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スペクトル三つ組 (A, H, D):ディラック作用素で幾何を定義する

Prerequisite:K-理論入門:射影とユニタリで測る非可換空間の位相

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  • スペクトル三つ組 (A,H,D)(\mathcal{A},\mathcal{H},D) は、*-代数 A\mathcal{A}(空間の座標環)、その表現の場であるヒルベルト空間 H\mathcal{H}、自己共役作用素 DD(微分と距離)の三点組で、リーマン多様体に相当する構造を可換性を仮定せずに記述します。
  • 課される条件は本質的に 2 つだけです。すべての aAa\in\mathcal{A} について交換子 [D,π(a)][D,\pi(a)] が有界であること(aa がリプシッツであることに対応)と、DD がコンパクトレゾルベントを持つこと(多様体のコンパクト性に対応)。
  • 距離は道の長さではなく、状態の上の上限公式 d(φ,ψ)=sup{φ(a)ψ(a):[D,π(a)]1}d(\varphi,\psi)=\sup\{|\varphi(a)-\psi(a)| : \|[D,\pi(a)]\|\le 1\} で定義されます。可換な場合これは測地距離に一致します(Theorem 5.5)。
  • 次元と体積はスペクトルから読み取れます。D1|D|^{-1} の特異値の減少度が次元を、ディクシエ跡 Trω(Dn)\mathrm{Tr}_\omega(|D|^{-n}) が体積を与えます(Theorem 6.3)。
  • 可換なスペクトル三つ組に 7 つの公理を課すと、逆に AC(M)\mathcal{A}\cong C^\infty(M) となるコンパクトスピンc{}^{c}多様体 MM が一意に復元されます(Theorem 7.1)。「幾何 = 代数 + 作用素」という等式が、両向きに成り立つわけです。

1. 動機:距離を関数の側から定義し直す

Section titled “1. 動機:距離を関数の側から定義し直す”

ゲルファント–ナイマルクの定理(Theorem 4.1)[Motivating Noncommutative Geometry] は、可換な単位的 CC^*-代数の圏とコンパクトハウスドルフ空間の圏が反変的に同値であることを述べます。この辞書のおかげで、空間を扱う代わりにその上の関数環を扱えるようになり、環の可換性を捨てれば「非可換な空間」の理論が始まります。この出発点については 非可換幾何学への動機C*-代数の基礎 を参照してください。

しかしこの辞書が翻訳してくれるのは位相だけです。C(M)C(M) という CC^*-代数から読み取れるのは、MM がコンパクトハウスドルフ空間であるという情報に尽きます。リーマン計量、次元、体積、微分形式といった微分幾何の道具は、この段階では完全に失われています。

素朴な障害は、リーマン距離の定義の形にあります。dg(p,q)d_g(p,q) は「ppqq を結ぶ道の長さの下限」でした。ところが非可換代数には点(=指標)が足りず、道はなおさら存在しません。したがって距離を関数の側から定義し直す必要があります。

ここで効くのが、次の初等的だが決定的な事実です。連結なコンパクトリーマン多様体 (M,g)(M,g) 上で

dg(p,q)  =  sup{f(p)f(q)  :  fC(M), f は実数値, supxMf(x)g1}d_g(p,q) \;=\; \sup\bigl\{\,|f(p)-f(q)| \;:\; f\in C^\infty(M),\ f \text{ は実数値},\ \sup_{x\in M}|\nabla f(x)|_g\le 1 \,\bigr\}

が成り立ちます。左辺は道についての下限、右辺は関数についての上限で、互いに双対的な言い換えになっています。右辺では点 p,qp,q は「C(M)C(M) 上の評価汎関数 ff(p)f\mapsto f(p)」としてしか現れず、MM の点集合としての構造には触れていません。あとは制約条件 supf1\sup|\nabla f|\le 1 を代数と作用素の言葉だけで書けば、そのまま非可換代数へ移植できます。

その鍵がディラック作用素です。スピン多様体上のディラック作用素 DD と実数値関数 ff に対して、L2L^2 スピノルの上で

[D,f]=c(df),[D,f]=supxMf(x)g[D, f] = c(df), \qquad \bigl\|[D,f]\bigr\| = \sup_{x\in M}|\nabla f(x)|_g

が成り立ちます(Proposition 4.2)。「勾配の大きさ」という微分幾何的な量が、交換子の作用素ノルムという純粋に作用素論的な量として書き直せたわけです。そして ff を非可換代数の元 aa に置き換えても、[D,π(a)]\|[D,\pi(a)]\| はそのまま意味を持ちます。これがスペクトル三つ組の全体像です。

flowchart TB
A["A:非可換 *-代数(空間の座標環)"] --> T["スペクトル三つ組 (A, H, D)"]
H["H:ヒルベルト空間(表現の場、状態)"] --> T
D["D:自己共役作用素(微分と距離)"] --> T
T --> M1["距離:状態空間の上の距離関数"]
T --> M2["次元:D の固有値の増大度"]
T --> M3["積分:ディクシエ跡による体積"]
T --> M4["位相:K ホモロジー類と指数対"]
スペクトル三つ組の三成分と、そこから取り出される幾何量

歴史的な経緯も一言添えておきます。アティヤは 1970 年に、楕円型作用素を「有界作用素 FFF21F^2-1 がコンパクトなもの」として抽象化し、K ホモロジーの実現を与えました。カスパロフの KKKK 理論とコンヌのフレドホルム加群はこの路線の完成形です。しかし有界作用素 FF に移った時点で、計量の情報は失われます(FF を作るときに DDD|D| で割ってスケールを潰すからです)。バーイとジュルグは 1983 年に、非有界な DD をそのまま保持しても同じ KKKK 類が得られることを示しました。コンヌはこの非有界表示を主役に据え、位相(K ホモロジー類)と計量(距離公式)を同時に扱う枠組みとしてスペクトル三つ組を定式化したのです。

H\mathcal{H} は常に可分な複素ヒルベルト空間、B(H)B(\mathcal{H}) は有界作用素の全体、K(H)\mathcal{K}(\mathcal{H}) はコンパクト作用素のイデアルとします。

特異値とシャッテンクラス。 コンパクト作用素 TT に対し、T=(TT)1/2|T|=(T^*T)^{1/2} の固有値を重複度こみで大きい順に並べたものを特異値 μ1(T)μ2(T)0\mu_1(T)\ge\mu_2(T)\ge\cdots\ge 0 と書きます。ミニマックス原理により μk(T)=inf{TR:rankR<k}\mu_k(T)=\inf\{\|T-R\| : \operatorname{rank}R<k\} です。p1p\ge 1 に対し

Lp={TK(H):k1μk(T)p<},Lp,={TK(H):μk(T)=O(k1/p)}\mathcal{L}^{p}=\Bigl\{T\in\mathcal{K}(\mathcal{H}) : \sum_{k\ge1}\mu_k(T)^p<\infty\Bigr\}, \qquad \mathcal{L}^{p,\infty}=\bigl\{T\in\mathcal{K}(\mathcal{H}) : \mu_k(T)=O(k^{-1/p})\bigr\}

とおきます。Lp,\mathcal{L}^{p,\infty}Lp\mathcal{L}^p をわずかに広げた両側イデアルで、LpLp,Lq\mathcal{L}^p\subset\mathcal{L}^{p,\infty}\subset\mathcal{L}^{q}q>pq>p)が成り立ちます。

ディクシエ跡。 T0T\ge 0L1,\mathcal{L}^{1,\infty} に属するとき、部分和 σN(T)=kNμk(T)\sigma_N(T)=\sum_{k\le N}\mu_k(T)O(logN)O(\log N) です。バナッハ極限 ω\omega を一つ固定して

Trω(T)=limω 1logNkNμk(T)\mathrm{Tr}_\omega(T)=\lim_{\omega}\ \frac{1}{\log N}\sum_{k\le N}\mu_k(T)

と定めたものをディクシエ跡と呼びます。これは L1,\mathcal{L}^{1,\infty} 上の跡(Trω(ST)=Trω(TS)\mathrm{Tr}_\omega(ST)=\mathrm{Tr}_\omega(TS))であって、有限階作用素の上では 00 になります。したがって「有限個の固有値を無視する」跡です。極限が ω\omega の選び方によらず存在するとき TT は可測であるといい、その値を Trω(T)\mathrm{Tr}_\omega(T) と書きます。以下で現れる作用素はすべて可測です。

非有界自己共役作用素。 DD は稠密な定義域 Dom(D)H\operatorname{Dom}(D)\subset\mathcal{H} を持つ作用素で、D=DD=D^*(定義域も一致)とします。このとき λCR\lambda\in\mathbb{C}\setminus\mathbb{R} に対しレゾルベント (Dλ)1(D-\lambda)^{-1}H\mathcal{H} 全体で定義された有界作用素で、(Dλ)1Imλ1\|(D-\lambda)^{-1}\|\le|\operatorname{Im}\lambda|^{-1} を満たします。有界ボレル関数 gg に対するスペクトル分解 g(D)g(D) も自由に使います。

