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密度行列とエンタングルメント:部分トレース、POVM、Bell–CHSH 不等式、Lindblad 方程式

対象読者: 状態ベクトルとエルミート演算子、スピン1/2とパウリ行列、テンソル積の初歩を学んだ学部生。トレースを含む線形代数は既知で、統計力学は仮定しません。

前提となる記事:角運動量とスピン:交換関係から固有値・パウリ行列・合成則を導く、演算子と物理量:エルミート演算子と交換関係から不確定性関係へ

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ふつうの量子力学では、系の状態を 1 本のベクトルで表しました。ところが、ランダムに準備された粒子や、別の粒子と強く結びついた粒子の片方だけを見る場合、1 本のベクトルでは状態を書けません。この記事では、そうした状態を表す道具(密度行列)、より一般的な測定の表し方、離れた 2 地点の測定結果の相関が古典的な説明を超えること、環境の影響で状態が変わっていく様子を順に見ます。読み終えると、「全体は完全にわかっているのに、部分については何もわからない」という状況を式で説明できるようになります。

  • 状態ベクトルで書けない状態、つまり統計的な混合や、他の系と相関した部分系の状態は、トレース 1 の半正定値行列 ρ\rho(密度行列)で表します。観測量 AA の期待値は tr(ρA)\mathrm{tr}(\rho A)、時間発展は ρ↦UρU†\rho\mapsto U\rho U^\dagger です。
  • 合成系 A+BA+B の純粋状態から BB を無視して得られる AA の状態は 部分トレース ρA=trBρAB\rho_A=\mathrm{tr}_B\rho_{AB} で、一般に混合状態になります。Schmidt 分解は、ρA\rho_A と ρB\rho_B の非零固有値が一致することを示し、エンタングルメント(量子もつれ)の強さをエントロピーで測れるようにします。
  • 射影測定以外の測定は POVM {Ei}\{E_i\}(Ei≥0E_i\ge0、∑Ei=1\sum E_i=1)で表されます。Naimark の拡張定理(POVM を、大きな系での普通の測定に置き換えられるという定理)により、POVM はつねに、補助系を加えた射影測定として実現できます。
  • 局所的な隠れた変数(粒子対があらかじめ共有している、測定結果を決める仕込み)で説明できる相関は CHSH の量 SS について ∣S∣≤2|S|\le2 を満たします。量子力学では ∣S∣≤22|S|\le2\sqrt2 が最大で、一重項状態がこれを達成します。
  • 環境と相互作用する系の時間発展は Lindblad 方程式で書かれます。この方程式が与える時間発展は、トレースを保存し、完全正値(部分系に対する意味でも正)であることを証明できます。

1. 動機:「状態ベクトルがない」状態

Section titled “1. 動機:「状態ベクトルがない」状態”

これまで、系の状態は状態ベクトル ∣ψ⟩|\psi\rangle でした。しかし、次の場面ではそれでは足りません。

第一に、準備が不完全な場合です。炉から出る原子の向きはランダムで、「上向き確率 12\frac12、下向き確率 12\frac12」と言うほかありません。これは状態ベクトル ∣ ⁣↑⟩+∣ ⁣↓⟩|\!\uparrow\rangle+|\!\downarrow\rangle ではありません(それは xx 方向の確定した向きです)。

第二に、他の系とつながっている場合です。2 つのスピンの一重項 では全体は純粋状態ですが、片方だけを見ると、向きはまったくでたらめです。全体について知っていることが多すぎて、部分については何も言えない、という奇妙な構造です。

第三に、測定そのものです。射影測定(固有状態への射影)しか許さないと、現実の検出器の働きが説明しきれません。

この章では、まず状態の一般化(密度行列)、次に部分系の状態(部分トレース)、測定の一般化(POVM)を導入し、その上で量子相関が古典的な説明を超えること(Bell–CHSH 不等式)と、環境の影響で状態が変化すること(Lindblad 方程式)を見ます。数学は有限次元ヒルベルト空間に限り、無限次元への拡張はテンソル積に関する章にあります。

