翻訳する連鎖

この装置の巧妙な点は、増幅器になっていることです。原子 1 個という、量子力学が確実に支配するミクロな系の曖昧さを、猫という誰の目にも見えるマクロな違いに翻訳します。しかも翻訳は完全で、原子が崩壊したかどうかと猫が死んだかどうかは 1 対 1 に対応します。

まず、原子の側の状態を書き下します。

例 3.11 時間後の原子の状態と、2 時間後の猫

半減期 TT の放射性原子 1 個を考えます。時刻 tt で「まだ崩壊していない」確率は 2t/T2^{-t/T} です。定義 2.2 によれば確率は振幅の 2 乗なので、未崩壊の振幅は 2t/T=2t/(2T)\sqrt{2^{-t/T}} = 2^{-t/(2T)} となり、時刻 tt の原子の状態は

原子(t)=2t/(2T)+12t/T\lvert \text{原子}(t) \rangle = 2^{-t/(2T)} \lvert 未 \rangle + \sqrt{1 - 2^{-t/T}}\, \lvert 崩 \rangle

と書けます。T=1T = 1 時間として t=1t = 1 時間を代入すると 21/2=1/22^{-1/2} = 1/\sqrt{2}11/2=1/2\sqrt{1 - 1/2} = 1/\sqrt{2} なので

原子(1h)=12+12\lvert \text{原子}(1\text{h}) \rangle = \frac{1}{\sqrt{2}} \lvert 未 \rangle + \frac{1}{\sqrt{2}} \lvert 崩 \rangle

です。これがシュレーディンガーが「1 時間のうちに、おそらく 1 個の原子が崩壊するが、同じ確からしさで崩壊しないかもしれない」と書いた状況です。

ついでに t=2t = 2 時間も計算しておきます。22/(21)=21=1/22^{-2/(2\cdot 1)} = 2^{-1} = 1/2 なので、未崩壊の振幅は 1/21/2、確率は 1/41/4。猫が生きている確率は 25%25\% まで落ちます。

装置がつながっているので、原子の状態は猫の状態に転写されます。この「転写された合成状態」に名前を付けます。

定義 3.2エンタングルメント(量子もつれ)

2 つの系 A, B からなる合成系の状態が、A の状態と B の状態の積 ab\lvert a \rangle \lvert b \rangle の形に書けないとき、A と B はエンタングルしているといいます。たとえば

Ψ=12+12\lvert \Psi \rangle = \frac{1}{\sqrt{2}} \lvert 未 \rangle \lvert 生 \rangle + \frac{1}{\sqrt{2}} \lvert 崩 \rangle \lvert 死 \rangle

はエンタングル状態です。ここで \lvert 未 \rangle \lvert 生 \rangle は「原子は未崩壊で、かつ猫は生きている」という 1 つの状態を表します。

シュレーディンガー方程式に従って装置を時間発展させると、1 時間後の全体の状態はまさにこの Ψ\lvert \Psi \rangle になります。原子が重ね合わせにあり、装置が原子を忠実に読み取るなら、猫も重ね合わせに引きずり込まれる。ここに例外を作る仕組みは、方程式のどこにも書かれていません。

シュレーディンガーはこれを「生きた猫と死んだ猫が、等しい割合で塗り広げられた(verschmiert)状態」と表現し、そんなものを実在の記述として受け入れることはできないと続けました。彼にとってこれは理論の帰結ではなく、理論の欠陥の証拠だったのです。

4. 「ただ知らないだけ」との違い

Section titled “4. 「ただ知らないだけ」との違い”

ここで多くの人が思うことがあります。「猫は生きているか死んでいるかのどちらかで、箱を開けるまで私たちが知らないだけでしょう。それを重ね合わせなどと大げさに呼んでいるだけでは」。

もっともな疑問です。そして、この疑問には物理として明確な答えがあります。「知らないだけ」の状態には別の名前があり、重ね合わせとは実験で区別できます

定義 4.1混合状態

系が状態 0\lvert 0 \rangle にあるか 1\lvert 1 \rangle にあるかのどちらかで、ただしどちらであるかを私たちが知らず、それぞれの確率が 1/21/2 ずつである、という状況を**(等重率の)混合状態**と呼びます。これは古典的なコインと同じ意味の確率であり、定義 2.1 の重ね合わせとは別物です。