状態。 単位的 CC^*-代数(C*-代数の定義(Definition 4.1)[C*-Algebras]AA の状態とは、正値かつ φ(1)=1\varphi(1)=1 を満たす線形汎関数 φ:AC\varphi:A\to\mathbb{C} のことで、その全体を S(A)S(A) と書きます。A=C(X)A=C(X) のとき、リースの表現定理により状態は XX 上の確率測度と一対一に対応し、純粋状態はちょうど点での評価 δx(f)=f(x)\delta_x(f)=f(x) です。つまり状態空間は点集合の一般化であり、非可換な AA に対しても意味を持ちます。距離をこの上で定義する、というのが以下の方針です。

Definition 3.1スペクトル三つ組

A\mathcal{A} を複素 *-代数、H\mathcal{H} を可分ヒルベルト空間、π:AB(H)\pi:\mathcal{A}\to B(\mathcal{H})*-準同型(表現)、DDH\mathcal{H} 上の自己共役作用素とします。組 (A,H,D)(\mathcal{A},\mathcal{H},D)スペクトル三つ組であるとは、次の 2 条件が成り立つことをいいます。

  1. (リプシッツ条件)すべての aAa\in\mathcal{A} に対して π(a)Dom(D)Dom(D)\pi(a)\operatorname{Dom}(D)\subset\operatorname{Dom}(D) であり、Dom(D)\operatorname{Dom}(D) 上で定義された交換子 [D,π(a)]=Dπ(a)π(a)D[D,\pi(a)]=D\pi(a)-\pi(a)DH\mathcal{H} 上の有界作用素に拡張される。
  2. (コンパクト性条件)ある(したがってすべての)λCR\lambda\in\mathbb{C}\setminus\mathbb{R} に対し、レゾルベント (Dλ)1(D-\lambda)^{-1} がコンパクト作用素である。

さらに Z/2\mathbb{Z}/2 次数付け γB(H)\gamma\in B(\mathcal{H})、すなわち γ=γ\gamma=\gamma^*γ2=1\gamma^2=1 であって

γπ(a)=π(a)γ(aA),γD=Dγ\gamma\,\pi(a)=\pi(a)\,\gamma\quad(a\in\mathcal{A}),\qquad \gamma D=-D\gamma

を満たすものが与えられているとき、この三つ組はであるといい、与えられていないときであるといいます。

「ある λ\lambda に対して成り立てばすべての λ\lambda に対して成り立つ」という括弧書きは、レゾルベント方程式

(Dλ)1(Dμ)1=(λμ)(Dλ)1(Dμ)1(D-\lambda)^{-1}-(D-\mu)^{-1}=(\lambda-\mu)(D-\lambda)^{-1}(D-\mu)^{-1}

から従います。右辺はコンパクト作用素と有界作用素の積なのでコンパクトであり、K(H)\mathcal{K}(\mathcal{H}) が閉イデアルであることから左辺の差もコンパクト、よって一方がコンパクトなら他方もコンパクトです。

Remark 3.2

2 つの条件は、多様体の側の何に対応するのかを押さえておいてください。

条件 1 は「aa が微分可能(少なくともリプシッツ)である」ことの言い換えです。実際 Proposition 4.2 で見るように、可換な場合 [D,f]\|[D,f]\| はリプシッツ定数そのものです。A\mathcal{A}CC^*-代数そのものではなく稠密な *-部分代数に取るのは、これが C(M)C(M) ではなく C(M)C^\infty(M) の役割を果たすからです。A\mathcal{A} が「滑らかな関数」、その CC^*-閉包 AA が「連続関数」に対応します。

条件 2 は多様体のコンパクト性に対応します。Proposition 3.3 の通り、この条件は DD のスペクトルが離散的で無限遠に逃げることと同値であり、固有値の増大度が次元と体積を決めます。非コンパクト(非単位的)な場合には、条件 2 を「すべての aAa\in\mathcal{A} に対し π(a)(Dλ)1\pi(a)(D-\lambda)^{-1} がコンパクト」と局所化した形に置き換えます。

Proposition 3.3コンパクトレゾルベントとスペクトルの離散性

H\mathcal{H} を無限次元可分ヒルベルト空間、DDH\mathcal{H} 上の自己共役作用素とします。DD がコンパクトレゾルベントを持つことと、H\mathcal{H} の正規直交基底 (ek)k1(e_k)_{k\ge1} と実数列 (λk)k1(\lambda_k)_{k\ge1}

Dek=λkek(k1),λk (k)De_k=\lambda_k e_k \quad(k\ge1),\qquad |\lambda_k|\to\infty\ (k\to\infty)

を満たすものが存在することは同値です。とくに DD の各固有値は有限重複度を持ち、DD のスペクトルは集積点を持たない実数の集合です。

Proof(Proposition 3.3)

まず必要性を示します。(D+i)1(D+i)^{-1} がコンパクトだと仮定します。(Di)1=((D+i)1)(D-i)^{-1}=\bigl((D+i)^{-1}\bigr)^* もコンパクトなので、

R:=(1+D2)1=(D+i)1(Di)1R:=(1+D^2)^{-1}=(D+i)^{-1}(D-i)^{-1}

はコンパクトです。ここで (1+D2)1(1+D^2)^{-1}DD の関数計算で定義され、値域はちょうど Dom(D2)\operatorname{Dom}(D^2) です。RR は自己共役かつ正値で、しかも単射です(Rξ=0R\xi=0 なら ξ=(1+D2)Rξ=0\xi=(1+D^2)R\xi=0)。

コンパクト自己共役作用素のスペクトル定理を RR に適用すると、H\mathcal{H} の正規直交基底が RR の固有ベクトルからなり、固有値 μ>0\mu>0RR は単射なので 00 は固有値でない)の固有空間 EμE_\mu はすべて有限次元、かつ固有値は 00 に集積します。

次に EμE_\muDD で保たれることを見ます。EμRanR=Dom(D2)Dom(D)E_\mu\subset\operatorname{Ran}R=\operatorname{Dom}(D^2)\subset\operatorname{Dom}(D) です。関数計算より、ξDom(D)\xi\in\operatorname{Dom}(D) に対して RDξ=DRξR\,D\xi=D\,R\xi が成り立ちます(t(1+t2)1t\mapsto(1+t^2)^{-1} が有界ボレル関数で、DD の乗算作用素表示で両辺が一致するため)。よって ηEμ\eta\in E_\mu に対し R(Dη)=D(Rη)=μDηR(D\eta)=D(R\eta)=\mu\,D\eta、すなわち DηEμD\eta\in E_\mu です。

DEμD|_{E_\mu} は有限次元空間上の対称作用素なので、実固有値を持つ正規直交固有基底で対角化できます。EμE_\mu 上では (1+D2)1=μ(1+D^2)^{-1}=\mu なので、固有値 λ\lambda(1+λ2)1=μ(1+\lambda^2)^{-1}=\mu、すなわち λ=±μ11\lambda=\pm\sqrt{\mu^{-1}-1} を満たします。これらの基底を全 μ\mu にわたって集めれば H\mathcal{H} の正規直交基底が得られ、μ0\mu\to0 から λ|\lambda|\to\infty が従います。

逆に、そのような基底と固有値列があるとします。(D+i)1(D+i)^{-1}ek(λk+i)1eke_k\mapsto(\lambda_k+i)^{-1}e_k という対角作用素で、(λk+i)1(1+λk2)1/20|(\lambda_k+i)^{-1}|\le(1+\lambda_k^2)^{-1/2}\to0 です。対角作用素は、対角成分が 00 に収束するとき有限階作用素のノルム極限(第 NN 項までで打ち切ればよい)なのでコンパクトです。以上より同値性が示されました。

Definition 3.4総和可能性と計量次元

スペクトル三つ組 (A,H,D)(\mathcal{A},\mathcal{H},D)p>0p>0 に対し、(1+D2)1/2Lp,(1+D^2)^{-1/2}\in\mathcal{L}^{p,\infty} が成り立つとき、この三つ組は pp-総和可能(より正確には (p,)(p,\infty)-総和可能)であるといいます。そのような pp が存在するとき

n:=inf{p>0:(1+D2)1/2Lp,}n:=\inf\bigl\{\,p>0 : (1+D^2)^{-1/2}\in\mathcal{L}^{p,\infty}\,\bigr\}

をこの三つ組の計量次元(スペクトル次元)と呼びます。

Proposition 3.3 の記号で (1+D2)1/2(1+D^2)^{-1/2} の特異値は (1+λk2)1/2(1+\lambda_k^2)^{-1/2} を大きい順に並べたものなので、計量次元は固有値 λk\lambda_k の増大の速さだけで決まります。おおまかには λkck1/n|\lambda_k|\sim c\,k^{1/n} のとき計量次元が nn になります。Theorem 6.1 で見るように、これは多様体の次元と一致します。

Example 3.52 点空間:もっとも小さいスペクトル三つ組

A=C2\mathcal{A}=\mathbb{C}^2(成分ごとの積、成分ごとの複素共役を * とする)とします。A\mathcal{A} は 2 点集合 X={p1,p2}X=\{p_1,p_2\} 上の関数環 C(X)C(X) にほかなりません。H=C2\mathcal{H}=\mathbb{C}^2 とし、表現を対角に

