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物理学の未解決問題:宇宙の 95% はまだ名前しかついていない

前提:アインシュタインとファインマン:時空を曲げた男と、光を数え上げた男

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  • 宇宙のエネルギーのうち、私たちが知っている物質(原子)はわずか約 5% です。残りの約 27% はダークマター、約 68% はダークエネルギーで、どちらも名前がついているだけで正体は分かっていません
  • ダークマターの存在は、銀河の回転速度が外側でも落ちないという単純な観測から導かれます。この記事では実際に天の川銀河の質量を手計算し、「見える星の 4 倍以上の質量が必要」という結論を数字で確認します。
  • ダークエネルギーは 1998 年の超新星観測で発見されました。真空のエネルギーだとすると、素粒子論の予想と観測値が 120 桁食い違います。物理学史上おそらく最悪の食い違いです。
  • 宇宙初期のインフレーションは、地平線問題と平坦性問題を鮮やかに解決しますが、「何がインフレーションを起こしたのか」は未確定です。決定的証拠となる原始重力波はまだ見つかっていません。
  • 一般相対論と量子力学は、ブラックホールの中心と宇宙の始まりで真正面から衝突します。両者を統合する理論は 90 年以上まだありません。
  • これらはどれも「まだ誰も答えを知らない問題」です。教科書の最後のページの先に、まだ白紙のページが残っています。

1. 動機:「物理学はもう終わった」と言われた時代

Section titled “1. 動機:「物理学はもう終わった」と言われた時代”

19 世紀の終わり、物理学界にはある種の達成感が漂っていました。ニュートン力学が天体の運動を、マクスウェル方程式が電気と磁気と光を、熱力学が熱機関を説明し尽くしたように見えたからです。当時の若者が「物理をやりたい」と相談すると、「やめておきなさい、あとは小数点以下を埋める作業しか残っていない」と諭された、という話が伝わっています。

ところがその「小数点以下」に、二つの小さな染みが残っていました。黒体放射のスペクトルが古典論と合わないこと、そして光の速さがどの慣性系(定義 2.1)[アインシュタインとファインマン]から測っても同じに見えることです。この二つの染みから、量子力学と相対性理論という 20 世紀物理学の二本の柱が生まれました。染みだと思われていたものが、実は新しい大陸への入り口だったわけです。

今の物理学は、当時よりはるかに広い範囲を、はるかに高い精度で説明します。素粒子の標準模型は電子の磁気モーメントを小数点以下 12 桁まで当て(人類が最も正確に予言した数(例 6.6)[アインシュタインとファインマン])、一般相対論は GPS 衛星の時計のずれを日常的に補正しています(GPS 衛星の時計のずれの計算(例 4.3)[日常の中の物理]。実用面の話は 日常の中の物理 にあります)。しかしそれでも、いや、だからこそ、いくつかの「染み」がくっきりと浮かび上がってきました。しかも今回の染みは小さくありません。宇宙のエネルギーの 95% が正体不明なのです。

この記事では、現代物理学に残された大きな謎のうち、宇宙論に関わる三つ(ダークマター、ダークエネルギー、インフレーション)と、理論の根本に関わる一つ(量子重力)を取り上げます。読み終えたときに「まだこんなに分かっていないのか」と思ってもらえたら成功です。それが科学の現在地です。

2. 準備:「未解決」の三つの意味と、宇宙の家計簿

Section titled “2. 準備:「未解決」の三つの意味と、宇宙の家計簿”

「未解決問題」と一口に言っても、性質はかなり違います。整理しておきます。

種類内容
観測はあるが説明がない現象は確実に起きているのに、原因となる実体が特定できていないダークマター、ダークエネルギー
理論はあるが検証がないもっともらしい理論はあるが、決定的な実験・観測がまだインフレーション、超対称性
理論同士が矛盾する二つの成功した理論を同時に使うと破綻する量子重力、ブラックホール情報問題
原理は分かるが解けない基礎方程式は分かっているのに、解の振る舞いが手に負えない乱流、高温超伝導

一番下の「原理は分かるが解けない」は少し意外かもしれません。水の運動を支配するナビエ–ストークス方程式は 19 世紀からありますが、乱流の統計的性質を第一原理から導くことは今もできていません。方程式を知っていることと、その帰結を知っていることは別なのです。この区別は ラプラスの悪魔 の議論(ロジスティック写像の厳密解とリアプノフ指数(命題 4.2)[ラプラスの悪魔と決定論])とも通じます。

2.2. 宇宙の家計簿を作るための道具

Section titled “2.2. 宇宙の家計簿を作るための道具”

宇宙に何がどれだけあるかを議論するには、比較の基準が要ります。宇宙論では次の量を使います。

定義 2.1臨界密度と密度パラメータ

宇宙が一様等方に膨張しているとし、その膨張率をハッブル定数 HH(単位時間あたりの相対的な伸び率)で表す。ニュートン定数を GG として、

ρc=3H28πG\rho_c = \frac{3H^2}{8\pi G}

臨界密度という。宇宙を構成するある成分 ii の平均密度 ρi\rho_i に対し、

Ωi=ρiρc\Omega_i = \frac{\rho_i}{\rho_c}

密度パラメータという。全成分の和 Ωtot=iΩi\Omega_{\text{tot}} = \sum_i \Omega_i がちょうど 11 のとき、宇宙の空間は平坦(ユークリッド幾何が成り立つ)である。

臨界密度は「ちょうど平坦になる密度」です。これより濃ければ空間は球面のように閉じ、薄ければ鞍のように開きます。密度パラメータは、いわば宇宙の家計簿を「総収入を 1 としたときの割合」で書いたものです。

例 2.2宇宙の家計簿を数値にする

プランク衛星による宇宙マイクロ波背景放射(CMB)の観測から、H0=67.4 km/s/MpcH_0 = 67.4\ \mathrm{km/s/Mpc} が得られています。まず臨界密度を計算します。1 Mpc=3.086×1022 m1\ \mathrm{Mpc} = 3.086 \times 10^{22}\ \mathrm{m} なので、

H0=6.74×104 m/s3.086×1022 m=2.18×1018 s1H_0 = \frac{6.74 \times 10^{4}\ \mathrm{m/s}}{3.086 \times 10^{22}\ \mathrm{m}} = 2.18 \times 10^{-18}\ \mathrm{s^{-1}}

です。これを 定義 2.1 に代入します。

ρc=3×(2.18×1018)28π×6.674×1011=1.43×10351.68×109=8.5×1027 kg/m3\rho_c = \frac{3 \times (2.18 \times 10^{-18})^2}{8\pi \times 6.674 \times 10^{-11}} = \frac{1.43 \times 10^{-35}}{1.68 \times 10^{-9}} = 8.5 \times 10^{-27}\ \mathrm{kg/m^3}