区別のための道具を 1 つ用意します。\lvert 生 \rangle\lvert 死 \rangle を平面上の直交する 2 本の矢印とみなし、その平面上で 4545^\circ 回した新しい 2 本の矢印を考えます。

補題 4.2斜めの基準への書き換え

+=12(+),=12()\lvert + \rangle = \frac{1}{\sqrt{2}}\bigl(\lvert 生 \rangle + \lvert 死 \rangle\bigr), \qquad \lvert - \rangle = \frac{1}{\sqrt{2}}\bigl(\lvert 生 \rangle - \lvert 死 \rangle\bigr)

と定めると、+\lvert + \rangle\lvert - \rangle もまた互いに直交する長さ 1 の状態の組であり、逆に

=12(++),=12(+)\lvert 生 \rangle = \frac{1}{\sqrt{2}}\bigl(\lvert + \rangle + \lvert - \rangle\bigr), \qquad \lvert 死 \rangle = \frac{1}{\sqrt{2}}\bigl(\lvert + \rangle - \lvert - \rangle\bigr)

が成り立ちます。

証明(補題 4.2)

直交性と長さは、\lvert 生 \rangle\lvert 死 \rangle を直交する単位ベクトル e1,e2\boldsymbol{e}_1, \boldsymbol{e}_2 と同一視して内積を計算すれば確かめられます。+\lvert + \rangle の長さの 2 乗は (1/2)2+(1/2)2=1(1/\sqrt{2})^2 + (1/\sqrt{2})^2 = 1\lvert - \rangle も同様に 11、両者の内積は (1/2)(1/2)+(1/2)(1/2)=1/21/2=0(1/\sqrt{2})(1/\sqrt{2}) + (1/\sqrt{2})(-1/\sqrt{2}) = 1/2 - 1/2 = 0 です。

逆向きの式は連立方程式を解くだけです。定義式の 2 本を足すと ++=(2/2)=2\lvert + \rangle + \lvert - \rangle = (2/\sqrt{2}) \lvert 生 \rangle = \sqrt{2} \lvert 生 \rangle、引くと +=2\lvert + \rangle - \lvert - \rangle = \sqrt{2} \lvert 死 \rangle となり、両辺を 2\sqrt{2} で割れば主張の形になります。

ψ+
同じ 1 本の矢印を、どの座標軸で読むかの違い。斜めの軸で読むと重ね合わせと混合の差が現れる

図の矢印 ψ\psi は、生と死の軸で読めば「どちらでもない斜めの状態」ですが、斜めの点線の軸で読めば ++ 軸にぴったり乗った、迷いのない状態です。この見え方の違いが、次の命題の中身です。

命題 4.3重ね合わせと混合は区別できる

次の 2 つを比べます。

  • 状態 (a):重ね合わせ ψ=12(+)\lvert \psi \rangle = \dfrac{1}{\sqrt{2}}\bigl(\lvert 生 \rangle + \lvert 死 \rangle\bigr)
  • 状態 (b):確率 1/21/2 ずつで \lvert 生 \rangle または \lvert 死 \rangle である混合状態(定義 4.1)。

「生か死か」を測る測定では、どちらも結果は確率 1/21/2 ずつで生・死となり、区別できません。しかし「++- か」を測る測定を行うと、(a) では確率 11++ が出るのに対し、(b) では確率 1/21/2++、確率 1/21/2- が出ます。したがって、この測定を多数回繰り返せば (a) と (b) は区別できます。

証明(命題 4.3)

まず「生か死か」の測定について。(a) では 定義 2.2 より、生が出る確率は係数 1/21/\sqrt{2} の 2 乗で 1/21/2、死も同じく 1/21/2 です。(b) は定義からそのまま 1/21/2 ずつです。両者は一致します。

次に「++- か」の測定を考えます。

(a) の場合。補題 4.2 の定義式そのものから ψ=+\lvert \psi \rangle = \lvert + \rangle です。これを +,\lvert + \rangle, \lvert - \rangle の係数として読むと (α,β)=(1,0)(\alpha, \beta) = (1, 0) なので、定義 2.2 より ++ が出る確率は 12=11^2 = 1- が出る確率は 02=00^2 = 0 です。つまり結果は確実に ++ です。