π(a1,a2)=(a100a2)\pi(a_1,a_2)=\begin{pmatrix}a_1&0\\0&a_2\end{pmatrix}

で与え、mC{0}m\in\mathbb{C}\setminus\{0\} を取って

D=(0mˉm0)D=\begin{pmatrix}0&\bar m\\ m&0\end{pmatrix}

とおきます。D=DD=D^* であり、H\mathcal{H} が有限次元なのですべての作用素がコンパクトです。したがって Definition 3.1 の 2 条件はいずれも自動的に成り立ち、(A,H,D)(\mathcal{A},\mathcal{H},D) はスペクトル三つ組です。γ=diag(1,1)\gamma=\operatorname{diag}(1,-1) とおけば γπ(a)=π(a)γ\gamma\pi(a)=\pi(a)\gamma かつ γD=Dγ\gamma D=-D\gamma なので、これは偶な三つ組です。

注目すべきは、A\mathcal{A}H\mathcal{H}π\pi だけでは「2 点集合」以上の情報がないのに、DD の非対角成分 mm が新たな自由度を持ち込んでいる点です。Example 5.7 で見るように、この mm はちょうど 2 点間の距離を 1/m1/|m| と定めます。連続体でない有限空間に距離が入るのは、この枠組みの特徴です。

p1p2d = 1 / |m|D の非対角成分 m が 2 点をつなぐ
2 点空間のスペクトル三つ組。距離は D の非対角成分 m だけで決まる

4. 可換な場合:スピン多様体とディラック作用素

Section titled “4. 可換な場合:スピン多様体とディラック作用素”

この節では、コンパクトリーマンスピン多様体が Definition 3.1 の意味でのスペクトル三つ組を与えることを確かめます。これが「非可換リーマン多様体」という言葉の正当性を支える基準例です。

Definition 4.1スピノル束とディラック作用素

(M,g)(M,g)nn 次元のコンパクト・向き付けられた・境界のないリーマン多様体とし、スピン構造が一つ選ばれているとします。各点 xx で余接空間のクリフォード代数を、実余接ベクトル ξ,ηTxM\xi,\eta\in T_x^*M についての関係式

c(ξ)c(η)+c(η)c(ξ)=2g(ξ,η)c(\xi)c(\eta)+c(\eta)c(\xi)=-2\,g(\xi,\eta)

で定めます。スピン構造から、階数 2n/22^{\lfloor n/2\rfloor} のエルミートベクトル束 SMS\to M(スピノル束)と、c(ξ)=c(ξ)c(\xi)^*=-c(\xi)ξ\xi 実)を満たすクリフォード積、およびレヴィ–チヴィタ接続を持ち上げたエルミート接続 S\nabla^S が得られます。局所正規直交余枠 (e1,,en)(e^1,\dots,e^n) と双対枠 (e1,,en)(e_1,\dots,e_n) を用いて

D=j=1nc(ej)ejSD=\sum_{j=1}^{n}c(e^{j})\,\nabla^{S}_{e_j}

と定めた 1 階微分作用素をディラック作用素と呼びます。DDH=L2(M,S)\mathcal{H}=L^2(M,S) 上、C(M,S)C^\infty(M,S) を定義域として本質的自己共役であり、その閉包を同じ記号 DD で表します。

Proposition 4.2標準的スペクトル三つ組

上の状況で A=C(M)\mathcal{A}=C^\infty(M)H=L2(M,S)\mathcal{H}=L^2(M,S) とし、π\pi を掛け算による表現とします。このとき次が成り立ちます。

  1. すべての fC(M)f\in C^\infty(M) に対し [D,π(f)]=c(df)[D,\pi(f)]=c(df)dfdf によるクリフォード積の掛け算作用素)であり、これは有界である。
  2. 実数値 fC(M)f\in C^\infty(M) に対し [D,π(f)]B(H)=supxMf(x)g\bigl\|[D,\pi(f)]\bigr\|_{B(\mathcal{H})}=\sup_{x\in M}|\nabla f(x)|_g が成り立つ。
  3. DD はコンパクトレゾルベントを持つ。

したがって (C(M),L2(M,S),D)(C^\infty(M),L^2(M,S),D) はスペクトル三つ組です。nn が偶数のときは γ=in/2c(e1)c(en)\gamma=i^{n/2}c(e^1)\cdots c(e^n) が次数付けを与え、三つ組は偶になります。

Proof(Proposition 4.2)

(1) ψC(M,S)\psi\in C^\infty(M,S) とします。接続のライプニッツ則 ejS(fψ)=(ejf)ψ+fejSψ\nabla^S_{e_j}(f\psi)=(e_jf)\psi+f\nabla^S_{e_j}\psi より

D(fψ)=jc(ej)((ejf)ψ+fejSψ)=(j(ejf)c(ej))ψ+fDψ.D(f\psi)=\sum_j c(e^j)\bigl((e_jf)\psi+f\nabla^S_{e_j}\psi\bigr) =\Bigl(\sum_j (e_jf)\,c(e^j)\Bigr)\psi+f\,D\psi .

j(ejf)ej=df\sum_j(e_jf)e^j=df なので、右辺第 1 項は c(df)ψc(df)\psi です。よって [D,π(f)]ψ=c(df)ψ[D,\pi(f)]\psi=c(df)\psiC(M,S)C^\infty(M,S) 上で成り立ち、c(df)c(df) は連続な束自己準同型場なのでコンパクト多様体上で一様有界、L2L^2 上の有界作用素に一意に拡張されます。

(2) ff が実数値なら dfxdf_x は各点で実余接ベクトルです。クリフォード関係式で ξ=η=dfx\xi=\eta=df_x とおくと c(dfx)2=dfxg2c(df_x)^2=-|df_x|_g^2、また c(dfx)=c(dfx)c(df_x)^*=-c(df_x) なので

c(dfx)c(dfx)=c(dfx)2=dfxg2idSx,c(df_x)^*c(df_x)=-c(df_x)^2=|df_x|_g^2\cdot \mathrm{id}_{S_x},

したがって CC^*-恒等式より c(dfx)2=c(dfx)c(dfx)=dfxg2\|c(df_x)\|^2=\|c(df_x)^*c(df_x)\|=|df_x|_g^2、すなわち c(dfx)=dfxg=f(x)g\|c(df_x)\|=|df_x|_g=|\nabla f(x)|_g です。束自己準同型場 TT による掛け算作用素の L2L^2 ノルムは各点ノルムの上限 supxTx\sup_x\|T_x\| に等しい(上からは各点評価、下からは Tx\|T_x\| をほぼ達成する切断を小さな台に集中させればよい)ので、主張が従います。

(3) DD は 1 階の楕円型作用素なので、楕円型評価

ψH1C(DψL2+ψL2)(ψC(M,S))\|\psi\|_{H^1}\le C\bigl(\|D\psi\|_{L^2}+\|\psi\|_{L^2}\bigr)\qquad(\psi\in C^\infty(M,S))

が成り立ちます。ψ=(D+i)1φ\psi=(D+i)^{-1}\varphi と取ると DψL2φL2+ψL2\|D\psi\|_{L^2}\le\|\varphi\|_{L^2}+\|\psi\|_{L^2} かつ ψL2φL2\|\psi\|_{L^2}\le\|\varphi\|_{L^2} なので、(D+i)1:L2(M,S)H1(M,S)(D+i)^{-1}:L^2(M,S)\to H^1(M,S) は有界です。MM がコンパクトなのでレリッヒ–コンドラショフの定理により包含 H1(M,S)L2(M,S)H^1(M,S)\hookrightarrow L^2(M,S) はコンパクトであり、有界作用素とコンパクト作用素の合成はコンパクトなので (D+i)1(D+i)^{-1} はコンパクトです。

Example 4.3円周のスペクトル三つ組

M=S1=R/2πZM=S^1=\mathbb{R}/2\pi\mathbb{Z} を長さ 2π2\pi の円周とします。n=1n=1 なのでスピノル束は階数 20=12^{0}=1 の自明束、H=L2(S1)\mathcal{H}=L^2(S^1) です。標準的なスピン構造(周期的境界条件)に対してディラック作用素は

D=iddθD=-i\frac{d}{d\theta}

となります。ek(θ)=(2π)1/2eikθe_k(\theta)=(2\pi)^{-1/2}e^{ik\theta}kZk\in\mathbb{Z})は正規直交基底で Dek=kekDe_k=k\,e_k なので、Proposition 3.3 の意味でスペクトルは Z\mathbb{Z} です。fC(S1)f\in C^\infty(S^1) に対し

[D,f]ψ=i(fψ)+ifψ=ifψ[D,f]\psi=-i(f\psi)'+i f\psi'=-if'\psi

なので [D,f]=if[D,f]=-if' という掛け算作用素で、[D,f]=f\|[D,f]\|=\|f'\|_\infty。これは Proposition 4.2 の (1)(2) を直接確かめたことになります。dimS1=1\dim S^1=1 は奇数なので、この三つ組は奇です。