水素原子 1 個の質量は 1.67×1027 kg1.67 \times 10^{-27}\ \mathrm{kg} ですから、これは 1 立方メートルあたり水素原子 5 個に相当します。宇宙全体をならすと、真空実験室よりずっとスカスカです。

同じ観測から得られる内訳は、Ωb0.049\Omega_b \simeq 0.049(原子でできた普通の物質)、Ωc0.265\Omega_c \simeq 0.265(ダークマター)、ΩΛ0.685\Omega_\Lambda \simeq 0.685(ダークエネルギー)です。普通の物質の密度は

0.049×8.5×1027=4.2×1028 kg/m30.049 \times 8.5 \times 10^{-27} = 4.2 \times 10^{-28}\ \mathrm{kg/m^3}

で、1 立方メートルに陽子 0.25 個分。私たちが「物質」と呼んできたものは、宇宙の家計簿では端数扱いなのです。

flowchart LR
A["10^-36 秒<br/>インフレーション<br/>謎: 何が起こした?"] --> B["3 分<br/>軽い元素の合成<br/>確立"]
B --> C["38 万年<br/>宇宙の晴れ上がり<br/>確立"]
C --> D["数億年<br/>最初の星と銀河<br/>謎: ダークマターの正体"]
D --> E["約 50 億年前<br/>膨張が加速に転じる<br/>謎: ダークエネルギー"]
E --> F["現在<br/>138 億年"]
宇宙の歴史と、そこに残る謎。確立した部分と未解決の部分が交互に並んでいる

3. 見えない物質 — ダークマター

Section titled “3. 見えない物質 — ダークマター”

3.1. ツビッキーの怒りと、ルービンの粘り

Section titled “3.1. ツビッキーの怒りと、ルービンの粘り”

1933 年、スイスの天文学者フリッツ・ツビッキーは、かみのけ座銀河団の中で銀河たちがあまりに速く動き回っていることに気づきました。重力で束縛されている系では、速度が速すぎると散り散りになってしまいます。彼が見積もったところ、銀河団を束ねておくには見えている光る物質の数百倍の質量が必要でした。ツビッキーはこれを「dunkle Materie(暗黒物質)」と呼びましたが、当時の天文学界はほとんど相手にしませんでした。彼が同僚を「球状の間抜け(どの方向から見ても間抜け)」と呼ぶような人物だったことも、たぶん少し影響しています。

決定打が出たのは 40 年後です。1970 年、ヴェラ・ルービンとケント・フォードはアンドロメダ銀河の回転速度を精密に測り、銀河の外縁部でも回転速度が落ちないことを示しました。これは太陽系の惑星の振る舞いとまったく違います。海王星は水星よりずっとゆっくり公転しますが、銀河の外側の星は内側の星と同じくらいの速さで回っていたのです。

定義 3.1ダークマター

電磁波(光・電波・X 線など)とほとんど相互作用しないため直接観測できないが、重力を通じて存在が確かめられる物質を**ダークマター(暗黒物質)**という。冷たい(非相対論的な)粒子であり、電荷を持たず、通常の物質とはごく弱くしか相互作用しない、と考えられている。

なぜ「回転速度が落ちない」ことが「見えない質量がある」ことになるのか。ここは高校の力学で完全に追えます。

命題 3.2平坦な回転曲線と質量分布

球対称な質量分布をもつ銀河の中で、半径 rr の円軌道を速さ v(r)v(r) で回る星を考える。半径 rr の内側にある全質量を M(r)M(r) とすると、

v(r)=GM(r)rv(r) = \sqrt{\frac{G M(r)}{r}}

が成り立つ。したがって、ある範囲で v(r)v(r) が定数 v0v_0 であるならば、その範囲で

M(r)=v02Gr,ρ(r)=v024πG1r2M(r) = \frac{v_0^2}{G}\, r, \qquad \rho(r) = \frac{v_0^2}{4\pi G}\cdot \frac{1}{r^2}

である。すなわち内部質量は半径に比例して増え続け、密度は r2r^{-2} で減衰する。

証明(命題 3.2)

球対称な分布では、半径 rr の外側にある物質からの重力は打ち消し合い(ニュートンの殻定理)、内側の質量 M(r)M(r) が中心に集まっているのと同じ力を及ぼします。よって質量 mm の星に働く向心力は GM(r)m/r2GM(r)m/r^2 です。円運動の運動方程式は

GM(r)mr2=mv2r\frac{G M(r) m}{r^2} = \frac{m v^2}{r}

なので、両辺を mm で割り rr を掛けると v2=GM(r)/rv^2 = GM(r)/r、すなわち v=GM(r)/rv = \sqrt{GM(r)/r} を得ます。

次に v(r)=v0v(r) = v_0(定数)とします。上の式を M(r)M(r) について解くと M(r)=v02r/GM(r) = v_0^2 r / G です。密度は、半径 rr の球殻 [r,r+dr][r, r+dr] に含まれる質量が dM=4πr2ρ(r)drdM = 4\pi r^2 \rho(r)\, dr と書けることから、

ρ(r)=14πr2dMdr=14πr2v02G=v024πGr2\rho(r) = \frac{1}{4\pi r^2}\frac{dM}{dr} = \frac{1}{4\pi r^2}\cdot \frac{v_0^2}{G} = \frac{v_0^2}{4\pi G r^2}

となります。星の光は銀河の中心付近に集中していて、外側にはほとんど光る物質がありません。それなのに M(r)M(r)rr に比例して増え続けるということは、光らない何かが外側まで広く分布しているということです。

銀河中心からの距離 r回転速度 vこの差がダークマター観測される速度(平坦)見える物質だけからの予想(ケプラー的に減少)星の光はこのあたりまでしかない
銀河の回転曲線。見える物質だけから予想される速度(破線)は外側で落ちるが、実際の観測(実線)は落ちない。この差がダークマターの証拠

例 3.3天の川銀河の質量を手で見積もる

太陽は銀河中心から r=8.2 kpcr = 8.2\ \mathrm{kpc} の距離を、v=235 km/sv = 235\ \mathrm{km/s} で回っています。命題 3.2 を使って、太陽の軌道の内側にある質量を求めます。1 kpc=3.086×1019 m1\ \mathrm{kpc} = 3.086 \times 10^{19}\ \mathrm{m} なので r=2.53×1020 mr = 2.53 \times 10^{20}\ \mathrm{m}v=2.35×105 m/sv = 2.35 \times 10^{5}\ \mathrm{m/s} です。