(b) の場合。系が \lvert 生 \rangle にあるとき、補題 4.2 の逆向きの式より =12(++)\lvert 生 \rangle = \frac{1}{\sqrt{2}}(\lvert + \rangle + \lvert - \rangle) ですから、++ が出る確率は (1/2)2=1/2(1/\sqrt{2})^2 = 1/2 です。系が \lvert 死 \rangle にあるときも =12(+)\lvert 死 \rangle = \frac{1}{\sqrt{2}}(\lvert + \rangle - \lvert - \rangle) で、++ の確率は (1/2)2=1/2(1/\sqrt{2})^2 = 1/2 です。したがって全体では

P(b)(+)=1212+1212=12P_{(b)}(+) = \frac{1}{2}\cdot\frac{1}{2} + \frac{1}{2}\cdot\frac{1}{2} = \frac{1}{2}

となります。P(a)(+)=11/2=P(b)(+)P_{(a)}(+) = 1 \ne 1/2 = P_{(b)}(+) なので、確率の差は明確です。たとえば同じ準備を 100 回繰り返して毎回この測定をすれば、(a) では 100 回とも ++ が出ますが、(b) で 100 回連続 ++ が出る確率は 21002^{-100}、およそ 103010^{-30} です。実際上、間違えようがありません。

例 4.4コインの比喩がどこで壊れるか

「重ね合わせは、空中で回転しているコインのようなものだ」という説明をよく見かけます。この比喩は半分だけ当たっています。回転中のコインは、表か裏かがまだ決まっていない、という点は似ています。しかし回転中のコインを別の軸で読み直すことはできません。コインには「表と裏の 4545^\circ 斜め」という状態がないからです。

量子の場合はそれがあります。命題 4.3 が示したのは、「表か裏か」だけを見ていれば区別できない 2 つの状況が、「斜め」を見た瞬間にまったく違う振る舞いをする、ということです。物理学者が重ね合わせを特別扱いするのは、この斜めの測定に対する応答が古典的な確率では再現できないからです。

以上を猫に当てはめると、パラドックスの本体がはっきりします。もし箱の中の猫が本当に 定義 3.2Ψ\lvert \Psi \rangle という重ね合わせにあるなら、原理的には「生 ++ 死」と「生 - 死」を区別する測定が存在し、その結果は「どちらかなのに知らないだけ」の場合とは違うはずです。逆に、そんな測定は絶対にできないというなら、なぜできないのかを理論が説明しなければなりません。これが観測問題です。

5. 解釈:どこで話を打ち切るか

Section titled “5. 解釈:どこで話を打ち切るか”

量子力学の計算規則そのものは、100 年近く 1 つの実験にも破れていません。争いがあるのは、その規則が世界について何を言っているのかという部分です。代表的な立場を並べます。

立場収縮は起きるか猫はどうなっているか弱点
コペンハーゲン解釈起きる(測定の瞬間)箱を開けた瞬間に生か死かに定まる「測定」の定義が理論の中にない
多世界解釈起きない生きた猫の世界と死んだ猫の世界に分岐する確率 α2\alpha^2 の意味づけが難しい
ボーム解釈起きない猫は常にどちらか一方。波が案内役として残る非局所性が露骨で、相対論と馴染みにくい
自発的収縮理論(GRW など)起きる(自発的に、確率的に)巨視的な物体では一瞬で収縮する理論に新しい定数が必要で、実験による制限を受ける

コペンハーゲン解釈は、ボーアやハイゼンベルクを中心に作られた立場で、長く標準的な教科書の説明でした。要点は 2 つです。第 1 に、測定していないあいだ、状態はシュレーディンガー方程式に従って決まったとおりに時間発展する。第 2 に、測定した瞬間に、状態は結果に対応する 1 つの状態へ収縮する(定義 2.2 の後半がこれです)。この立場では、猫は箱を開けた瞬間に生死が定まります。

注意 5.1観測問題

コペンハーゲン解釈の弱点は、「測定」が理論の中で定義されていないことです。ガイガー計数管は測定装置でしょうか。猫は測定装置でしょうか。猫の網膜は。実験者の脳は。シュレーディンガー方程式は、装置も猫も人間もすべて原子の集まりとして同じように扱うので、どこかに「ここから先は測定です」という線を引く根拠が、方程式の側にはありません。この、線を引く根拠が理論に内在しないという問題を観測問題と呼びます。猫の思考実験は、この一点を突くために設計されています。