定義 2.1(密度行列)↗

ヒルベルト空間 H\mathcal{H}(有限次元)上の線形作用素 ρ\rho が 密度行列(統計演算子)であるとは、(1) ρ≥0\rho\ge0(半正定値:すべての ∣ϕ⟩|\phi\rangle について ⟨ϕ∣ρ∣ϕ⟩≥0\langle\phi|\rho|\phi\rangle\ge0)、(2) tr ρ=1\mathrm{tr}\,\rho=1 を満たすことをいう。ある ∣ψ⟩|\psi\rangle で ρ=∣ψ⟩⟨ψ∣\rho=|\psi\rangle\langle\psi| と書けるとき 純粋状態、そうでないとき 混合状態 という。

ρ\rho はエルミートなので、スペクトル分解 ρ=∑kpk∣k⟩⟨k∣\rho=\sum_kp_k|k\rangle\langle k|(pk≥0p_k\ge0、∑kpk=1\sum_kp_k=1)を持ちます。つまり どんな密度行列も、純粋状態の確率的な混合 です。観測量 AA の期待値は

⟨A⟩ρ=tr(ρA)=∑kpk⟨k∣A∣k⟩\langle A\rangle_\rho=\mathrm{tr}(\rho A)=\sum_kp_k\langle k|A|k\rangle

で、ρ=∣ψ⟩⟨ψ∣\rho=|\psi\rangle\langle\psi| なら ⟨ψ∣A∣ψ⟩\langle\psi|A|\psi\rangle に一致します。

命題 2.2(純粋さの判定)✓

密度行列 ρ\rho について 0<tr ρ2≤10<\mathrm{tr}\,\rho^2\le1 であり、tr ρ2=1\mathrm{tr}\,\rho^2=1 となるのは ρ\rho が純粋状態のときに限る。

証明(命題 2.2)

スペクトル分解で tr ρ2=∑kpk2\mathrm{tr}\,\rho^2=\sum_kp_k^2 です。0≤pk≤10\le p_k\le1 より pk2≤pkp_k^2\le p_k なので ∑pk2≤∑pk=1\sum p_k^2\le\sum p_k=1 で、等号は各 kk で pk∈{0,1}p_k\in\{0,1\}、すなわち pk=1p_k=1 となる kk がちょうど 1 つ(他は 0)のとき、つまり ρ\rho がランク 1 の射影のときに限ります。

例 2.3(量子ビットの Bloch 球)

H=C2\mathcal{H}=\mathbb{C}^2 では、エルミート行列の基底は {1,σx,σy,σz}\{1,\sigma_x,\sigma_y,\sigma_z\} なので、トレース 1 のエルミート行列は ρ=12(1+r⋅σ)\rho=\tfrac12(1+\boldsymbol{r}\cdot\boldsymbol{\sigma})(r∈R3\boldsymbol{r}\in\mathbb{R}^3)と一意に書けます。命題 5.2[角運動量とスピン] より (r⋅σ)2=∣r∣2(\boldsymbol{r}\cdot\boldsymbol{\sigma})^2=|\boldsymbol{r}|^2 なので固有値は 12(1±∣r∣)\tfrac12(1\pm|\boldsymbol{r}|) で、ρ≥0\rho\ge0 は ∣r∣≤1|\boldsymbol{r}|\le1 と同値です。密度行列全体は 単位球 ∣r∣≤1|\boldsymbol{r}|\le1 と 1 対 1 に対応します。球面 ∣r∣=1|\boldsymbol{r}|=1 が純粋状態、中心 r=0\boldsymbol{r}=0 が完全に混合した状態 ρ=121\rho=\tfrac121 です。tr ρ2=12(1+∣r∣2)\mathrm{tr}\,\rho^2=\tfrac12(1+|\boldsymbol{r}|^2) で、純度は中心からの距離で決まります。∣ ⁣↑⟩,∣ ⁣↓⟩|\!\uparrow\rangle,|\!\downarrow\rangle を 12\tfrac12 ずつ混ぜても、∣ ⁣→⟩,∣ ⁣←⟩|\!\rightarrow\rangle,|\!\leftarrow\rangle を 12\tfrac12 ずつ混ぜても、どちらも ρ=121\rho=\tfrac121 です。同じ密度行列を与える混合の仕方は一意でありません。