M=v2rG=(2.35×105)2×2.53×10206.674×1011=2.1×1041 kgM = \frac{v^2 r}{G} = \frac{(2.35\times 10^{5})^2 \times 2.53 \times 10^{20}}{6.674\times 10^{-11}} = 2.1 \times 10^{41}\ \mathrm{kg}

太陽質量 M=1.99×1030 kgM_\odot = 1.99 \times 10^{30}\ \mathrm{kg} で割ると 1.1×1011M1.1 \times 10^{11}\, M_\odot、およそ 1000 億太陽質量です。ここまでは「天の川銀河には 1000 億個くらい星がある」という話と矛盾しません。

問題は外側です。r=50 kpcr = 50\ \mathrm{kpc} でも回転速度はほぼ 200 km/s200\ \mathrm{km/s} を保っています。同じ式で内部質量を計算すると、r=1.54×1021 mr = 1.54\times 10^{21}\ \mathrm{m}v=2.0×105 m/sv = 2.0\times 10^{5}\ \mathrm{m/s} より

M=(2.0×105)2×1.54×10216.674×1011=9.2×1041 kg=4.6×1011MM = \frac{(2.0\times 10^{5})^2 \times 1.54\times 10^{21}}{6.674\times 10^{-11}} = 9.2\times 10^{41}\ \mathrm{kg} = 4.6\times 10^{11}\, M_\odot

です。ところが 8.2 kpc8.2\ \mathrm{kpc} より外側には、内側に比べて光る星はほとんどありません。仮に光る物質が 1.1×1011M1.1\times 10^{11}\,M_\odot で打ち止めだとすると、50 kpc50\ \mathrm{kpc} での回転速度は

v=6.674×1011×2.1×10411.54×1021=9.5×104 m/s=95 km/sv = \sqrt{\frac{6.674\times10^{-11} \times 2.1\times 10^{41}}{1.54\times 10^{21}}} = 9.5\times 10^{4}\ \mathrm{m/s} = 95\ \mathrm{km/s}

でなければなりません。観測値の半分以下です。速度が 2 倍違えば質量は 4 倍違います。見えない質量が、見える質量の 3 倍以上あるという結論になります。

3.3. 「重力の法則が間違っている」説はどうか

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ここで自然な反論が出ます。「見えない物質を持ち出すより、遠方で重力の法則がニュートンからずれると考えるほうが節約的では?」これは筋の通った疑問で、実際 1983 年にミルグロムが提案した MOND(修正ニュートン力学)という理論があります。加速度が a01.2×1010 m/s2a_0 \simeq 1.2 \times 10^{-10}\ \mathrm{m/s^2} より小さい領域で重力の式を変える、というものです。

例 3.4弾丸銀河団:物質と重力が引き離された現場

2006 年、クロウらは「弾丸銀河団(1E 0657-56)」という、二つの銀河団が衝突しつつある天体を調べました。ここでは次の二つが別々に測れます。

  1. 普通の物質(銀河団の質量の大部分を占める高温ガス)の分布 — X 線で見える。
  2. 全質量の分布 — 背後の銀河の像が歪む重力レンズ効果から再構成できる。

結果は劇的でした。高温ガスは衝突で摩擦を受けて中央に取り残されているのに、重力の中心は両側に二つ、素通りしたかのように分かれていたのです。重力の源が普通の物質のいる場所にない。これは「重力の法則を修正すれば済む」という説明では非常に苦しく、「衝突してもすり抜ける、見えない物質がある」という説明が自然です。

注意 3.5

MOND は銀河 1 個のスケールでは回転曲線を驚くほどよく再現します。しかし銀河団のスケール、CMB の音響ピークの高さの比、そして 例 3.4 のような事例では説明が難しくなります。現在の主流はダークマター説ですが、「銀河スケールで MOND がなぜあれほどうまくいくのか」自体が未解決の問いとして残っています。未解決問題は入れ子になっているのです。

正体の候補としては、まだ見つかっていない素粒子である WIMP(弱く相互作用する重い粒子)、アクシオン、原始ブラックホールなどが挙げられています。地下深くに置いた検出器(XENONnT、LUX-ZEPLIN など)が何十年も待ち構えていますが、2020 年代半ばの時点で確定的な信号は捉えられていません。候補の中で最有力とされていた WIMP は、探索範囲がどんどん狭められている状況です。

4. 加速する膨張 — ダークエネルギー

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1990 年代、二つの国際チームが同じ目標に取り組んでいました。遠方の Ia 型超新星を「標準光源」として使い、宇宙の膨張がどれくらい減速しているかを測ることです。重力は引力ですから、膨張は減速しているはずでした。争点は「減速の度合い」だけのはずでした。

1998 年、両チームが出した答えは同じで、しかも誰も予想していないものでした。遠方の超新星は、減速膨張を仮定した場合の予想より暗かったのです。赤方偏移 z0.5z \simeq 0.5 の超新星で 0.2 等ほど暗い。等級 Δm\Delta m と明るさ(フラックス)FF の関係は F100.4ΔmF \propto 10^{-0.4\Delta m} ですから、Δm=0.2\Delta m = 0.2 は明るさが 100.08=0.8310^{-0.08} = 0.83 倍、つまり 17% 暗いことを意味します。明るさは距離の 2 乗に反比例するので、距離は 1/0.83=1.101/\sqrt{0.83} = 1.10 倍、1 割ほど遠い。予想より遠くまで行っている、つまり膨張は加速していたのです。

定義 4.1ダークエネルギーと宇宙定数

宇宙の膨張を加速させる、負の圧力をもつエネルギー成分をダークエネルギーという。その圧力 pp とエネルギー密度 ε\varepsilon の比 w=p/εw = p/\varepsilonw=1w = -1 で時間変化しない場合、これはアインシュタイン方程式の宇宙定数 Λ\Lambda と等価であり、空間そのものが持つ一定のエネルギー密度(真空のエネルギー)として解釈される。

膨張が加速するには負の圧力が要る、という点は直感に反します。ざっくり言えば、一般相対論では圧力もまた重力源になり、ε+3p\varepsilon + 3p が正なら減速、負なら加速するからです。w=1w = -1 なら ε+3p=2ε<0\varepsilon + 3p = -2\varepsilon < 0 で、確かに加速します。ふつうの物質(p0p \simeq 0)やふつうの放射(p=ε/3p = \varepsilon/3)ではこうなりません。

この発見でパールマッター、シュミット、リースは 2011 年のノーベル物理学賞を受賞しました。皮肉なのは、アインシュタインが 1917 年に静的な宇宙を作るために導入し、膨張が発見された後に「生涯最大の失敗」として引っ込めたとされる宇宙定数が、80 年越しで復活したことです。物理学者の「失敗」は、しばしば早すぎた正解です。