多世界解釈は、1957 年にヒュー・エヴェレット 3 世が博士論文で提案した立場です。発想は逆転しています。収縮という追加の規則を捨て、シュレーディンガー方程式だけをすべての系に適用し続けます。すると 定義 3.2Ψ\lvert \Psi \rangle は収縮せず、箱を開けた観測者まで巻き込んで

12死を見た私+12生を見た私\frac{1}{\sqrt{2}} \lvert 崩 \rangle \lvert 死 \rangle \lvert \text{死を見た私} \rangle + \frac{1}{\sqrt{2}} \lvert 未 \rangle \lvert 生 \rangle \lvert \text{生を見た私} \rangle

になります。この 2 つの項は互いに干渉しなくなるので、それぞれの「私」は自分の側の結果しか経験しません。世界が増えるのではなく、私が分岐するという言い方の方が原文に近いでしょう。批判の的になるのは確率です。両方の枝が等しく実在するなら、α2\alpha^2 という数はいったい何の確率なのか。この問いには今も複数の答えが提案されています。

大事なのは、この 2 つの解釈は同じ実験結果を予言するということです。だから「どちらが正しいか」は、今のところ実験では決まりません。決着をつけたいなら、GRW のように予言そのものを変える理論を作り、それを実験で検証するしかありません。実際、自発的収縮理論のパラメータは、極低温での実験によって少しずつ範囲を狭められています。

6. デコヒーレンス:猫はなぜ干渉しないのか

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第 4 節で、重ね合わせと混合は「斜めの測定」で区別できると示しました。では、なぜ現実の猫でそれをやった人がいないのでしょうか。技術が足りないだけでしょうか。

ここに、20 世紀後半に整備された強力な答えがあります。デコヒーレンスです。猫は真空中に孤立しているわけではありません。空気分子がぶつかり、体温の赤外線を出し、光子が跳ね返ります。生きた猫と死んだ猫では、これらの「環境」への影響がまったく違います。すると環境まで含めた状態は

Ψ=12E1+12E2\lvert \Psi \rangle = \frac{1}{\sqrt{2}} \lvert 生 \rangle \lvert E_1 \rangle + \frac{1}{\sqrt{2}} \lvert 死 \rangle \lvert E_2 \rangle

となります。E1,E2\lvert E_1 \rangle, \lvert E_2 \rangle は、それぞれの場合に環境が置かれる状態です。ここで 2 つの環境状態がどれだけ似ているかを表す数 r=E1E2r = \langle E_1 \vert E_2 \rangle(重なり。E1=E2\lvert E_1 \rangle = \lvert E_2 \rangle なら r=1r = 1、完全に区別できるなら r=0r = 0。ここでは実数とします)を導入すると、猫の「斜めの測定」の結果は次のように決まります。

命題 6.1環境との相関が干渉を消す

上の状態 Ψ\lvert \Psi \rangle にある系について、環境には手を触れず猫だけを 補題 4.2+,\lvert + \rangle, \lvert - \rangle で測定するとき、++ が出る確率は

P(+)=1+r2,r=E1E2P(+) = \frac{1 + r}{2}, \qquad r = \langle E_1 \vert E_2 \rangle

で与えられます。特に r=1r = 1 なら P(+)=1P(+) = 1命題 4.3 の状態 (a) と同じ)、r=0r = 0 なら P(+)=1/2P(+) = 1/2(状態 (b) と同じ)です。

証明(命題 6.1)

補題 4.2 の逆向きの式 =12(++)\lvert 生 \rangle = \frac{1}{\sqrt{2}}(\lvert + \rangle + \lvert - \rangle)=12(+)\lvert 死 \rangle = \frac{1}{\sqrt{2}}(\lvert + \rangle - \lvert - \rangle)Ψ\lvert \Psi \rangle に代入します。