ユニタリ時間発展 ∣ψ⟩↦U∣ψ⟩|\psi\rangle\mapsto U|\psi\rangle は、混合に対しても ρ↦UρU†\rho\mapsto U\rho U^\dagger で、ρ(t)=U(t)ρ(0)U(t)†\rho(t)=U(t)\rho(0)U(t)^\dagger を微分すれば von Neumann 方程式 iℏ ρ˙=[H,ρ]i\hbar\,\dot\rho=[H,\rho] を得ます(Heisenberg の運動方程式と符号が逆であることに注意)。

3. 部分トレースとエンタングルメント

Section titled “3. 部分トレースとエンタングルメント”

2 つの系 A,BA,B をあわせた系の状態空間は HA⊗HB\mathcal{H}_A\otimes\mathcal{H}_B です。AA だけに関する観測量 XX は、合成系では X⊗1BX\otimes1_B として働きます。

定義 3.1(部分トレース)↗

HA⊗HB\mathcal{H}_A\otimes\mathcal{H}_B 上の作用素 ZZ に対し、BB についての部分トレース trBZ\mathrm{tr}_BZ を、HB\mathcal{H}_B の正規直交基底 {∣fj⟩}\{|f_j\rangle\} を使って

trBZ=∑j(1A⊗⟨fj∣) Z (1A⊗∣fj⟩)\mathrm{tr}_BZ=\sum_j(1_A\otimes\langle f_j|)\,Z\,(1_A\otimes|f_j\rangle)

で定める。Z=X⊗YZ=X\otimes Y なら trB(X⊗Y)=X tr Y\mathrm{tr}_B(X\otimes Y)=X\,\mathrm{tr}\,Y である。

定理 3.2(部分トレースは局所観測量の期待値を再現する)✓

(1) trBZ\mathrm{tr}_BZ は基底 {∣fj⟩}\{|f_j\rangle\} の選び方によらず、HA\mathcal{H}_A 上の作用素 WW で、すべての HA\mathcal{H}_A 上の作用素 XX について tr(WX)=tr(Z(X⊗1B))\mathrm{tr}(WX)=\mathrm{tr}\bigl(Z(X\otimes1_B)\bigr) を満たすものとして一意に定まる。(2) ρAB\rho_{AB} が密度行列なら ρA:=trBρAB\rho_A:=\mathrm{tr}_B\rho_{AB} も密度行列で、AA だけの観測量 XX について tr(ρAB(X⊗1B))=tr(ρAX)\mathrm{tr}\bigl(\rho_{AB}(X\otimes1_B)\bigr)=\mathrm{tr}(\rho_AX) が成り立つ。

証明(定理 3.2)

(1) HA\mathcal{H}_A の基底 {∣ei⟩}\{|e_i\rangle\} を取ると、

tr(trB(Z) X)=∑i,j⟨ei∣X(1⊗⟨fj∣)Z(1⊗∣fj⟩)∣ei⟩=∑i,j⟨eifj∣(X⊗1)Z∣eifj⟩=tr((X⊗1)Z)\mathrm{tr}(\mathrm{tr}_B(Z)\,X)=\sum_{i,j}\langle e_i|X(1\otimes\langle f_j|)Z(1\otimes|f_j\rangle)|e_i\rangle=\sum_{i,j}\langle e_if_j|(X\otimes1)Z|e_if_j\rangle=\mathrm{tr}\bigl((X\otimes1)Z\bigr)

です。右辺は基底によらないので、すべての XX に対して tr(WX)\mathrm{tr}(WX) の値が決まれば WW が決まる(tr(WX)=0\mathrm{tr}(WX)=0 がすべての XX について成り立てば X=W†X=W^\dagger として tr(WW†)=0\mathrm{tr}(WW^\dagger)=0 から W=0W=0)ので、一意性と基底によらないことが従います。(2) 期待値の等式は (1) そのものです。ρA≥0\rho_A\ge0 は、∣ϕ⟩∈HA|\phi\rangle\in\mathcal{H}_A について ⟨ϕ∣ρA∣ϕ⟩=∑j⟨ϕfj∣ρAB∣ϕfj⟩≥0\langle\phi|\rho_A|\phi\rangle=\sum_j\langle\phi f_j|\rho_{AB}|\phi f_j\rangle\ge0 から、trρA=trρAB=1\mathrm{tr}\rho_A=\mathrm{tr}\rho_{AB}=1 は (1) で X=1X=1 とすればよい。