Definition 5.1コンヌの距離

AA を単位的 CC^*-代数、AA\mathcal{A}\subset A を単位元を含む稠密な *-部分代数、(A,H,D)(\mathcal{A},\mathcal{H},D) をスペクトル三つ組(π\piAA への忠実な表現に延びるとする)とします。2 つの状態 φ,ψS(A)\varphi,\psi\in S(A) に対し

dD(φ,ψ)=sup{φ(a)ψ(a)  :  aA, a=a, [D,π(a)]1} [0,+]d_D(\varphi,\psi)=\sup\Bigl\{\,|\varphi(a)-\psi(a)| \;:\; a\in\mathcal{A},\ a=a^{*},\ \bigl\|[D,\pi(a)]\bigr\|\le 1\,\Bigr\}\ \in[0,+\infty]

と定め、これをコンヌの距離と呼びます。

定義には点も道も現れず、代数・状態・交換子だけが使われています。だからこそ非可換な AA に対してもそのまま意味を持ちます。

Proposition 5.2コンヌの距離の基本性質

Definition 5.1 の状況で、次が成り立ちます。

  1. dDd_D は対称で三角不等式を満たし、dD(φ,φ)=0d_D(\varphi,\varphi)=0 である。また aaa+t1a+t\cdot 1tRt\in\mathbb{R})に取り替えても値は変わらない。
  2. dD(φ,ψ)=0d_D(\varphi,\psi)=0 ならば φ=ψ\varphi=\psi である。すなわち dDd_DS(A)S(A) 上の(++\infty を値に許す)距離である。
  3. 自己共役性の制限を外し sup{φ(a)ψ(a):aA, [D,π(a)]1}\sup\{|\varphi(a)-\psi(a)| : a\in\mathcal{A},\ \|[D,\pi(a)]\|\le1\} としても値は変わらない。
  4. ある自己共役な aAa\in\mathcal{A}[D,π(a)]=0[D,\pi(a)]=0 かつ aC1a\notin\mathbb{C}\cdot 1 を満たすならば、dD(φ,ψ)=+d_D(\varphi,\psi)=+\infty となる状態の組が存在する。
Proof(Proposition 5.2)

以下、条件 a=aa=a^* かつ [D,π(a)]1\|[D,\pi(a)]\|\le1 を満たす aa の全体を L\mathcal{L} と書きます。L\mathcal{L}aaa\mapsto-a で不変な凸集合です。

(1) 対称性は φ(a)ψ(a)=ψ(a)φ(a)|\varphi(a)-\psi(a)|=|\psi(a)-\varphi(a)| から直ちに従います。三角不等式は、各 aLa\in\mathcal{L} について

φ(a)χ(a)φ(a)ψ(a)+ψ(a)χ(a)dD(φ,ψ)+dD(ψ,χ)|\varphi(a)-\chi(a)|\le|\varphi(a)-\psi(a)|+|\psi(a)-\chi(a)|\le d_D(\varphi,\psi)+d_D(\psi,\chi)

が成り立つので、左辺の aLa\in\mathcal{L} についての上限を取れば得られます。dD(φ,φ)=0d_D(\varphi,\varphi)=0 は明示的に φ(a)φ(a)=0|\varphi(a)-\varphi(a)|=0 です。定数のずれについては、[D,π(1)]=0[D,\pi(1)]=0 より a+t1La+t1\in\mathcal{L} であり、状態は φ(1)=ψ(1)=1\varphi(1)=\psi(1)=1 を満たすので φ(a+t1)ψ(a+t1)=φ(a)ψ(a)\varphi(a+t1)-\psi(a+t1)=\varphi(a)-\psi(a) となります。

(2) 自己共役な aAa\in\mathcal{A} を任意に取ります。c:=[D,π(a)]c:=\|[D,\pi(a)]\| とおきます。c>0c>0 なら a/cLa/c\in\mathcal{L} なので dD(φ,ψ)φ(a)ψ(a)/cd_D(\varphi,\psi)\ge|\varphi(a)-\psi(a)|/cc=0c=0 ならすべての t>0t>0 に対し taLta\in\mathcal{L} なので dD(φ,ψ)tφ(a)ψ(a)d_D(\varphi,\psi)\ge t|\varphi(a)-\psi(a)|。いずれの場合も dD(φ,ψ)=0d_D(\varphi,\psi)=0 から φ(a)=ψ(a)\varphi(a)=\psi(a) が従います。一般の aAa\in\mathcal{A}a=a+a2+iaa2ia=\frac{a+a^*}{2}+i\cdot\frac{a-a^*}{2i} と自己共役元の複素結合に書けるので、φ=ψ\varphi=\psiA\mathcal{A} 上で成り立ちます。状態は連続(ノルム 11 の汎関数)であり A\mathcal{A}AA で稠密なので、φ=ψ\varphi=\psiAA 上で成り立ちます。

(3) 一般の aAa\in\mathcal{A}[D,π(a)]1\|[D,\pi(a)]\|\le1 を満たすとします。適当な位相因子 zzz=1|z|=1)を掛けて φ(za)ψ(za)0\varphi(za)-\psi(za)\ge0 としても [D,π(za)]=[D,π(a)]1\|[D,\pi(za)]\|=\|[D,\pi(a)]\|\le1 は変わらないので、最初から φ(a)ψ(a)\varphi(a)-\psi(a) が非負実数だとしてよいです。b=12(a+a)b=\frac{1}{2}(a+a^*) とおくと、状態の性質 φ(a)=φ(a)\varphi(a^*)=\overline{\varphi(a)} から

φ(b)ψ(b)=Re(φ(a)ψ(a))=φ(a)ψ(a).\varphi(b)-\psi(b)=\operatorname{Re}\bigl(\varphi(a)-\psi(a)\bigr)=\varphi(a)-\psi(a).

一方、DD が自己共役であることから [D,π(a)]=(Dπ(a)π(a)D)=π(a)DDπ(a)=[D,π(a)][D,\pi(a)]^*=(D\pi(a)-\pi(a)D)^*=\pi(a)^*D-D\pi(a)^*=-[D,\pi(a^*)] なので [D,π(a)]=[D,π(a)]1\|[D,\pi(a^*)]\|=\|[D,\pi(a)]\|\le1、よって [D,π(b)]12(1+1)=1\|[D,\pi(b)]\|\le\frac12(1+1)=1 であり bLb\in\mathcal{L} です。したがって制限なしの上限は L\mathcal{L} 上の上限を超えません。逆の不等号は L\mathcal{L} が制限なしの候補集合に含まれることから明らかです。

(4) a=aa=a^*[D,π(a)]=0[D,\pi(a)]=0aC1a\notin\mathbb{C}1 とします。π\pi は忠実な *-表現なので aC1a\notin\mathbb{C}1 より π(a)C1\pi(a)\notin\mathbb{C}1、したがって aa のスペクトル σ(a)R\sigma(a)\subset\mathbb{R} は 1 点ではありません。自己共役元に対して {φ(a):φS(A)}=[minσ(a),maxσ(a)]\{\varphi(a) : \varphi\in S(A)\}=[\min\sigma(a),\max\sigma(a)] が成り立つ(CC^*-部分代数 C(a,1)C(σ(a))C^*(a,1)\cong C(\sigma(a)) 上の点評価を AA 全体にハーン–バナッハで状態として延長する)ので、φ(a)ψ(a)\varphi(a)\ne\psi(a) となる状態の組 φ,ψ\varphi,\psi が存在します。[D,π(a)]=0[D,\pi(a)]=0 より任意の t>0t>0 について taLta\in\mathcal{L} なので、dD(φ,ψ)tφ(a)ψ(a)+d_D(\varphi,\psi)\ge t|\varphi(a)-\psi(a)|\to+\infty となります。

Remark 5.3

(4) は、距離が有限であるためには「DD と可換な代数の元は定数だけ」という連結性が必要であることを示しています。逆にこの条件だけでは有限性は保証されません。dDd_D が有限で、しかも S(A)S(A) に弱 * 位相を誘導するための必要十分条件は、L\mathcal{L}A/C1A/\mathbb{C}1 における像が全有界であることです。この方向の理論はリーフェルによる「コンパクト量子距離空間」の一連の研究にまとめられています。

次の補題は、可換な場合に距離公式の上限が実際に達成されることを保証する技術的な道具です。距離関数 dg(,q)d_g(\cdot,q)11-リプシッツですが滑らかではないため、C(M)C^\infty(M) の中で近似する必要があります。

Lemma 5.4リプシッツ関数の滑らかな近似

(M,g)(M,g) をコンパクトで境界のない連結リーマン多様体、u:MRu:M\to\mathbb{R} を測地距離 dgd_g に関して 11-リプシッツな関数とします。任意の ε>0\varepsilon>0 に対し、fC(M,R)f\in C^\infty(M,\mathbb{R})

supxMf(x)g1かつfuε\sup_{x\in M}|\nabla f(x)|_g\le 1\quad\text{かつ}\quad \|f-u\|_\infty\le\varepsilon

を満たすものが存在します。

Proof(Lemma 5.4)

η>0\eta>0 を後で決める小さな数とします。各点 xMx\in M の周りに測地正規座標を取ると、座標近傍を十分小さく選ぶことで、その座標におけるユークリッド計量 δ\deltagg