Ψ=1212(++)E1+1212(+)E2=+E1+E22+E1E22.\begin{aligned} \lvert \Psi \rangle &= \frac{1}{\sqrt{2}} \cdot \frac{1}{\sqrt{2}}\bigl(\lvert + \rangle + \lvert - \rangle\bigr)\lvert E_1 \rangle + \frac{1}{\sqrt{2}} \cdot \frac{1}{\sqrt{2}}\bigl(\lvert + \rangle - \lvert - \rangle\bigr)\lvert E_2 \rangle \\ &= \lvert + \rangle \cdot \frac{\lvert E_1 \rangle + \lvert E_2 \rangle}{2} + \lvert - \rangle \cdot \frac{\lvert E_1 \rangle - \lvert E_2 \rangle}{2}. \end{aligned}

猫について ++ が出る確率は、+\lvert + \rangle に付いているベクトルの長さの 2 乗です(定義 2.2 を、係数がベクトルの場合に読み替えたもの)。そこで

P(+)=E1+E222=14(E1E1+E2E2+2E1E2)=14(1+1+2r)=1+r2\begin{aligned} P(+) &= \left\lVert \frac{\lvert E_1 \rangle + \lvert E_2 \rangle}{2} \right\rVert^2 = \frac{1}{4}\bigl(\langle E_1 \vert E_1 \rangle + \langle E_2 \vert E_2 \rangle + 2\langle E_1 \vert E_2 \rangle\bigr) \\ &= \frac{1}{4}\bigl(1 + 1 + 2r\bigr) = \frac{1 + r}{2} \end{aligned}

を得ます。途中で E1,E2\lvert E_1 \rangle, \lvert E_2 \rangle が長さ 1 であること(規格化条件)を使いました。r=1r = 1 を代入すると P(+)=1P(+) = 1r=0r = 0 なら P(+)=1/2P(+) = 1/2 です。

系 6.2環境に情報が漏れた猫は古典的に見える

環境が生と死を完全に区別する(r=0r = 0)とき、猫だけを測るどんな測定でも、結果の確率は 定義 4.1 の混合状態のそれと一致します。すなわち、猫だけを見ているかぎり、重ね合わせであることの証拠は一切得られません。

証明(系 6.2)

++- の測定については 命題 6.1r=0r = 0 とすれば P(+)=P()=1/2P(+) = P(-) = 1/2 となり、命題 4.3 の状態 (b) と一致します。同じ計算を任意の斜めの基準 θ=cosθ+sinθ\lvert \theta \rangle = \cos\theta \lvert 生 \rangle + \sin\theta \lvert 死 \rangle に対して行うと、交差項には必ず E1E2=0\langle E_1 \vert E_2 \rangle = 0 が掛かって消えるので、確率は cos2θ12+sin2θ12=12\cos^2\theta \cdot \frac{1}{2} + \sin^2\theta \cdot \frac{1}{2} = \frac{1}{2} となり、これも混合状態の予言と一致します。命題 6.1 は「rr00 でないときに限って差が出る」ことを言っていたので、r=0r = 0 なら差は消えます。

ここが決定的です。猫サイズの物体では、環境との相互作用によって rrとてつもなく速く 00 に落ちます。1 個の空気分子が跳ね返るだけでも、生きた猫と死んだ猫では散乱の仕方が違うので、環境は生死を「記録」してしまいます。分子は毎秒とんでもない回数ぶつかりますから、rr が有意に 00 でない時間は、私たちが測定を準備できるどんな時間よりも短いのです。猫の重ね合わせが見えないのは、技術の問題ではなく、箱を開ける前に情報が箱の中の空気に漏れているからです(日常サイズの物体で量子効果が見えないもう 1 つの理由は なぜ日常では量子効果が見えないのか(例 5.4)[ラプラスの悪魔と決定論] にあります)。

では、環境から十分に隔離できれば、大きな物体でも重ね合わせは見えるはずです。実際に見えます。

例 6.3どこまで大きなものが干渉するか

1999 年、ウィーンのアルントらは、炭素原子 60 個からなるサッカーボール型の分子 C60_{60}(質量にして水素原子の約 720 倍)を高真空中で回折格子に通し、干渉縞を観測しました。分子 1 個が「複数のスリットを同時に通った」ときにだけ現れる縞で、二重スリットの矢印の足し算(例 6.2)[アインシュタインとファインマン] がそのまま分子に対して働いています。この分子は内部に多数の振動モードを持ち、飛行中に赤外線を放射しますが、放射が強くなる(つまり環境に位置情報が漏れる)ほど縞のコントラストが落ちることも、後の実験で確かめられています。これは 命題 6.1rr が下がっていく様子を、実験で目に見える形にしたものです。