したがって、AA だけを観測する人にとっての AA の状態は ρA\rho_A です。小さな例として、ρAB=∣Φ⟩⟨Φ∣\rho_{AB}=|\Phi\rangle\langle\Phi|、∣Φ⟩=12(∣00⟩+∣11⟩)|\Phi\rangle=\tfrac{1}{\sqrt2}(|00\rangle+|11\rangle) を考えます。ρAB=12∑i,j∈{0,1}∣i⟩⟨j∣⊗∣i⟩⟨j∣\rho_{AB}=\tfrac12\sum_{i,j\in\{0,1\}}|i\rangle\langle j|\otimes|i\rangle\langle j| で、BB 側の因子のトレースは tr ∣i⟩⟨j∣=δij\mathrm{tr}\,|i\rangle\langle j|=\delta_{ij} なので、i≠ji\ne j の項は消えて trBρAB=12(∣0⟩⟨0∣+∣1⟩⟨1∣)=121\mathrm{tr}_B\rho_{AB}=\tfrac12(|0\rangle\langle0|+|1\rangle\langle1|)=\tfrac121 となります。

定理 3.3(Schmidt 分解)✓

∣Ψ⟩∈HA⊗HB|\Psi\rangle\in\mathcal{H}_A\otimes\mathcal{H}_B は、正規直交系 {∣ak⟩}⊂HA\{|a_k\rangle\}\subset\mathcal{H}_A、{∣bk⟩}⊂HB\{|b_k\rangle\}\subset\mathcal{H}_B と sk>0s_k>0(∑ksk2=1\sum_ks_k^2=1)を使って

∣Ψ⟩=∑k=1rsk ∣ak⟩⊗∣bk⟩|\Psi\rangle=\sum_{k=1}^rs_k\,|a_k\rangle\otimes|b_k\rangle

と書ける(rr は Schmidt ランク)。このとき ρA=∑ksk2∣ak⟩⟨ak∣\rho_A=\sum_ks_k^2|a_k\rangle\langle a_k|、ρB=∑ksk2∣bk⟩⟨bk∣\rho_B=\sum_ks_k^2|b_k\rangle\langle b_k| であり、ρA\rho_A と ρB\rho_B の非零固有値(重複度を込めて)は一致する。

証明(定理 3.3)

基底展開 ∣Ψ⟩=∑ijCij∣ei⟩∣fj⟩|\Psi\rangle=\sum_{ij}C_{ij}|e_i\rangle|f_j\rangle の係数行列 CC に 特異値分解(定理 7.2)[コンパクト作用素・Hilbert–Schmidt 作用素・トレースクラス] を使うと Cij=∑kUikskVjk‾C_{ij}=\sum_kU_{ik}s_k\overline{V_{jk}} です(U,VU,V は列が正規直交)。∣ak⟩=∑iUik∣ei⟩|a_k\rangle=\sum_iU_{ik}|e_i\rangle、∣bk⟩=∑jVjk‾∣fj⟩|b_k\rangle=\sum_j\overline{V_{jk}}|f_j\rangle と置けば Schmidt 分解です。ρAB=∣Ψ⟩⟨Ψ∣\rho_{AB}=|\Psi\rangle\langle\Psi| の BB 部分トレースを取ると、⟨bk∣bk′⟩=δkk′\langle b_k|b_{k'}\rangle=\delta_{kk'} より交差項が消えて ρA=∑ksk2∣ak⟩⟨ak∣\rho_A=\sum_ks_k^2|a_k\rangle\langle a_k|、AA と BB を入れ替えれば ρB\rho_B も同様です。