(1+η)1δg(1+η)δ(1+\eta)^{-1}\delta\le g\le(1+\eta)\,\delta

を満たすようにできます(正規座標では gij(x)=δijg_{ij}(x)=\delta_{ij} で、gijg_{ij} は連続だからです)。MM のコンパクト性から、このような座標近傍の有限被覆 U1,,UNU_1,\dots,U_N と、それに従属する 11 の分割 χ1,,χNC(M)\chi_1,\dots,\chi_N\in C^\infty(M)iχi=1\sum_i\chi_i=1 が取れます。C0:=isupMχigC_0:=\sum_i\sup_M|\nabla\chi_i|_g とおきます。

UiU_i の座標で見ると、uu はユークリッド距離に関して (1+η)1/2(1+\eta)^{1/2}-リプシッツです(g(1+η)δg\le(1+\eta)\delta より gg の側の距離がユークリッド距離の (1+η)1/2(1+\eta)^{1/2} 倍以下だからです)。標準的な軟化子 ρτ\rho_\tau による畳み込み ui:=uρτu_i:=u*\rho_\tauUiU_i の少し内側で定義)は滑らかで、

δui(1+η)1/2,uiu(1+η)1/2τ|\nabla^{\delta}u_i|\le(1+\eta)^{1/2},\qquad \|u_i-u\|_{\infty}\le(1+\eta)^{1/2}\tau

を満たします。前者は差分商の平均が同じリプシッツ定数で抑えられることから、後者は u(y)u(z)(1+η)1/2yz|u(y)-u(z)|\le(1+\eta)^{1/2}|y-z|yzτ|y-z|\le\tau の範囲で平均することから従います。計量を戻すと guig(1+η)|\nabla^{g}u_i|_g\le(1+\eta)\cdot(ユークリッド勾配の大きさ)(1+η)3/2\le(1+\eta)^{3/2} です。

そこで h:=iχiuih:=\sum_i\chi_i u_i とおきます。iχi=(1)=0\sum_i\nabla\chi_i=\nabla(1)=0 なので

h=iχiui+iuiχi=iχiui+i(uiu)χi\nabla h=\sum_i\chi_i\nabla u_i+\sum_i u_i\nabla\chi_i=\sum_i\chi_i\nabla u_i+\sum_i (u_i-u)\nabla\chi_i

と書けます。第 1 項は χi0\chi_i\ge0χi=1\sum\chi_i=1 より大きさが (1+η)3/2(1+\eta)^{3/2} 以下、第 2 項は大きさが C0(1+η)1/2τC_0(1+\eta)^{1/2}\tau 以下です。また humaxiuiu(1+η)1/2τ\|h-u\|_\infty\le\max_i\|u_i-u\|_\infty\le(1+\eta)^{1/2}\tau です。

K:=(1+η)3/2+C0(1+η)1/2τK:=(1+\eta)^{3/2}+C_0(1+\eta)^{1/2}\tau とおき、f:=h/Kf:=h/K とすると supfg1\sup|\nabla f|_g\le1 です。η\etaτ\tau を十分小さく取れば KK11 にいくらでも近く、u\|u\|_\infty は有限(MM コンパクト)なので

fuhu+1K1h\|f-u\|_\infty\le\|h-u\|_\infty+\Bigl|\frac1K-1\Bigr|\,\|h\|_\infty

ε\varepsilon 以下にできます。これで主張が示されました。

Theorem 5.5コンヌの距離公式

(M,g)(M,g) をコンパクトで境界のない連結リーマンスピン多様体とし、(C(M),L2(M,S),D)(C^\infty(M),L^2(M,S),D)Proposition 4.2 の標準的スペクトル三つ組とします。p,qMp,q\in M に対応する C(M)C(M) の純粋状態を δp,δq\delta_p,\delta_q と書くと

dD(δp,δq)=dg(p,q)d_D(\delta_p,\delta_q)=d_g(p,q)

が成り立ちます。ここで dgd_ggg の測地距離です。

Proof(Theorem 5.5)

上からの評価。 fC(M)f\in C^\infty(M) を実数値で [D,f]1\|[D,f]\|\le1 とします。Proposition 4.2 の (2) より、これは supxf(x)g1\sup_x|\nabla f(x)|_g\le1 と同値です。ppqq を結ぶ区分的に滑らかな道 γ:[0,1]M\gamma:[0,1]\to Mγ(0)=q\gamma(0)=qγ(1)=p\gamma(1)=p を任意に取ると、微分積分学の基本定理とコーシー–シュワルツの不等式から

f(p)f(q)=01ddtf(γ(t))dt=01g(f(γ(t)),γ˙(t))dt01γ˙(t)gdt=L(γ).|f(p)-f(q)|=\Bigl|\int_0^1\frac{d}{dt}f(\gamma(t))\,dt\Bigr| =\Bigl|\int_0^1 g\bigl(\nabla f(\gamma(t)),\dot\gamma(t)\bigr)dt\Bigr| \le\int_0^1|\dot\gamma(t)|_g\,dt=L(\gamma).

γ\gamma についての下限を取ると f(p)f(q)dg(p,q)|f(p)-f(q)|\le d_g(p,q) です(MM は連結なので道が存在します)。ff についての上限を取れば dD(δp,δq)dg(p,q)d_D(\delta_p,\delta_q)\le d_g(p,q) を得ます。

下からの評価。 u(x):=dg(x,q)u(x):=d_g(x,q) とおきます。三角不等式 dg(x,q)dg(y,q)dg(x,y)|d_g(x,q)-d_g(y,q)|\le d_g(x,y) より uu11-リプシッツです。ε>0\varepsilon>0 を任意に取り、Lemma 5.4uu に適用して fC(M,R)f\in C^\infty(M,\mathbb{R})supfg1\sup|\nabla f|_g\le1 かつ fuε/2\|f-u\|_\infty\le\varepsilon/2 となるものを取ります。Proposition 4.2 の (2) より [D,f]1\|[D,f]\|\le1 なので ffDefinition 5.1 の候補であり、

dD(δp,δq)f(p)f(q)u(p)u(q)2ε2=dg(p,q)εd_D(\delta_p,\delta_q)\ge|f(p)-f(q)|\ge|u(p)-u(q)|-2\cdot\frac{\varepsilon}{2}=d_g(p,q)-\varepsilon

となります(u(q)=0u(q)=0u(p)=dg(p,q)u(p)=d_g(p,q) を使いました)。ε>0\varepsilon>0 は任意なので dD(δp,δq)dg(p,q)d_D(\delta_p,\delta_q)\ge d_g(p,q) です。両向きの不等式を合わせて等号が従います。

Example 5.6円周の距離を最後まで計算する

Example 4.3 の三つ組で、θ1=0\theta_1=0θ2=α(0,2π)\theta_2=\alpha\in(0,2\pi) の距離を定義から直接計算します。Example 4.3 より制約は f1\|f'\|_\infty\le1 です。

上からの評価。 ff を実数値の滑らかな 2π2\pi 周期関数で f1\|f'\|_\infty\le1 とすると

f(α)f(0)=0αfα,f(α)f(0)=α2πf2πα|f(\alpha)-f(0)|=\Bigl|\int_0^{\alpha}f'\Bigr|\le\alpha, \qquad |f(\alpha)-f(0)|=\Bigl|\int_{\alpha}^{2\pi}f'\Bigr|\le 2\pi-\alpha

(2 つ目は f(2π)=f(0)f(2\pi)=f(0) を使いました)。よって dDmin(α,2πα)d_D\le\min(\alpha,2\pi-\alpha) です。

下からの評価。 απ\alpha\le\pi としてよいです(そうでなければ向きを逆にします)。区分的定数関数

h(θ)={1,0<θ<αα2πα,α<θ<2πh(\theta)=\begin{cases}1,&0<\theta<\alpha\\[2pt] -\dfrac{\alpha}{2\pi-\alpha},&\alpha<\theta<2\pi\end{cases}

を考えます。απ\alpha\le\pi より α/(2πα)1\alpha/(2\pi-\alpha)\le1 なので h1\|h\|_\infty\le1 であり、しかも 02πh=αα2πα(2πα)=0\int_0^{2\pi}h=\alpha-\frac{\alpha}{2\pi-\alpha}(2\pi-\alpha)=0 なので F(θ)=0θhF(\theta)=\int_0^{\theta}h2π2\pi 周期です。F(α)F(0)=αF(\alpha)-F(0)=\alphahh の 2 つの不連続点を幅 δ\delta の区間で滑らかに繋いで hδ1\|h_\delta\|_\infty\le1 かつ 02πhδ=0\int_0^{2\pi}h_\delta=0 を保てば(不連続点の近くで値を線形につなぎ、定数側をわずかに調整すればよい)、fδ=0θhδf_\delta=\int_0^\theta h_\delta は滑らかな周期関数で fδ1\|f_\delta'\|_\infty\le1fδ(α)fδ(0)α2δf_\delta(\alpha)-f_\delta(0)\ge\alpha-2\delta です。δ0\delta\downarrow0 として dDαd_D\ge\alpha を得ます。

したがって dD(δ0,δα)=min(α,2πα)d_D(\delta_0,\delta_\alpha)=\min(\alpha,2\pi-\alpha) で、これはまさに円周上の弧長すなわち測地距離です。Theorem 5.5 が具体例で確認できました。

Example 5.72 点空間の距離

Example 3.5 の三つ組で距離を計算します。自己共役な a=(a1,a2)C2a=(a_1,a_2)\in\mathbb{C}^2 とは a1,a2Ra_1,a_2\in\mathbb{R} のことです。行列を掛けて

[D,π(a)]=(0mˉm0)(a100a2)(a100a2)(0mˉm0)=(a2a1)(0mˉm0).[D,\pi(a)]=\begin{pmatrix}0&\bar m\\ m&0\end{pmatrix}\begin{pmatrix}a_1&0\\0&a_2\end{pmatrix}-\begin{pmatrix}a_1&0\\0&a_2\end{pmatrix}\begin{pmatrix}0&\bar m\\ m&0\end{pmatrix} =(a_2-a_1)\begin{pmatrix}0&\bar m\\ -m&0\end{pmatrix}.