その後も記録は更新され、2019 年には 2 万原子質量単位を超える巨大分子で干渉が確認されています。猫(数キログラム、およそ 102710^{27} 原子質量単位)にはまだ遠いですが、「ミクロだから重ね合わせ、マクロだから駄目」という素朴な線引きが、単なる隔離の程度の問題に置き換わったことは確かです。

注意 6.4デコヒーレンスは観測問題を解いたのか

解いていません。系 6.2 が言うのは「猫は混合状態と区別できなくなる」であって、「猫は生か死のどちらかになった」ではありません。全体の状態 Ψ\lvert \Psi \rangle は依然として重ね合わせのままです。デコヒーレンスは「なぜ干渉が見えないか」に完璧な答えを与えますが、「なぜ私は 1 つの結果だけを経験するのか」には答えません。この残りの部分を、収縮という追加規則で埋めるのがコペンハーゲン解釈、埋めずに「分岐した私がそれぞれ 1 つずつ経験している」と読むのが多世界解釈です。デコヒーレンスは解釈の対立を解消はせず、争点を狭めたのです。

演習 7.1

例 2.3 と同じ設定で、真ん中の偏光板の角度を 4545^\circ ではなく 3030^\circ にしたとします。最後に 9090^\circ の板を通り抜ける光の強度を I0I_0 で表してください。また、4545^\circ のときと比べてどちらが明るいか答えてください。ただし、角度差 θ\theta の偏光板を通る確率は cos2θ\cos^2\theta とします。

解答

00^\circ の板を通った直後の強度は I0/2I_0/2 です。次に 3030^\circ の板は角度差 3030^\circ なので、通過確率は cos230=(3/2)2=3/4\cos^2 30^\circ = (\sqrt{3}/2)^2 = 3/4。強度は

I02×34=3I08\frac{I_0}{2} \times \frac{3}{4} = \frac{3I_0}{8}

になります。最後の 9090^\circ の板は、直前の 3030^\circ から見て角度差 6060^\circ なので、通過確率は cos260=(1/2)2=1/4\cos^2 60^\circ = (1/2)^2 = 1/4。したがって

3I08×14=3I032.\frac{3I_0}{8} \times \frac{1}{4} = \frac{3I_0}{32}.

4545^\circ のときは I0/8=4I0/32I_0/8 = 4I_0/32 でしたから、3I0/32<4I0/323I_0/32 < 4I_0/32 より 4545^\circ の方が明るいです。実際、通過確率の積 cos2θcos2(90θ)\cos^2\theta \cos^2(90^\circ - \theta)θ=45\theta = 45^\circ で最大になります。

演習 7.2標準

例 3.1 の設定(半減期 T=1T = 1 時間)で、箱を 2 時間放置しました。

  1. 2 時間後の原子の状態を ,\lvert 未 \rangle, \lvert 崩 \rangle の重ね合わせとして、係数を具体的な数で書いてください。
  2. このとき猫が生きている確率を求めてください。
  3. 猫が生きている確率が 10%10\% を下回るのは、何時間後からですか。log102=0.301\log_{10} 2 = 0.301 を使ってください。
解答
  1. 未崩壊の確率は 2t/T=22=1/42^{-t/T} = 2^{-2} = 1/4 です。振幅はその平方根で 1/4=1/2\sqrt{1/4} = 1/2。崩壊側の確率は 11/4=3/41 - 1/4 = 3/4 なので振幅は 3/2\sqrt{3}/2。よって
原子(2h)=12+32.\lvert \text{原子}(2\text{h}) \rangle = \frac{1}{2} \lvert 未 \rangle + \frac{\sqrt{3}}{2} \lvert 崩 \rangle.