系 3.4(積状態の判定とエンタングルメント・エントロピー)✓

純粋状態 ∣Ψ⟩|\Psi\rangle について、次は同値である。(a) ∣Ψ⟩=∣ϕA⟩⊗∣ϕB⟩|\Psi\rangle=|\phi_A\rangle\otimes|\phi_B\rangle(積状態)。(b) Schmidt ランクが 1。(c) ρA\rho_A が純粋状態。(d) S(ρA):=−tr(ρAln⁡ρA)=0S(\rho_A):=-\mathrm{tr}(\rho_A\ln\rho_A)=0。積状態でない純粋状態を エンタングルしている という。このとき S(ρA)=S(ρB)=−∑ksk2ln⁡sk2S(\rho_A)=S(\rho_B)=-\sum_ks_k^2\ln s_k^2 で、ln⁡min⁡(dA,dB)\ln\min(d_A,d_B) 以下であり、等号は sk2s_k^2 がすべて等しいとき(最大エンタングル状態)に限る。

証明(系 3.4)

(a)⇔(b) は Schmidt 分解の形から、(b)⇔(c) は ρA=∑sk2∣ak⟩⟨ak∣\rho_A=\sum s_k^2|a_k\rangle\langle a_k| が純粋なのは項が 1 つのときだから、命題 2.2 による。(c)⇔(d) は S=−∑pkln⁡pkS=-\sum p_k\ln p_k が {pk}\{p_k\} が (1,0,…,0)(1,0,\ldots,0) のときだけ 00 だから。S(ρA)=S(ρB)S(\rho_A)=S(\rho_B) は固有値が共通なため。上界は、確率分布 pkp_k のシャノンエントロピーが ln⁡r\ln r 以下で、等号は一様分布であることから従う(イェンセンの不等式、−xln⁡x-x\ln x は凹)。

例 3.5(Bell 状態)

∣Φ+⟩=12(∣00⟩+∣11⟩)|\Phi^+\rangle=\tfrac{1}{\sqrt2}(|00\rangle+|11\rangle) は積状態でなく、s1=s2=1/2s_1=s_2=1/\sqrt2 で ρA=ρB=121\rho_A=\rho_B=\tfrac121、S=ln⁡2S=\ln2 です。2 つのスピン 1/2 の一重項 ∣ψ−⟩=12(∣ ⁣↑↓⟩−∣ ⁣↓↑⟩)|\psi^-\rangle=\tfrac{1}{\sqrt2}(|\!\uparrow\downarrow\rangle-|\!\downarrow\uparrow\rangle) も同様に ρA=ρB=121\rho_A=\rho_B=\tfrac121 です。全体は純粋状態(ばらつきがゼロ)なのに、片方だけの状態は最も混ざった状態になっています。全体について最大限の情報をもっていても、部分については何もわかりません。

逆向きの構成もあります。任意の混合状態 ρA=∑pk∣ak⟩⟨ak∣\rho_A=\sum p_k|a_k\rangle\langle a_k| は、補助系 BB を用意して ∣Ψ⟩=∑kpk∣ak⟩∣bk⟩|\Psi\rangle=\sum_k\sqrt{p_k}|a_k\rangle|b_k\rangle(純粋化)の部分トレースとして得られます。混合状態は、見えない系とのエンタングルメントの影と見ることもできます。

射影測定では、観測量 A=∑iaiPiA=\sum_ia_iP_i の固有値 aia_i を確率 tr(ρPi)\mathrm{tr}(\rho P_i) で得ます。PiP_i は直交射影で PiPj=δijPiP_iP_j=\delta_{ij}P_i です。

定義 4.1(POVM)↗

有限個の半正定値作用素 E1,…,En≥0E_1,\ldots,E_n\ge0 が ∑iEi=1\sum_iE_i=1 を満たすとき、これを POVM(正作用素値測度)という。測定で結果 ii を得る確率は pi=tr(ρEi)p_i=\mathrm{tr}(\rho E_i) である。EiE_i が互いに直交する射影ならば射影測定にほかならない。

pi≥0p_i\ge0 と ∑pi=1\sum p_i=1 は定義から従います。POVM では結果の数が空間の次元を超えてもよく、EiE_i は互いに直交しなくてもよいのが射影測定との違いです。

例 4.2(量子ビットの 3 値 POVM(トライン))