ダークエネルギーの何が問題なのか。値を出してみます。

例 4.2ダークエネルギーの密度は陽子 3 個分

例 2.2 で求めた ρc=8.5×1027 kg/m3\rho_c = 8.5\times 10^{-27}\ \mathrm{kg/m^3}ΩΛ=0.685\Omega_\Lambda = 0.685 を掛け、c2c^2 を掛けてエネルギー密度に直します。

εΛ=0.685×8.5×1027×(3.00×108)2=5.2×1010 J/m3\varepsilon_\Lambda = 0.685 \times 8.5\times 10^{-27} \times (3.00\times 10^{8})^2 = 5.2\times 10^{-10}\ \mathrm{J/m^3}

陽子の静止エネルギーは 938 MeV=1.50×1010 J938\ \mathrm{MeV} = 1.50\times 10^{-10}\ \mathrm{J} ですから、これは 1 立方メートルあたり陽子 3.5 個分のエネルギーです。宇宙を加速膨張させている張本人は、密度としては呆れるほど希薄です。

注意 4.3真空のエネルギーの破局

場の量子論では、真空にもエネルギーがあります。各振動モードが零点エネルギー ω/2\hbar\omega/2 を持つからです。すべてのモードを足し上げると発散するので、理論が使える上限のエネルギー(カットオフ)で切ります。カットオフを重力が効き始めるプランクエネルギーに取ると、真空のエネルギー密度はおよそ 10113 J/m310^{113}\ \mathrm{J/m^3} になります。

観測値は 例 4.21010 J/m310^{-10}\ \mathrm{J/m^3} です。比は 1012310^{123}。カットオフを電弱スケールまで下げても、まだ 105510^{55} ほど合いません。この食い違いは「宇宙定数問題」と呼ばれ、ワインバーグの 1989 年の総説以来、理論物理学で最も深刻な未解決問題のひとつとされています。桁が 2 桁 3 桁ずれているのではありません。120 桁です。

観測の側では、ww が本当に 1-1 なのか、それとも時間変化しているのか(クインテッセンスと呼ばれる動的な場の可能性)を測る努力が続いています。現在のところ ww1-1 から数 % 以内で一致していますが、精度はまだ十分ではありません。ダークエネルギーが真空のエネルギーなのか、まったく別の何かなのかは、これからの観測にかかっています。

5. 最初の一瞬 — インフレーション

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5.1. ビッグバン理論の二つの困りごと

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ビッグバン宇宙論は、軽元素の存在比と CMB の存在を見事に説明しました。しかし二つの気持ち悪さを残していました。

例 5.1地平線問題:知り合いのはずがない場所が同じ温度

CMB は宇宙が誕生から約 38 万年後、電子と陽子が結合して宇宙が透明になった瞬間の光です。その温度は全天どこを見ても 2.725 K2.725\ \mathrm{K} で、方向による差はわずか 10510^{-5} 程度しかありません。

さて、38 万年後の時点で、情報が伝わりうる最大の距離(粒子的地平線)はどれくらいでしょうか。物質優勢の膨張宇宙では、スケール因子が at2/3a \propto t^{2/3} で伸びる効果を含めて、地平線の大きさは 3ct3ct になります。t=3.8×105 yr=1.2×1013 st = 3.8\times 10^{5}\ \mathrm{yr} = 1.2\times 10^{13}\ \mathrm{s} なので

dhor=3×3.00×108×1.2×1013=1.1×1022 md_{\text{hor}} = 3 \times 3.00\times 10^{8} \times 1.2\times 10^{13} = 1.1\times 10^{22}\ \mathrm{m}

です。その後宇宙は約 1090 倍に膨張したので、現在の物差しでは 1.2×1025 m380 Mpc1.2\times 10^{25}\ \mathrm{m} \simeq 380\ \mathrm{Mpc}。一方、CMB を出した面までの距離は現在の物差しで約 13900 Mpc13900\ \mathrm{Mpc} です。したがってこの地平線が天球上で張る角度は

θ38013900=0.027 rad=1.6\theta \simeq \frac{380}{13900} = 0.027\ \mathrm{rad} = 1.6^\circ

にすぎません。全天 4π sr4\pi\ \mathrm{sr} を、直径 1.61.6^\circ の円(立体角 π(0.8)2=6.1×104 sr\pi(0.8^\circ)^2 = 6.1\times 10^{-4}\ \mathrm{sr})で覆うと約 2 万個。つまり CMB の空は、互いに一度も連絡を取ったことのない約 2 万個の領域でできているのに、全部が同じ温度なのです。試験前に一度も口をきいたことのない 2 万人の答案が、小数点以下 5 桁まで一致しているようなものです。

もう一つは平坦性問題です。

命題 5.2平坦性問題

一様等方な宇宙のフリードマン方程式

H2=8πG3ρkc2a2H^2 = \frac{8\pi G}{3}\rho - \frac{kc^2}{a^2}

aa はスケール因子、kk は空間曲率)において、定義 2.1 の記号で全密度パラメータを Ω=ρ/ρc\Omega = \rho/\rho_c と書くと、

Ω1=kc2a˙2\Omega - 1 = \frac{kc^2}{\dot{a}^2}

が成り立つ。したがって、放射優勢期(at1/2a \propto t^{1/2})では Ω1a2|\Omega - 1| \propto a^2、物質優勢期(at2/3a \propto t^{2/3})では Ω1a|\Omega - 1| \propto a となり、いずれの場合も Ω1|\Omega-1| は時間とともに増大する。すなわち Ω=1\Omega = 1 は不安定な状態である。

証明(命題 5.2)

フリードマン方程式の両辺を H2H^2 で割ります。H=a˙/aH = \dot{a}/a に注意すると

1=8πGρ3H2kc2a2H2=Ωkc2a˙21 = \frac{8\pi G \rho}{3H^2} - \frac{kc^2}{a^2 H^2} = \Omega - \frac{kc^2}{\dot{a}^2}

となり、移項して Ω1=kc2/a˙2\Omega - 1 = kc^2/\dot{a}^2 を得ます。kkcc は定数なので、Ω1|\Omega - 1| の時間変化は a˙2\dot{a}^{-2} だけで決まります。

放射優勢期は at1/2a \propto t^{1/2} なので a˙t1/2\dot{a} \propto t^{-1/2}、よって a˙2ta2\dot{a}^{-2} \propto t \propto a^2 です。物質優勢期は at2/3a \propto t^{2/3} なので a˙t1/3\dot{a} \propto t^{-1/3}、よって a˙2t2/3a\dot{a}^{-2} \propto t^{2/3} \propto a です。どちらでも aa が増えれば Ω1|\Omega-1| が増えます。

