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非可換トーラス A_θ:無理数回転がつくる「点のない空間」

前提:スペクトル三つ組 (A, H, D):ディラック作用素で幾何を定義する

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  • 非可換トーラス(回転代数)AθA_\theta は、2 つのユニタリ U,VU, VVU=e2πiθUVVU = e^{2\pi i\theta}UV という関係だけで縛って生成される普遍 C*-代数です。θZ\theta \in \mathbb{Z} のとき C(T2)C(\mathbb{T}^2) に一致し、それ以外では非可換になります。
  • AθA_\theta は交叉積 C(T)θZC(\mathbb{T}) \rtimes_{\theta} \mathbb{Z} と同型で、通常の位相では潰れてしまう商空間(無理数回転の軌道空間、Kronecker 葉層の葉空間)の座標環として現れます。
  • θ\theta が無理数なら AθA_\theta は単純であり、トレース状態はただ 1 つに限ります。これは「軌道が稠密である」という力学系の事実の、代数側での言い換えです。
  • 微分 δ1,δ2\delta_1, \delta_2 と滑らかな部分代数 AθA_\theta^\infty が定まり、スペクトル次元 22 のスペクトル三つ組が構成できます。固有値の Weyl 漸近は可換トーラスと完全に一致し、θ\theta に依りません。
  • K0(Aθ)K1(Aθ)Z2K_0(A_\theta) \cong K_1(A_\theta) \cong \mathbb{Z}^2 であり、トレースの像は τ(K0(Aθ))=Z+θZ\tau_*(K_0(A_\theta)) = \mathbb{Z} + \theta\mathbb{Z} です。トレース値がちょうど θ\theta の射影(Powers–Rieffel 射影)を陽に構成します。
  • 帰結として、無理数 θ,θ\theta, \theta' に対し AθAθA_\theta \cong A_{\theta'} となるのは θ±θ(modZ)\theta' \equiv \pm\theta \pmod{\mathbb{Z}} のときに限ること、および磁場中の電子のスペクトルギャップに Z+θZ\mathbb{Z} + \theta\mathbb{Z} のラベルが付くこと(ギャップラベル定理)が導かれます。

1. 動機:葉空間には点が足りない

Section titled “1. 動機:葉空間には点が足りない”

ゲルファント–ナイマルクの定理(定理 4.6)[非可換幾何学への動機] は、可換 C*-代数の圏と局所コンパクト Hausdorff 空間の圏が(射の向きを逆にして)同値であることを主張します。空間 XX からは関数環 C(X)C(X) が、可換 C*-代数 AA からはその指標空間が得られ、両者は互いに逆の操作です。この辞書を出発点に「空間とは可換 C*-代数のことである」と定義し直し、可換性を外したものを空間と呼ぼう、というのが非可換幾何学の出発点でした(非可換幾何学への動機C*-代数の基礎)。

この一般化が単なる言い換えでないことを示すには、「幾何学が実際に必要としているのに、可換な辞書に載らない空間」を挙げなければなりません。もっとも古典的な例が商空間です。

トーラス T2=R2/Z2\mathbb{T}^2 = \mathbb{R}^2/\mathbb{Z}^2 に、傾き θ\theta の直線の像を葉とする葉層構造 Fθ\mathcal{F}_\theta(Kronecker 葉層)を入れます。すなわち点 (x,y)(x, y) を通る葉は {(x+t,y+θt):tR}\{(x + t,\, y + \theta t) : t \in \mathbb{R}\}T2\mathbb{T}^2 における像です。葉空間 T2/Fθ\mathbb{T}^2/\mathcal{F}_\theta、つまり「各葉を 1 点に潰した空間」を考えると、θ\theta が無理数のとき次のことが起こります。

命題 1.1葉空間の位相は密着位相

θ\theta を無理数とすると、T2/Fθ\mathbb{T}^2/\mathcal{F}_\theta の商位相の開集合は空集合と全体だけです。したがって連続関数 T2/FθC\mathbb{T}^2/\mathcal{F}_\theta \to \mathbb{C} は定数関数に限り、C(T2/Fθ)=CC(\mathbb{T}^2/\mathcal{F}_\theta) = \mathbb{C} となります。

証明(命題 1.1)

Kronecker の稠密定理より、θ\theta が無理数のとき各葉は T2\mathbb{T}^2 で稠密です。商位相の開集合は、T2\mathbb{T}^2飽和した(葉の合併である)開集合に対応します。ΩT2\Omega \subseteq \mathbb{T}^2 を飽和した空でない開集合とし、F=T2ΩF = \mathbb{T}^2 \setminus \Omega とおきます。FF も飽和した閉集合です。もし FF \ne \emptyset なら FF はある葉 LL' を丸ごと含み、FF が閉であることから LF\overline{L'} \subseteq F、すなわち T2=LF\mathbb{T}^2 = \overline{L'} \subseteq F となって Ω=\Omega = \emptyset に矛盾します。ゆえに F=F = \emptyset、つまり Ω=T2\Omega = \mathbb{T}^2 です。

密着位相の空間から Hausdorff 空間への連続写像は定数です。実際、ff が 2 つの異なる値 aba \ne b を取れば、a,ba, b を分離する開集合の逆像が空でも全体でもない開集合になり、上に矛盾します。

つまり、可換な辞書に葉空間を通すと情報がすべて消えます。しかし葉層そのものは豊かな幾何学的対象で、たとえば「葉に沿った微分作用素の指数」を考えたいという要求は現実にあります。Connes の処方箋は、商を取る操作を「同値関係を潰す」ではなく「同値関係(より一般には亜群)の畳み込み代数を作る」に置き換えることでした。潰す代わりに、点 pp と点 qq が同値であるという関係そのものを行列成分 (p,q)(p, q) として残すのです。得られる代数は非可換ですが、情報は失われていません。

本章では、この処方箋がもっとも簡単な非自明例で何を生むかを、最後まで具体的に追いかけます。生まれる代数が非可換トーラス AθA_\theta です。同じ代数は、一様磁場中の 2 次元電子の磁気平行移動が生成する代数としても現れ、整数量子ホール効果の数学的定式化の舞台になります。ひとつの C*-代数が、微分幾何・力学系・固体物理の交点に立っているわけです。

実線 : 1 本の葉(傾き θ)破線 : 横断切断 T ≅ 𝕋● : 葉と T の交点  = 回転の軌道 nθ mod 101
傾き θ の Kronecker 葉層。太線は 1 本の葉で、正方形を何度も横切りながら(θ が無理数なら)稠密になる。破線は横断切断 T で、葉との交点は回転 R_θ の軌道 nθ (mod 1) を描く。

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