規格化条件は (1/2)2+(3/2)2=1/4+3/4=1(1/2)^2 + (\sqrt{3}/2)^2 = 1/4 + 3/4 = 1 で満たされています。

  1. 猫の生死は原子の状態に 1 対 1 で対応するので、生きている確率は未崩壊の確率と同じ 1/4=25%1/4 = 25\% です。

  2. 2t<0.12^{-t} < 0.1 を解きます。両辺の常用対数を取ると tlog102<1-t \log_{10} 2 < -1、すなわち

t>1log102=10.301=3.32t > \frac{1}{\log_{10} 2} = \frac{1}{0.301} = 3.32\ldots

なので、およそ 3.33 時間後(3 時間 20 分後)からです。

演習 7.3標準

命題 6.1 の設定で、環境状態の重なりが rr0r10 \le r \le 1 の実数)だとします。

  1. - が出る確率 P()P(-) を求めてください。
  2. 干渉の見えやすさを表す量として V=P(+)P()V = P(+) - P(-) を定義します。VVrr で表してください。
  3. r=0.01r = 0.01 のとき、++- の確率の差は何 % ですか。100 回の測定でこの差を見分けられそうか、コメントしてください。
解答
  1. 確率の和は 11 なので P()=1P(+)=11+r2=1r2P(-) = 1 - P(+) = 1 - \dfrac{1+r}{2} = \dfrac{1-r}{2} です。命題 6.1 の証明で得た \lvert - \rangle の係数 (E1E2)/2(\lvert E_1 \rangle - \lvert E_2 \rangle)/2 の長さの 2 乗を計算しても、14(1+12r)=1r2\frac{1}{4}(1 + 1 - 2r) = \frac{1-r}{2} となって一致します。

  2. V=1+r21r2=rV = \dfrac{1+r}{2} - \dfrac{1-r}{2} = r。つまり環境状態の重なりが、そのまま干渉の見えやすさになります

  3. r=0.01r = 0.01 なら P(+)=0.505P(+) = 0.505P()=0.495P(-) = 0.495 で、差は 1%1\% です。100 回の測定では ++ の回数は平均 50.550.5 回ですが、統計的なゆらぎは標準偏差にして 100×0.5×0.5=5\sqrt{100 \times 0.5 \times 0.5} = 5 回程度あります。0.50.5 回の偏りは 55 回のゆらぎに埋もれるので、100 回では見分けられません。差をゆらぎより大きくするには、おおよそ N×0.01>N/2N \times 0.01 > \sqrt{N}/2、すなわち N>2500N > 2500 回程度の測定が必要です。rr がさらに小さくなれば必要な回数は r2r^{-2} で増えるので、猫サイズの rr ではまったく手が届きません。

演習 7.4

友人が「猫は生きているか死んでいるかのどちらかで、人間が知らないだけだ。重ね合わせなんて言葉遊びだ」と主張しています。この主張のどこが不十分かを、命題 4.3系 6.2 の両方に触れながら説明してください。また、友人の主張が「現実の猫については実質的に正しい」と言える理由も述べてください。

解答

不十分な点は、主張が実験で否定できる形をしていることです。友人の言う「どちらかだが知らない」は 定義 4.1 の混合状態にほかなりません。命題 4.3 によれば、混合状態と重ね合わせは「++- か」の測定で区別でき、前者は ++ が確率 1/21/2、後者は確率 11 です。つまり両者は原理的に別の物理状態であり、「言葉遊び」ではありません。実際、例 6.3 のように十分隔離された系では、重ね合わせ側の予言が実験で確認されています。

一方で、友人の主張は現実の猫についてはほぼ正しく機能します。系 6.2 により、環境が生死を記録してしまえば(r=0r = 0)、猫だけを対象とするどんな測定も混合状態と同じ確率を返すからです。演習 7.3 の見積もりのとおり、必要な測定回数は r2r^{-2} で増え、猫サイズでは天文学的な数になります。したがって「実用上は正しいが、原理としては正しくない」というのが正確な評価です。

ただし、ここで止めると 注意 6.4 の落とし穴にはまります。r=0r = 0 が言うのは「区別できない」であって「どちらかに決まった」ではありません。「決まった」と言い切るには収縮の規則を足す(コペンハーゲン解釈)か、「決まったように見える枝に自分がいる」と読む(多世界解釈)かの選択が必要で、その選択は現時点では実験で決まりません。