これが問題である理由は次のとおりです。現在の観測は Ω01<0.01|\Omega_0 - 1| < 0.01 を示しています。この値を過去にさかのぼらせます。物質・放射が等しくなった時期(aa が今の 1/34001/3400)までは aa に比例するので Ω1<0.01/3400=3×106|\Omega-1| < 0.01/3400 = 3\times 10^{-6}、そこからビッグバン元素合成の時期(aa が今の 4×10104\times 10^{-10}、等時期の 1.4×1061.4\times 10^{-6} 倍)までは a2a^2 に比例するので

Ω1<3×106×(1.4×106)26×1018|\Omega - 1| < 3\times 10^{-6} \times (1.4\times 10^{-6})^2 \simeq 6\times 10^{-18}

でなければなりません。宇宙は生まれて 3 分の時点で、平坦から 17 桁の精度でずれていなかったことになります。鉛筆を芯の先で立てて、138 億年倒れないようにするような話です。「たまたまそうだった」で片づけるのは気持ちが悪い、というのが平坦性問題です。

5.2. インフレーションという処方箋

Section titled “5.2. インフレーションという処方箋”

1981 年、アラン・グースと佐藤勝彦は独立に、宇宙が誕生直後のごく短い間に指数関数的な急膨張をした、という描像を提案しました。リンデ、アルブレヒト、スタインハートらの改良を経て、現在の姿になっています。

定義 5.3インフレーション

宇宙の初期(おおよそ 103610^{-36} 秒後から 103210^{-32} 秒後)に、スケール因子が aeHta \propto e^{Ht}HH はほぼ一定)の形で指数関数的に増大した時期があった、とする仮説をインフレーションという。膨張の倍率は少なくとも e601026e^{60} \simeq 10^{26} 倍と考えられている。

この一撃で両方の問題が解けます。

  • 地平線問題:現在観測される宇宙全体は、インフレーション前には地平線よりずっと小さな 1 領域に収まっていました。だから温度が揃っているのは当たり前です。全員がもともと同じ教室にいたのです。
  • 平坦性問題:インフレーション中は HH が一定なので a˙=HaeHt\dot{a} = Ha \propto e^{Ht}命題 5.2 の式から Ω1e2Ht|\Omega-1| \propto e^{-2Ht} となり、指数関数的に 1 に近づきます。60 e-folds なら e1201052e^{-120} \simeq 10^{-52} 倍。風船を巨大化させれば表面のどこも平らに見える、という比喩そのままです。

さらに嬉しいおまけがありました。インフレーション中の量子ゆらぎが引き伸ばされて、後の銀河の種になる密度ゆらぎを作る、という予言です。しかもそのゆらぎのスペクトルは、ほぼスケール不変(あらゆる大きさで同程度)だが、わずかに大スケール寄りになるはずだ、という定量的な予言でした。指数 nsn_s11 よりわずかに小さくなる、というものです。

プランク衛星の観測値は ns=0.965±0.004n_s = 0.965 \pm 0.00411 ではなく、しかし 11 に近い。予言どおりでした。

これだけ当たっているのに、なぜインフレーションは「未解決問題」なのか。

第一に、何がインフレーションを起こしたのか分かっていません。インフラトンと呼ばれるスカラー場が担ったと考えられていますが、その正体も、ポテンシャルの形も、標準模型のどの粒子と関係するのかも未確定です。提案されたモデルは数百に上ります。予言が当たったモデルが数百あるとき、それは「理論が確立した」とは言いません。

第二に、決定的証拠がまだありません。インフレーションは密度ゆらぎだけでなく原始重力波も作るはずで、それは CMB の偏光に「B モード」という渦巻き模様を残します。テンソル・スカラー比 rr がその強さです。2014 年、BICEP2 チームが r0.2r \simeq 0.2 の検出を発表して大騒ぎになりましたが、翌年、信号の大部分が銀河系内のダストによるものだったと判明しました。現在の上限は r<0.036r < 0.036(BICEP/Keck、2021 年)で、多くのモデルが排除されつつあります。

第三に、インフレーションは一度始まると多くのモデルで永遠に続き、無数の「泡宇宙」を生み出します(永久インフレーション)。これが正しければ私たちの宇宙は多宇宙の一つですが、他の泡は原理的に観測できません。反証できない予言は科学的予言と言えるのかという、物理学の方法論そのものに関わる論争がここから生じています。

6. 二つの理論の衝突 — 量子重力

Section titled “6. 二つの理論の衝突 — 量子重力”

20 世紀物理学の二本の柱は、どちらもそれぞれの持ち場では完璧です。一般相対論は重い天体、大きなスケール、滑らかな時空を扱います。量子力学は軽い粒子、小さなスケール、確率的な重ね合わせ(定義 2.1)[シュレーディンガーの猫]を扱います。持ち場が離れている限り、二人は喧嘩しません。

問題は、重くて小さいものがあるときです。具体的にはブラックホールの中心と、宇宙誕生の瞬間。ここでは両方の理論を同時に使う必要があり、そして両方を同時に使うと計算が破綻します。

その境界がどこにあるかは、次元解析だけで分かります。

定義 6.1プランク単位

ニュートン定数 GG、換算プランク定数 \hbar、光速 cc の三つだけから作られる長さ・時間・エネルギーの単位をプランク長・プランク時間・プランクエネルギーという。重力(GG)と量子力学(\hbar)と相対論(cc)がすべて同時に効くスケールを表す。

命題 6.2プランク長の次元解析

GG\hbarcc から作られる長さの次元をもつ量は、無次元の定数倍を除いて

P=Gc3\ell_P = \sqrt{\frac{\hbar G}{c^3}}

に限られる。その値は P=1.62×1035 m\ell_P = 1.62 \times 10^{-35}\ \mathrm{m} である。

証明(命題 6.2)

=Gαβcγ\ell = G^{\alpha}\hbar^{\beta}c^{\gamma} と置きます。各量の次元は

[G]=m3kg1s2,[]=kgm2s1,[c]=ms1[G] = \mathrm{m^3\,kg^{-1}\,s^{-2}}, \quad [\hbar] = \mathrm{kg\,m^2\,s^{-1}}, \quad [c] = \mathrm{m\,s^{-1}}

です(\hbar はエネルギー×時間 =kgm2s2×s= \mathrm{kg\,m^2 s^{-2}} \times \mathrm{s})。[]=m[\ell] = \mathrm{m} となるよう、次元ごとに指数を合わせます。

m :3α+2β+γ=1kg :α+β=0s :2αβγ=0\begin{aligned} \mathrm{m}\ &: \quad 3\alpha + 2\beta + \gamma = 1 \\ \mathrm{kg}\ &: \quad -\alpha + \beta = 0 \\ \mathrm{s}\ &: \quad -2\alpha - \beta - \gamma = 0 \end{aligned}