この行列を TT と書くと TT=a2a12m2IT^*T=|a_2-a_1|^2|m|^2 I なので [D,π(a)]=a1a2m\|[D,\pi(a)]\|=|a_1-a_2|\,|m| です。よって制約 [D,π(a)]1\|[D,\pi(a)]\|\le1a1a21/m|a_1-a_2|\le 1/|m| と同値になります。

2 点の純粋状態は φi(a)=ai\varphi_i(a)=a_ii=1,2i=1,2)なので

dD(φ1,φ2)=sup{a1a2:a1a21/m}=1m.d_D(\varphi_1,\varphi_2)=\sup\{\,|a_1-a_2| : |a_1-a_2|\le 1/|m|\,\}=\frac{1}{|m|}.

m|m| が大きいほど 2 点は近く、m0m\to0 で距離は無限大に発散します。m=0m=0 のとき D=0D=0 なので [D,π(a)]=0[D,\pi(a)]=0 がすべての aa で成り立ち、Proposition 5.2 の (4) の状況(連結性の破れ)そのものです。この 2 点幾何は、コンヌ–ロットによる素粒子標準模型の記述で「ヒッグス場を含む余剰の 2 枚のシート」として使われます。mm が湯川結合、1/m1/|m| が 2 枚のシートの間隔にあたります。

6. 次元・体積・積分:スペクトルから測度を取り出す

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距離が復元できたので、次は測度です。ここでも点や座標は使わず、DD のスペクトルの増大度だけを使います。

Theorem 6.1ディラック作用素に対するワイルの法則

(M,g)(M,g)nn 次元コンパクトリーマンスピン多様体、DD をそのディラック作用素とします。N(Λ):=#{k:λkΛ}N(\Lambda):=\#\{k : |\lambda_k|\le\Lambda\}(固有値は重複度こみ)とおくと

N(Λ)    2n/2Ωnvolg(M)(2π)nΛn(Λ)N(\Lambda)\;\sim\;\frac{2^{\lfloor n/2\rfloor}\,\Omega_n\,\operatorname{vol}_g(M)}{(2\pi)^n}\,\Lambda^{n}\qquad(\Lambda\to\infty)

が成り立ちます。ここで Ωn=πn/2/Γ(n2+1)\Omega_n=\pi^{n/2}/\Gamma(\frac n2+1)Rn\mathbb{R}^n の単位球の体積、2n/22^{\lfloor n/2\rfloor} はスピノル束 SS の階数です。とくに (C(M),L2(M,S),D)(C^\infty(M),L^2(M,S),D) の計量次元は n=dimMn=\dim M に等しくなります。

Remark 6.2

証明は D2D^2 がラプラス型作用素であることを使い、熱核の小時間漸近展開 Tr(etD2)(4πt)n/2rank(S)volg(M)\operatorname{Tr}(e^{-tD^2})\sim(4\pi t)^{-n/2}\operatorname{rank}(S)\operatorname{vol}_g(M) にカラマタのタウバー型定理を適用するのが標準です。詳細はギルキーやローソン–ミケルソンの教科書に譲ります。ここでは結論だけを使います。計量次元が nn になることは、N(Λ)CΛnN(\Lambda)\sim C\Lambda^n から λk(k/C)1/n|\lambda_k|\sim(k/C)^{1/n}、したがって (1+D2)1/2(1+D^2)^{-1/2} の第 kk 特異値が (C/k)1/n\sim(C/k)^{1/n} となり、Definition 3.4 の定義から直ちに従います。

Theorem 6.3コンヌの跡定理(体積と積分の復元)

上の状況で n1n\ge1 とすると、任意の fC(M)f\in C^\infty(M) に対して π(f)Dn\pi(f)|D|^{-n}DD の核は有限次元なので、そこでは Dn|D|^{-n}00 と定める)は L1,\mathcal{L}^{1,\infty} に属し可測で、

Trω(π(f)Dn)=2n/2Ωn(2π)nMfdvolg\mathrm{Tr}_\omega\bigl(\pi(f)\,|D|^{-n}\bigr)=\frac{2^{\lfloor n/2\rfloor}\,\Omega_n}{(2\pi)^n}\int_M f\,d\mathrm{vol}_g

が成り立ちます。とくに f=1f=1 として

Trω(Dn)=2n/2Ωn(2π)nvolg(M)\mathrm{Tr}_\omega\bigl(|D|^{-n}\bigr)=\frac{2^{\lfloor n/2\rfloor}\,\Omega_n}{(2\pi)^n}\operatorname{vol}_g(M)

となり、リーマン体積が DD のスペクトルだけから決まります。

Remark 6.4

この定理により、非可換な場合にも

a  :=  Trω(π(a)Dn)\textstyle\int a \;:=\; \mathrm{Tr}_\omega\bigl(\pi(a)|D|^{-n}\bigr)

を「積分」と定義する道が開けます。右辺は A\mathcal{A} 上の正値汎関数で、ディクシエ跡の跡性から ab=ba\int ab=\int ba を満たします。すなわち非可換空間上の積分は自動的にになります。証明はコンヌ 1988 年の論文にあり、擬微分作用素のウォドジツキ剰余(非可換剰余)とディクシエ跡が比例することが本質です。

Example 6.5円周の体積をスペクトルから読む

Example 4.3 の三つ組で n=1n=1、スピノル束の階数は 20=12^{0}=1Ω1=π1/2/Γ(3/2)=2\Omega_1=\pi^{1/2}/\Gamma(3/2)=2vol(S1)=2π\operatorname{vol}(S^1)=2\pi です。Theorem 6.1 の右辺は

122π2πΛ=2Λ\frac{1\cdot 2\cdot 2\pi}{2\pi}\Lambda=2\Lambda

です。一方、直接数えると固有値は Z\mathbb{Z} を単重度で走るので N(Λ)=2Λ+12ΛN(\Lambda)=2\lfloor\Lambda\rfloor+1\sim2\Lambda となり一致します。

体積の方も確かめます。D|D| の固有値を小さい順に並べると 0,1,1,2,2,3,3,0,1,1,2,2,3,3,\dots なので、核(1 次元)を除いた D1|D|^{-1} の特異値は μ2k1=μ2k=1/k\mu_{2k-1}=\mu_{2k}=1/k、すなわち μj2/j\mu_j\sim2/j です。よって

Trω(D1)=limN1logNjN2j=limN2logN+O(1)logN=2.\mathrm{Tr}_\omega(|D|^{-1})=\lim_{N\to\infty}\frac{1}{\log N}\sum_{j\le N}\frac{2}{j}=\lim_{N\to\infty}\frac{2\log N+O(1)}{\log N}=2 .

Theorem 6.3 の右辺は 122π2π=2\frac{1\cdot2}{2\pi}\cdot2\pi=2 で、確かに一致します。逆に読めば vol(S1)=πTrω(D1)=2π\operatorname{vol}(S^1)=\pi\,\mathrm{Tr}_\omega(|D|^{-1})=2\pi となり、円周の長さがラプラシアンならぬディラック作用素の固有値の並び方だけから復元されたことになります。

Remark 6.6

非可換な例としてもっとも基本的なのは非可換トーラス AθA_\theta です。τ\tau を正規化された跡、δ1,δ2\delta_1,\delta_2 を標準的な微分(滑らかな部分代数の上の 2 つの標準導分(Definition 5.1)[非可換トーラス A_θ])とし、GNS 表現 Hτ=L2(Aθ,τ)\mathcal{H}_\tau=L^2(A_\theta,\tau) の 2 重コピー上で

D=(0δ1+iδ2δ1iδ20)D=\begin{pmatrix}0&\delta_1+i\delta_2\\ \delta_1-i\delta_2&0\end{pmatrix}

とおくと、(Aθ,HτC2,D)(\mathcal{A}_\theta,\mathcal{H}_\tau\otimes\mathbb{C}^2,D) は計量次元 22 の偶なスペクトル三つ組になります。スペクトルは平坦トーラスの場合と同じ格子から決まるので体積も同じですが、θ\theta が無理数のとき AθA_\theta は非可換で、点にあたる指標を持ちません。構成と性質の詳細は 非可換トーラスの例Theorem 5.3[非可換トーラス A_θ] を参照してください。