  • E. Schrödinger, “Die gegenwärtige Situation in der Quantenmechanik”, Naturwissenschaften 23 (1935), 807–812, 823–828, 844–849 — 猫が登場する原典。英訳が J. D. Trimmer によって Proceedings of the American Philosophical Society 124 (1980) に収録されています。
  • A. Einstein, B. Podolsky, N. Rosen, “Can Quantum-Mechanical Description of Physical Reality Be Considered Complete?”, Physical Review 47 (1935), 777–780 — 猫の直接のきっかけになった論文。
  • H. Everett III, “‘Relative State’ Formulation of Quantum Mechanics”, Reviews of Modern Physics 29 (1957), 454–462 — 多世界解釈の原論文。
  • W. H. Zurek, “Decoherence, einselection, and the quantum origins of the classical”, Reviews of Modern Physics 75 (2003), 715–775(arXiv:quant-ph/0105127)— デコヒーレンスの標準的な総説。
  • M. Arndt et al., “Wave–particle duality of C60 molecules”, Nature 401 (1999), 680–682 — 巨大分子の干渉実験。
  • R. P. ファインマン他『ファインマン物理学 V 量子力学』岩波書店 — 第 1 章「量子力学的なふるまい」が、二重スリットを題材に確率振幅の足し算を丁寧に説明しています。

Appendix: 猫を 2 次元ベクトルで書き直す

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成分表示にすると、第 4 節の議論はただの行列の計算になります。 \lvert 生 \rangle\lvert 死 \rangle

=(10),=(01)\lvert 生 \rangle = \begin{pmatrix} 1 \\ 0 \end{pmatrix}, \qquad \lvert 死 \rangle = \begin{pmatrix} 0 \\ 1 \end{pmatrix}

と置くと、重ね合わせ状態は ψ=12(11)\lvert \psi \rangle = \frac{1}{\sqrt{2}}\begin{pmatrix} 1 \\ 1 \end{pmatrix} という、成分がどちらも正の縦ベクトルになります。補題 4.2+,\lvert + \rangle, \lvert - \rangle

+=12(11),=12(11)\lvert + \rangle = \frac{1}{\sqrt{2}}\begin{pmatrix} 1 \\ 1 \end{pmatrix}, \qquad \lvert - \rangle = \frac{1}{\sqrt{2}}\begin{pmatrix} 1 \\ -1 \end{pmatrix}

で、これは座標軸を 4545^\circ 回すことにあたります。ある状態 ϕ\lvert \phi \rangle を測って +\lvert + \rangle が出る確率は、内積の 2 乗 +ϕ2\langle + \vert \phi \rangle^2 です。ϕ=ψ\lvert \phi \rangle = \lvert \psi \rangle なら

+ψ=12(11)12(11)=12(1+1)=1\langle + \vert \psi \rangle = \frac{1}{\sqrt{2}}\begin{pmatrix} 1 & 1 \end{pmatrix} \cdot \frac{1}{\sqrt{2}}\begin{pmatrix} 1 \\ 1 \end{pmatrix} = \frac{1}{2}(1 + 1) = 1

なので確率は 11命題 4.3 の (a) が再現されます。

混合状態は 1 本のベクトルでは書けません。 これが混合と重ね合わせの本質的な違いです。混合を書くには、状態を 2×22 \times 2 行列(密度行列)に格上げする必要があります。重ね合わせ ψ\lvert \psi \rangle に対応する行列と、混合に対応する行列はそれぞれ

ρ重ね合わせ=12(1111),ρ混合=12(1001)\rho_{\text{重ね合わせ}} = \frac{1}{2}\begin{pmatrix} 1 & 1 \\ 1 & 1 \end{pmatrix}, \qquad \rho_{\text{混合}} = \frac{1}{2}\begin{pmatrix} 1 & 0 \\ 0 & 1 \end{pmatrix}

です。対角成分(生・死それぞれの確率 1/21/2)は完全に一致し、違うのは非対角成分だけです。この非対角成分を干渉項と呼びます。命題 6.1 がやっていたのは、環境との相関によって非対角成分に rr が掛かり、

ρ(r)=12(1rr1)\rho(r) = \frac{1}{2}\begin{pmatrix} 1 & r \\ r & 1 \end{pmatrix}

となって r0r \to 0 とともに干渉項が消える、という計算です。デコヒーレンスとは、文字どおり行列の隅が削られていく過程なのです。密度行列を本格的に学ぶのは大学の量子力学ですが、「重ね合わせと混合の差は非対角成分にある」という一文だけ覚えておけば、猫の話は最後まで見通せます。

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