第 2 式より β=α\beta = \alpha。これを第 3 式に入れると γ=2αβ=3α\gamma = -2\alpha - \beta = -3\alpha。第 1 式に代入して 3α+2α3α=13\alpha + 2\alpha - 3\alpha = 1、すなわち 2α=12\alpha = 1 から α=1/2\alpha = 1/2 を得ます。よって β=1/2\beta = 1/2γ=3/2\gamma = -3/2 で、P=G/c3\ell_P = \sqrt{\hbar G/c^3} です。連立方程式の解が一意なので、この形以外にはありません。

数値を入れます。G=1.055×1034×6.674×1011=7.04×1045\hbar G = 1.055\times 10^{-34} \times 6.674\times 10^{-11} = 7.04\times 10^{-45}c3=2.69×1025c^3 = 2.69\times 10^{25} なので

P=7.04×10452.69×1025=2.61×1070=1.62×1035 m\ell_P = \sqrt{\frac{7.04\times 10^{-45}}{2.69\times 10^{25}}} = \sqrt{2.61\times 10^{-70}} = 1.62\times 10^{-35}\ \mathrm{m}

です。陽子の大きさ(約 1015 m10^{-15}\ \mathrm{m})の 20 桁下、という途方もない小ささです。

系 6.3プランクエネルギーと加速器の大きさ

プランク長に対応するエネルギーは EP=c5/G1.22×1019 GeV=1.22×1016 TeVE_P = \sqrt{\hbar c^5/G} \simeq 1.22\times 10^{19}\ \mathrm{GeV} = 1.22\times 10^{16}\ \mathrm{TeV} である。LHC の陽子ビーム 1 本のエネルギーは 6.8 TeV6.8\ \mathrm{TeV} であり、その比は約 1.8×10151.8\times 10^{15} である。

証明(系 6.3)

エネルギーの次元は kgm2s2\mathrm{kg\,m^2\,s^{-2}} です。命題 6.2 の証明と同じ手順で E=GαβcγE = G^{\alpha}\hbar^{\beta}c^{\gamma} と置くと、m\mathrm{m} について 3α+2β+γ=23\alpha + 2\beta + \gamma = 2kg\mathrm{kg} について α+β=1-\alpha + \beta = 1s\mathrm{s} について 2αβγ=2-2\alpha - \beta - \gamma = -2 となります。第 2 式より β=α+1\beta = \alpha + 1。第 1 式と第 3 式を足すと α+β=0\alpha + \beta = 0 なので、これと合わせて α=1/2\alpha = -1/2β=1/2\beta = 1/2γ=5/2\gamma = 5/2 を得ます。よって EP=c5/GE_P = \sqrt{\hbar c^5/G} です。数値は c5=1.055×1034×2.42×1042=2.55×108\hbar c^5 = 1.055\times 10^{-34} \times 2.42\times 10^{42} = 2.55\times 10^{8} より

EP=2.55×1086.674×1011=3.83×1018=1.96×109 JE_P = \sqrt{\frac{2.55\times 10^{8}}{6.674\times 10^{-11}}} = \sqrt{3.83\times 10^{18}} = 1.96\times 10^{9}\ \mathrm{J}

です。1 GeV=1.602×1010 J1\ \mathrm{GeV} = 1.602\times 10^{-10}\ \mathrm{J} で割ると 1.22×1019 GeV1.22\times 10^{19}\ \mathrm{GeV} となります。LHC のビームは 6.8 TeV=6.8×103 GeV6.8\ \mathrm{TeV} = 6.8\times 10^{3}\ \mathrm{GeV} なので、比は 1.22×1019/6.8×103=1.8×10151.22\times 10^{19}/6.8\times 10^{3} = 1.8\times 10^{15} です。

例 6.4プランクエネルギーの加速器を作ると

円形加速器の到達エネルギーは、磁石の技術が同じなら周長にほぼ比例します。LHC の周長は 27 km27\ \mathrm{km} ですから、系 6.3 の比を掛けると

27 km×1.8×1015=4.8×1016 km27\ \mathrm{km} \times 1.8\times 10^{15} = 4.8\times 10^{16}\ \mathrm{km}

11 光年 =9.46×1012 km= 9.46\times 10^{12}\ \mathrm{km} で割ると 約 5000 光年。天の川銀河の直径が 10 万光年ですから、銀河のかなりの部分を加速器で埋めることになります。予算は聞かないことにします。

これが量子重力を実験で調べられない理由です。理論家が思弁的にならざるをえないのは、怠慢ではなく物理的な制約です。

一般相対論を量子場の理論として素直に扱おうとすると、計算に無限大が現れます。素粒子論では無限大自体は珍しくなく、「くりこみ」という手続きで有限個のパラメータに押し込めれば理論は使えます。標準模型はそれで成功しました。

ところが重力では、これがうまくいきません。1986 年、ゴロフとサニョッティは、真空中のアインシュタイン重力が 2 ループの計算で取り除けない発散を持つことを示しました。無限大を吸収するために無限個のパラメータが必要になり、予言能力を失うのです。一般相対論は低エネルギーでは優れた有効理論ですが、プランクスケールでは理論そのものを取り替える必要がある、というのが現在の理解です。

もう一つの深刻な症状が、ブラックホール情報問題です。ホーキングは 1974 年から 1976 年にかけて、ブラックホールが熱的な放射を出して蒸発することを示しました。放射が完全に熱的なら、飲み込まれた物体の情報は永久に失われます。ところが量子力学の時間発展はユニタリー(情報を保存する)です。一般相対論と量子力学のどちらかが間違っていることになります。この問題は、量子重力理論が満たすべき条件を教えてくれる試験問題として、いまも活発に研究されています。

理論時空の見方強み弱み
超弦理論素粒子は点でなく弦。時空は 10 次元摂動論的に無矛盾で重力を含む。ある種のブラックホールのエントロピーを微視的に導出できた実験的検証が事実上困難。真空の選び方が 1050010^{500} 通り規模
ループ量子重力空間そのものが離散的なネットワーク背景時空を前提としない。面積・体積が量子化される低エネルギー極限で一般相対論を再現できるかが未決着
漸近的安全性通常の場の理論のまま、高エネルギーで固定点に到達既存の枠組みの延長で済む固定点の存在が近似計算に依存している
因果的集合時空は事象の離散的な半順序集合因果構造を最も根源的な構造として扱う動力学の構成が未完成