Definition 3.1 の 2 条件だけでは、「リーマン多様体の一般化」と呼ぶには足りません。たとえば Example 3.5 の有限三つ組は多様体ではありません。コンヌは 1996 年に、可換な場合にちょうど多様体を特徴づけるための追加公理を提出しました。nn を計量次元とし、δ(T)=[D,T]\delta(T)=[|D|,T] と書きます。

公理内容
次元(1+D2)1/2Ln,(1+D^2)^{-1/2}\in\mathcal{L}^{n,\infty} であり、nn が最小のそのような数である
正則性すべての aAa\in\mathcal{A} について π(a)\pi(a)[D,π(a)][D,\pi(a)]k1Dom(δk)\bigcap_{k\ge1}\operatorname{Dom}(\delta^{k}) に属する
有限性H=k1Dom(Dk)\mathcal{H}_\infty=\bigcap_{k\ge1}\operatorname{Dom}(D^{k}) が有限生成射影 A\mathcal{A}-加群である
実構造反ユニタリ J:HHJ:\mathcal{H}\to\mathcal{H} があり J2=εJ^2=\varepsilonJD=εDJJD=\varepsilon' DJJγ=εγJJ\gamma=\varepsilon''\gamma J(符号は下表)
一次条件すべての a,bAa,b\in\mathcal{A}[[D,π(a)],Jπ(b)J1]=0\bigl[[D,\pi(a)],J\pi(b)J^{-1}\bigr]=0
向き付けホッホシルト nn-サイクル cZn(A,AAop)\mathfrak{c}\in Z_n(\mathcal{A},\mathcal{A}\otimes\mathcal{A}^{\mathrm{op}})πD(c)=γ\pi_D(\mathfrak{c})=\gammann 偶)または =1=1nn 奇)となるものが存在する
ポアンカレ双対指数対から定まる K(A)K_*(\mathcal{A}) 上の交叉形式が非退化である

符号 (ε,ε,ε)(\varepsilon,\varepsilon',\varepsilon'')nn88 を法とする値(KO 次元)だけで決まり、次の表の通りです(ε\varepsilon'' は偶数次元でのみ意味を持ちます)。

KO 次元01234567
ε\varepsilon++++----++++
ε\varepsilon'++-++++++-++++
ε\varepsilon''++-++-

可換な場合、JJ はスピノルの電荷共役作用素であり、Jπ(b)J1J\pi(b)J^{-1} は複素共役をとった関数の掛け算です。関数は互いに可換で [D,f][D,f] は 0 階(掛け算)作用素なので、一次条件は「DD が高々 1 階の微分作用素である」ことの代数的な言い換えになります。ポアンカレ双対は K 理論の言葉で書かれており(K(A)K_*(\mathcal{A}) の定義は Definition 5.3[K-理論入門]Definition 6.1[K-理論入門])、K-理論入門指数定理への応用 の内容がここで効いてきます。

Theorem 7.1コンヌの再構成定理

(A,H,D)(\mathcal{A},\mathcal{H},D) を上のすべての公理を満たす計量次元 nn のスペクトル三つ組とし、A\mathcal{A}可換であるとします。このとき、nn 次元のコンパクトで向き付けられた滑らかなスピンc{}^{c}多様体 MM が存在して AC(M)\mathcal{A}\cong C^\infty(M) となり、H\mathcal{H}MM 上のスピノル束の L2L^2 切断の空間、DD はその上のディラック型作用素と同一視されます。さらに実構造 JJ を持つ場合、MM はスピン多様体になります。

Remark 7.2

証明は長く、微分位相幾何の道具(ホッホシルトサイクルから局所座標を作り、正則性から滑らかな構造を復元する)を大量に使うので、ここでは述べません。コンヌによる 2013 年の論文を参照してください。定理の意味するところは明確です。Theorem 5.5 と合わせると、コンパクトスピン多様体の圏と、可換で公理を満たすスペクトル三つ組の圏が本質的に一致します。したがって A\mathcal{A} の可換性を落とすことは、幾何の一般化として過不足がないわけです。これが「非可換リーマン多様体 = スペクトル三つ組」という定式化の正当化になっています。

Exercise 8.1標準

(A,H,D)(\mathcal{A},\mathcal{H},D) をスペクトル三つ組、AAπ(A)\pi(\mathcal{A}) を含む CC^*-代数とします。

Lip(D):={aA:aDom(D)Dom(D), [D,a] が有界}\mathrm{Lip}(D):=\{\,a\in A : a\operatorname{Dom}(D)\subset\operatorname{Dom}(D),\ [D,a]\ \text{が有界}\,\}

とおき、L(a):=[D,a]L(a):=\|[D,a]\| と定めます。Lip(D)\mathrm{Lip}(D)AA*-部分代数であること、および LL がライプニッツ型の不等式

L(ab)aL(b)+L(a)b,L(a)=L(a)L(ab)\le\|a\|\,L(b)+L(a)\,\|b\|,\qquad L(a^{*})=L(a)

を満たす半ノルムであることを示してください。

Solution

a,bLip(D)a,b\in\mathrm{Lip}(D) とします。定義域の条件から abDom(D)aDom(D)Dom(D)ab\operatorname{Dom}(D)\subset a\operatorname{Dom}(D)\subset\operatorname{Dom}(D) です。Dom(D)\operatorname{Dom}(D) 上で

[D,ab]=DababD=(DaaD)b+a(DbbD)=[D,a]b+a[D,b][D,ab]=Dab-abD=(Da-aD)b+a(Db-bD)=[D,a]b+a[D,b]

が成り立ちます。右辺は有界作用素の和なので有界であり、abLip(D)ab\in\mathrm{Lip}(D)、かつ

L(ab)=[D,a]b+a[D,b][D,a]b+a[D,b]=L(a)b+aL(b).L(ab)=\|[D,a]b+a[D,b]\|\le\|[D,a]\|\,\|b\|+\|a\|\,\|[D,b]\|=L(a)\|b\|+\|a\|L(b).

線形性は交換子の双線形性から明らか([D,αa+βb]=α[D,a]+β[D,b][D,\alpha a+\beta b]=\alpha[D,a]+\beta[D,b])で、これより LL の劣加法性 L(a+b)L(a)+L(b)L(a+b)\le L(a)+L(b) と斉次性 L(αa)=αL(a)L(\alpha a)=|\alpha|L(a) が従います。

* について。DD が自己共役なので、ξ,ηDom(D)\xi,\eta\in\operatorname{Dom}(D) に対し

[D,a]ξ,η=Daξ,ηaDξ,η=ξ,aDηξ,Daη=ξ,[D,a]η\langle [D,a]\xi,\eta\rangle=\langle Da\xi,\eta\rangle-\langle aD\xi,\eta\rangle=\langle \xi,a^{*}D\eta\rangle-\langle\xi,Da^{*}\eta\rangle=-\langle\xi,[D,a^{*}]\eta\rangle

となり、[D,a]=[D,a][D,a]^{*}=-[D,a^{*}](有界拡張の意味で)が成り立ちます。とくに [D,a][D,a^*] は有界なので aLip(D)a^*\in\mathrm{Lip}(D) で、L(a)=[D,a]=[D,a]=[D,a]=L(a)L(a^{*})=\|[D,a^{*}]\|=\|[D,a]^{*}\|=\|[D,a]\|=L(a) です。なお L(1)=0L(1)=0 なので LL はノルムではなく半ノルムです。この半ノルムが Definition 5.1 の制約 L(a)1L(a)\le1 を与えています。

Exercise 8.2標準

Example 4.3 の設定で、sRs\in\mathbb{R} に対し Ds=iddθ+sD_s=-i\frac{d}{d\theta}+s とおきます。

  1. (C(S1),L2(S1),Ds)(C^\infty(S^1),L^2(S^1),D_s) がスペクトル三つ組であることを示し、DsD_s のスペクトルを求めてください。
  2. コンヌの距離 dDsd_{D_s}ss によらないことを示してください。
  3. sZs\notin\mathbb{Z} のとき DsD_s は可逆です。この事実と (2) は矛盾しないことを説明してください。
Solution

(1) ss は実数のスカラーなので Ds=D+sD_s=D+s は自己共役です。ek(θ)=(2π)1/2eikθe_k(\theta)=(2\pi)^{-1/2}e^{ik\theta} に対し Dsek=(k+s)ekD_se_k=(k+s)e_k なので、スペクトルは Z+s={k+s:kZ}\mathbb{Z}+s=\{k+s : k\in\mathbb{Z}\} で、k+s|k+s|\to\infty です。Proposition 3.3 によりコンパクトレゾルベントを持ちます。また fC(S1)f\in C^\infty(S^1) に対し [Ds,f]=[D,f]+[s,f]=[D,f]=if[D_s,f]=[D,f]+[s,f]=[D,f]=-if' で有界です。よってスペクトル三つ組です。