どれも決定的ではありません。90 年以上の努力にもかかわらず、「これが正解だ」と言える理論はまだありません。ファインマンやアインシュタインが取り組んだ問題が、今も机の上に載っているわけです(彼らの人となりは 有名な物理学者たち にあります)。

なお、量子力学の側にも足元の問題が残っています。「観測すると波動関数が収縮する」とは物理的に何が起きているのか、という測定問題です。詳しくは 観測問題(注意 5.1)[シュレーディンガーの猫]、および シュレーディンガーの猫 を参照してください。

紙幅の都合で駆け足になりますが、同じくらい重要な問題を並べておきます。「四大問題」だけが未解決なのではありません。

問題中身現状
物質・反物質の非対称性ビッグバンで物質と反物質が同量できたなら、対消滅して光しか残らないはず。実際には光子 10910^{9} 個に対し陽子 1 個ほどの物質が残った標準模型の CP 対称性の破れでは量が足りない
ニュートリノの質量質量があることは振動から確定したが、絶対値も、なぜ他の粒子より 10610^{6} 倍以上軽いのかも不明宇宙論からの上限は質量和で 0.12 eV0.12\ \mathrm{eV} 程度
強い CP 問題強い相互作用は CP 対称性を破ってよいはずなのに、実験的に破れが 101010^{-10} 以下アクシオンによる解決案があり、探索中
階層性問題ヒッグス粒子の質量がなぜプランクスケールでなく 125 GeV125\ \mathrm{GeV} なのか超対称性が有力候補だったが LHC では未発見
ハッブル張力CMB から求めた膨張率 67.467.4 と、近傍の超新星から求めた 73.0 km/s/Mpc73.0\ \mathrm{km/s/Mpc}5σ5\sigma 級で食い違う系統誤差か新物理かで論争中
高温超伝導銅酸化物が 100 K100\ \mathrm{K} を超える温度で超伝導になる機構が未解明従来の BCS 理論では説明できない
乱流ナビエ–ストークス方程式は既知なのに、乱流の統計を第一原理から導けない数学的にも解の存在と滑らかさが未解決

最後の乱流は、マクスウェルの悪魔 で扱うような統計物理(ボルツマンのエントロピー(定義 2.2)[マクスウェルの悪魔])の難しさと地続きです。基礎方程式を手に入れることと、世界を理解することの間には、まだ広い隙間があります。

物理学が完成する日は、少なくとも当分来そうにありません。19 世紀末の助言者が正しかったなら、20 世紀の物理学は存在しませんでした。今「もう大事なことは終わった」と言う人がいたら、たぶんまた間違っています。

演習 8.1

天の川銀河の外縁部、中心から r=30 kpcr = 30\ \mathrm{kpc} の位置でも回転速度が v=200 km/sv = 200\ \mathrm{km/s} であったとする。この半径の内側にある全質量を太陽質量単位で求めよ。1 kpc=3.086×1019 m1\ \mathrm{kpc} = 3.086\times10^{19}\ \mathrm{m}G=6.674×1011 m3kg1s2G = 6.674\times 10^{-11}\ \mathrm{m^3 kg^{-1} s^{-2}}M=1.99×1030 kgM_\odot = 1.99\times 10^{30}\ \mathrm{kg} を使ってよい。

解答

命題 3.2M(r)=v2r/GM(r) = v^2 r/G を使います。単位を SI に直すと r=30×3.086×1019=9.26×1020 mr = 30 \times 3.086\times 10^{19} = 9.26\times 10^{20}\ \mathrm{m}v=2.00×105 m/sv = 2.00\times 10^{5}\ \mathrm{m/s} です。

M=(2.00×105)2×9.26×10206.674×1011=4.00×1010×9.26×10206.674×1011=5.55×1041 kgM = \frac{(2.00\times 10^{5})^2 \times 9.26\times 10^{20}}{6.674\times 10^{-11}} = \frac{4.00\times 10^{10} \times 9.26\times 10^{20}}{6.674\times 10^{-11}} = 5.55\times 10^{41}\ \mathrm{kg}

太陽質量で割ると

5.55×10411.99×1030=2.8×1011M\frac{5.55\times 10^{41}}{1.99\times 10^{30}} = 2.8\times 10^{11}\, M_\odot

すなわち約 2800 億太陽質量です。例 3.3 で見た「太陽軌道の内側の 1.1×1011M1.1\times 10^{11}\,M_\odot」の 2.5 倍以上あり、しかも 8.2 kpc8.2\ \mathrm{kpc} から 30 kpc30\ \mathrm{kpc} の間には光る星がほとんどありません。この差を埋めるのがダークマターです。

演習 8.2標準

例 2.2例 4.2 の数値を使い、ダークエネルギーのエネルギー密度が、普通の物質(バリオン)の静止エネルギー密度の何倍かを求めよ。

解答

普通の物質の質量密度は 例 2.2 より ρb=4.2×1028 kg/m3\rho_b = 4.2\times 10^{-28}\ \mathrm{kg/m^3} です。これを静止エネルギー密度に直すと

εb=ρbc2=4.2×1028×9.00×1016=3.8×1011 J/m3\varepsilon_b = \rho_b c^2 = 4.2\times 10^{-28} \times 9.00\times 10^{16} = 3.8\times 10^{-11}\ \mathrm{J/m^3}

です。ダークエネルギーは εΛ=5.2×1010 J/m3\varepsilon_\Lambda = 5.2\times 10^{-10}\ \mathrm{J/m^3} なので、比は

5.2×10103.8×1011=14\frac{5.2\times 10^{-10}}{3.8\times 10^{-11}} = 14

約 14 倍です。これは密度パラメータの比 0.685/0.049=140.685/0.049 = 14 と一致します(当然ですが、検算になります)。星も惑星も人間も、宇宙のエネルギー収支では 14 分の 1 以下の脇役だということです。

演習 8.3標準

命題 6.2 と同じ方法で、GG\hbarcc から作られる時間の次元をもつ量(プランク時間)tPt_P を求め、その数値を計算せよ。

解答

t=Gαβcγt = G^{\alpha}\hbar^{\beta}c^{\gamma} と置き、[t]=s[t] = \mathrm{s} となる条件を書きます。命題 6.2 の証明と同じ次元表を使うと

m :3α+2β+γ=0kg :α+β=0s :2αβγ=1\begin{aligned} \mathrm{m}\ &: \quad 3\alpha + 2\beta + \gamma = 0 \\ \mathrm{kg}\ &: \quad -\alpha + \beta = 0 \\ \mathrm{s}\ &: \quad -2\alpha - \beta - \gamma = 1 \end{aligned}

です。第 2 式より β=α\beta = \alpha。第 1 式から γ=3α2β=5α\gamma = -3\alpha - 2\beta = -5\alpha。これを第 3 式に入れると 2αα+5α=1-2\alpha - \alpha + 5\alpha = 1、すなわち 2α=12\alpha = 1α=1/2\alpha = 1/2。よって β=1/2\beta = 1/2γ=5/2\gamma = -5/2

tP=Gc5t_P = \sqrt{\frac{\hbar G}{c^5}}

を得ます。数値は G=7.04×1045\hbar G = 7.04\times 10^{-45}c5=(3.00×108)5=2.42×1042c^5 = (3.00\times 10^{8})^5 = 2.42\times 10^{42} より

tP=7.04×10452.42×1042=2.91×1087=5.4×1044 st_P = \sqrt{\frac{7.04\times 10^{-45}}{2.42\times 10^{42}}} = \sqrt{2.91\times 10^{-87}} = 5.4\times 10^{-44}\ \mathrm{s}

です。P/c=1.62×1035/3.00×108=5.4×1044 s\ell_P / c = 1.62\times 10^{-35}/3.00\times 10^{8} = 5.4\times 10^{-44}\ \mathrm{s} とも一致します。「光がプランク長を横切る時間」というわけです。ビッグバンからこの時間が経つまでの宇宙については、今の物理学は何も言えません。

演習 8.4

「ダークマターの正体は、単に暗くて見えないだけの普通の物質(暗い星、惑星、冷たいガス)ではないか」という主張がある。これが成り立たない理由を、異なる観測に基づいて 2 つ挙げよ。

解答

理由 1:ビッグバン元素合成。 宇宙誕生から数分の間に、陽子と中性子から重水素・ヘリウム 4・リチウム 7 が作られました。作られる量は、そのときの陽子と中性子(バリオン)の密度に敏感に依存します。特に重水素は、バリオン密度が高いほど燃え尽きて減ります。観測される重水素・ヘリウムの存在量から逆算されるバリオン密度は Ωb0.05\Omega_b \simeq 0.05 で、これは全物質量 Ωm0.315\Omega_m \simeq 0.315 の 6 分の 1 にすぎません。暗い星も惑星も冷たいガスも陽子と中性子でできているので、この上限の中に入ります。足りません。

理由 2:CMB の音響ピーク。 晴れ上がり前の宇宙では、光と結合したバリオンが重力と輻射圧の綱引きで振動していました。この振動が CMB の温度ゆらぎに一連のピークとして刻まれています。第 1 ピークと第 2 ピークの高さの比は、バリオンの量とダークマターの量の比に依存します。プランク衛星の測定は、光と結合しない物質がバリオンの約 5 倍あることを高い精度で示します。これはバリオン以外の物質があることの独立な証拠です。

(補足として、理由 3 も挙げられます。例 3.4 の弾丸銀河団では、普通の物質は衝突で減速したのに重力の中心はすり抜けていました。暗い星やガスであれば、多かれ少なかれ衝突の影響を受けるはずです。また、暗い星や惑星サイズの天体が大量にあれば、背景星の前を横切るときに重力マイクロレンズによる増光が起きるはずですが、その探査(MACHO 探査)でも必要な数は見つかりませんでした。)

  • Planck Collaboration, “Planck 2018 results. VI. Cosmological parameters”, Astronomy & Astrophysics 641 (2020), A6. arXiv:1807.06209 — この記事の宇宙論パラメータの数値はすべてここから取っています。
  • V. C. Rubin and W. K. Ford Jr., “Rotation of the Andromeda Nebula from a Spectroscopic Survey of Emission Regions”, The Astrophysical Journal 159 (1970), 379 — 平坦な回転曲線の古典的論文。
  • D. Clowe et al., “A Direct Empirical Proof of the Existence of Dark Matter”, The Astrophysical Journal 648 (2006), L109. arXiv:astro-ph/0608407 — 弾丸銀河団。
  • S. Weinberg, “The cosmological constant problem”, Reviews of Modern Physics 61 (1989), 1 — 宇宙定数問題の古典的総説。
  • A. H. Guth, “Inflationary universe: A possible solution to the horizon and flatness problems”, Physical Review D 23 (1981), 347 — インフレーションの原論文。
  • 松原隆彦『現代宇宙論 ― 時空と物質の共進化』東京大学出版会、2010 — 日本語でフリードマン方程式からインフレーションまでを扱う教科書。
  • 大栗博司『重力とは何か — アインシュタインから超弦理論へ、宇宙の謎に迫る』幻冬舎新書、2012 — 量子重力の全体像を数式なしで俯瞰する一般向け解説。

Appendix: この記事の数値について

Section titled “Appendix: この記事の数値について”

出典の方針。 宇宙論パラメータ(H0=67.4 km/s/MpcH_0 = 67.4\ \mathrm{km/s/Mpc}Ωb=0.049\Omega_b = 0.049Ωc=0.265\Omega_c = 0.265ΩΛ=0.685\Omega_\Lambda = 0.685ns=0.965n_s = 0.965)はすべて Planck 2018 の TT,TE,EE+lowE+lensing 解析の値に基づく丸めた数値です。有効数字 2 桁程度で扱っており、細かい桁は解析手法によって変わります。

銀河の数値。 太陽の銀河中心距離 8.2 kpc8.2\ \mathrm{kpc} と回転速度 235 km/s235\ \mathrm{km/s} は、Gaia 衛星などによる近年の推定の代表値です。50 kpc50\ \mathrm{kpc} での回転速度 200 km/s200\ \mathrm{km/s} は、外縁部の衛星銀河や球状星団の運動から推定される概算値で、±20 km/s\pm 20\ \mathrm{km/s} 程度の不確かさがあります。例 3.3 の結論(見えない質量が見える質量の 3 倍以上)は、この程度の誤差では変わりません。

近似の扱い。 例 5.1 の地平線の見込み角の計算では、物質優勢を仮定した dhor=3ctd_{\text{hor}} = 3ct と、CMB までの共動距離 13900 Mpc13900\ \mathrm{Mpc} を使いました。放射の寄与や暗黒エネルギーによる膨張史の変化を厳密に扱うと数十パーセント変わりますが、「11^\circ から 22^\circ 程度」という結論は変わりません。注意 4.31012310^{123} という比も、カットオフの取り方に依存する概算です。慣例に従って「120120 桁」と述べています。

まだ動く数字。 ハッブル張力の食い違い(67.467.473.0 km/s/Mpc73.0\ \mathrm{km/s/Mpc})と、テンソル・スカラー比の上限 r<0.036r < 0.036 は、観測が進むにつれて変わる可能性が高い数値です。この記事は 2020 年代半ばの状況を書いたもので、未解決問題の記事が数年で古びるのは、むしろ研究が進んでいる証拠だと考えてください。

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