(2) (1) の計算より [Ds,f]=[D,f][D_s,f]=[D,f] がすべての ff について成り立つので、Definition 5.1 の制約集合が ss によらず一致します。上限を取る対象も同じなので dDs=dDd_{D_s}=d_D であり、Example 5.6 より dDs(δ0,δα)=min(α,2πα)d_{D_s}(\delta_0,\delta_\alpha)=\min(\alpha,2\pi-\alpha) です。

(3) 矛盾しません。距離公式に現れるのは DD そのものではなく交換子 [D,π(a)][D,\pi(a)] だけであり、π(A)\pi(\mathcal{A}) と可換な有界作用素(ここではスカラー ss)を DD に足しても交換子は変わらないからです。一方 DsD_s のスペクトルは ss とともに動き、sZs\notin\mathbb{Z} では核が 00 になります。つまりスペクトルは距離より多くの情報(この場合はスピン構造や平坦接続の選び方)を含みます。実際、s=1/2s=1/2 は円周のもう一つのスピン構造(反周期的境界条件)に対応し、幾何としての長さは同じでも、指数理論的な性質は異なります。

Exercise 8.3

平坦トーラス T2=R2/(2πZ)2T^2=\mathbb{R}^2/(2\pi\mathbb{Z})^2 を考えます。H=L2(T2)C2\mathcal{H}=L^2(T^2)\otimes\mathbb{C}^2 とし、パウリ行列 σ1,σ2\sigma_1,\sigma_2 を用いて

D=i(σ11+σ22)D=-i\bigl(\sigma_1\partial_1+\sigma_2\partial_2\bigr)

とおきます。A=C(T2)\mathcal{A}=C^\infty(T^2) は第 1 成分に対角に作用するとします。

  1. DD の固有値と重複度を求めてください。
  2. この三つ組の計量次元が 22 であることを示してください。
  3. Trω(D2)\mathrm{Tr}_\omega(|D|^{-2}) を計算し、Theorem 6.3 の値と比較してください。
Solution

(1) k=(k1,k2)Z2k=(k_1,k_2)\in\mathbb{Z}^2 に対し ek(x)=(2π)1eikxe_k(x)=(2\pi)^{-1}e^{i k\cdot x} とおくと、DD は部分空間 CekC2\mathbb{C}e_k\otimes\mathbb{C}^2 を保ち、そこでは行列 k1σ1+k2σ2k_1\sigma_1+k_2\sigma_2 として作用します。この行列は (k1σ1+k2σ2)2=(k12+k22)I(k_1\sigma_1+k_2\sigma_2)^2=(k_1^2+k_2^2)Iσiσj+σjσi=2δijI\sigma_i\sigma_j+\sigma_j\sigma_i=2\delta_{ij}I より)を満たす跡 00 のエルミート行列なので、固有値は ±k\pm|k| でそれぞれ重複度 11 です。したがって DD の固有値は ±k\pm|k|kZ2k\in\mathbb{Z}^2)で、k=0k=0 に対応する固有値 00 の重複度は 22k=ρ>0|k|=\rho>0 に対しては ±ρ\pm\rho がそれぞれ #{kZ2:k=ρ}\#\{k\in\mathbb{Z}^2 : |k|=\rho\} 個ずつ現れます。

(2) 計数関数は N(Λ)=2#{kZ2:kΛ}N(\Lambda)=2\,\#\{k\in\mathbb{Z}^2 : |k|\le\Lambda\} です。格子点の個数は半径 Λ\Lambda の円の面積に漸近する(ガウスの円問題の主要項)ので

N(Λ)2πΛ2.N(\Lambda)\sim 2\pi\Lambda^{2}.

よって D|D| の固有値を小さい順に並べたもの μj\mu_j2πμj2j2\pi\mu_j^2\sim j、すなわち μjj/(2π)\mu_j\sim\sqrt{j/(2\pi)} を満たします。(1+D2)1/2(1+D^2)^{-1/2} の第 jj 特異値は (1+μj2)1/22π/j=O(j1/2)(1+\mu_j^2)^{-1/2}\sim\sqrt{2\pi/j}=O(j^{-1/2}) なので L2,\mathcal{L}^{2,\infty} に属し、p<2p<2 では j1/pj^{-1/p} より遅く減少するため属しません。したがって計量次元は 22 です。なお Theorem 6.1 の右辺は 22/2=22^{\lfloor 2/2\rfloor}=2Ω2=π\Omega_2=\pivol(T2)=4π2\operatorname{vol}(T^2)=4\pi^2 から 2π4π2(2π)2Λ2=2πΛ2\frac{2\cdot\pi\cdot4\pi^2}{(2\pi)^2}\Lambda^2=2\pi\Lambda^2 で、一致します。

(3) 核は 2 次元(有限階)なのでディクシエ跡には寄与しません。核を除いて μj22π/j\mu_j^{-2}\sim 2\pi/j なので

Trω(D2)=limN1logNjN2πj=2π.\mathrm{Tr}_\omega(|D|^{-2})=\lim_{N\to\infty}\frac{1}{\log N}\sum_{j\le N}\frac{2\pi}{j}=2\pi .

Theorem 6.3 の右辺は 22/2Ω2(2π)2vol(T2)=2π4π24π2=2π\frac{2^{\lfloor2/2\rfloor}\Omega_2}{(2\pi)^2}\operatorname{vol}(T^2)=\frac{2\pi}{4\pi^2}\cdot4\pi^2=2\pi で一致します。逆に読めば vol(T2)=2πTrω(D2)=4π2\operatorname{vol}(T^2)=2\pi\,\mathrm{Tr}_\omega(|D|^{-2})=4\pi^2 です。

  • A. Connes, Noncommutative Geometry, Academic Press, 1994 — 第 IV 章(量子化された微分計算)と第 VI 章(スペクトル三つ組と距離公式)。
  • A. Connes, “The action functional in non-commutative geometry”, Communications in Mathematical Physics 117 (1988) — ディクシエ跡による非可換積分と跡定理。
  • A. Connes, “Gravity coupled with matter and the foundation of non-commutative geometry”, Communications in Mathematical Physics 182 (1996), arXiv:hep-th/9603053 — 実スペクトル三つ組の公理系と KO 次元の符号表。
  • A. Connes, “On the spectral characterization of manifolds”, Journal of Noncommutative Geometry 7 (2013), arXiv:0810.2088 — 再構成定理。
  • J. M. Gracia-Bondía, J. C. Várilly, H. Figueroa, Elements of Noncommutative Geometry, Birkhäuser, 2001 — 第 9 章(可換スペクトル三つ組と距離公式)、第 7 章(ディクシエ跡)。
  • H. B. Lawson, M.-L. Michelsohn, Spin Geometry, Princeton University Press, 1989 — 第 I 章(クリフォード代数とスピン構造)、第 II 章(ディラック作用素と楕円型理論)。

Appendix: 有界変換とフレドホルム加群

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なぜ非有界作用素を使うのか。 スペクトル三つ組から有界作用素を作るには、F:=D(1+D2)1/2F:=D(1+D^2)^{-1/2} とおきます。この FF は自己共役で F1\|F\|\le1、しかも F21=(1+D2)1F^2-1=-(1+D^2)^{-1} はコンパクトです。さらに [F,π(a)][F,\pi(a)] がすべての aAa\in\mathcal{A} でコンパクトになることが示せます([D,π(a)][D,\pi(a)] の有界性と (1+D2)1/2(1+D^2)^{-1/2} のコンパクト性から従います)。この (H,F)(\mathcal{H},F)AA 上のフレドホルム加群(Definition 4.5[指数定理への応用])であり、K ホモロジー群 K0(A)K^0(A)(偶の場合)または K1(A)K^1(A)(奇の場合)の元を定めます。

失われるもの。 DFD\mapsto F という移行で、DD のスケールは完全に潰されます。実際 DDtDtDt>0t>0)に取り替えても、FF の定める K ホモロジー類は変わりません。ところがコンヌの距離は dtD=t1dDd_{tD}=t^{-1}d_D と変化します。つまり FF だけでは距離が復元できません。位相的な情報(K ホモロジー類、そして指数対 [F],[e]\langle[F],[e]\rangle)は FF の段階で完結しますが、計量の情報は非有界な DD にしか宿っていないのです。バーイとジュルグが示したように、DD から FF への移行は KKKK 類を変えないので、非有界表示は「位相の情報を保ったまま計量の情報を追加で持つ」枠組みになっています。

指数定理との接続。 射影加群 eMN(A)e\in M_N(\mathcal{A})e2=e=ee^2=e=e^*)に対する指数対

[D],[e]=Index(e(D1N)e)\langle [D],[e]\rangle=\operatorname{Index}\bigl(e(D\otimes 1_N)e\bigr)

は整数値で、K0(A)K_0(\mathcal{A}) 上の加法的な汎関数を定めます。これが局所的な曲率積分として書けることを主張するのが 局所指数公式(Theorem 5.2)[指数定理への応用] で、可換な場合には アティヤ–シンガーの指数定理(Theorem 3.1)[指数定理への応用] を含みます。この筋道は 指数定理への応用 で扱います。K 理論側の準備は K-理論入門 にあります。

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