Bloch 球の同じ平面上で 120∘120^\circ ずつ離れた単位ベクトル n1,n2,n3\boldsymbol{n}_1,\boldsymbol{n}_2,\boldsymbol{n}_3(∑knk=0\sum_k\boldsymbol{n}_k=0)に対して、Ek=23⋅12(1+nk⋅σ)E_k=\tfrac23\cdot\tfrac12(1+\boldsymbol{n}_k\cdot\boldsymbol{\sigma}) と置きます。各 Ek≥0E_k\ge0 で、∑kEk=13(3⋅1+0)=1\sum_kE_k=\tfrac13(3\cdot1+0)=1 です。2 次元の空間に 3 個の結果を持つ測定で、射影測定ではありません(EkE_k はどれも射影ではない)。状態 nk\boldsymbol{n}_k の粒子に対して、結果 kk を得る確率は 23⋅12(1+1)=23\tfrac23\cdot\tfrac12(1+1)=\tfrac23、他の結果は 16\tfrac16 ずつです。互いに直交しない 3 つの状態を、完全ではないが、あるまとまりのある精度で見分ける測定の例です。

POVM は特殊な道具に見えますが、じつは より大きな系での通常の測定に過ぎません。

定理 4.3(Naimark の拡張定理(有限次元・有限個の結果))✓

H\mathcal{H} 上の POVM {Ei}i=1n\{E_i\}_{i=1}^n に対し、補助系 K=Cn\mathcal{K}=\mathbb{C}^n と、ユニタリ UU on H⊗K\mathcal{H}\otimes\mathcal{K} が存在して、任意の状態 ρ\rho について

tr(ρEi)=tr[U(ρ⊗∣0⟩⟨0∣)U†  (1⊗∣i⟩⟨i∣)]\mathrm{tr}(\rho E_i)=\mathrm{tr}\Bigl[U(\rho\otimes|0\rangle\langle0|)U^\dagger\;(1\otimes|i\rangle\langle i|)\Bigr]

が成り立つ。すなわち POVM は、補助系を基準状態 ∣0⟩|0\rangle に用意して相互作用(UU)させたあとの、補助系の射影測定 {1⊗∣i⟩⟨i∣}\{1\otimes|i\rangle\langle i|\} として実現できる。

この定理のねらいは、POVM という新しい測定が、「補助系を足して全体をユニタリに発展させ、補助系を普通に測る」操作に言い換えられると示すことです。証明の方針は、Ei\sqrt{E_i} で作った写像 VV が内積を保つ(等長写像)ことを確かめ、それを全空間のユニタリに延ばすことです。

証明(定理 4.3)

V:H→H⊗KV:\mathcal{H}\to\mathcal{H}\otimes\mathcal{K} を V∣ψ⟩=∑iEi∣ψ⟩⊗∣i⟩V|\psi\rangle=\sum_i\sqrt{E_i}|\psi\rangle\otimes|i\rangle で定めます(Ei\sqrt{E_i} は半正定値平方根)。V†V=∑iEi†Ei=∑iEi=1V^\dagger V=\sum_i\sqrt{E_i}^\dagger\sqrt{E_i}=\sum_iE_i=1 なので VV は等長写像です。射影 Pi=1⊗∣i⟩⟨i∣P_i=1\otimes|i\rangle\langle i| について V†PiV=Ei†Ei=EiV^\dagger P_iV=\sqrt{E_i}^\dagger\sqrt{E_i}=E_i です。次に H⊗∣0⟩\mathcal{H}\otimes|0\rangle から VHV\mathcal{H} への等長写像 ∣ψ⟩⊗∣0⟩↦V∣ψ⟩|\psi\rangle\otimes|0\rangle\mapsto V|\psi\rangle は、両者がともに dim⁡H\dim\mathcal{H} 次元の部分空間なので、直交補空間どうし(次元は等しく ndim⁡H−dim⁡Hn\dim\mathcal{H}-\dim\mathcal{H})を任意の等長写像で結べば、全空間のユニタリ UU に拡張できます。このとき tr[U(ρ⊗∣0⟩⟨0∣)U†Pi]=tr[VρV†Pi]=tr[ρV†PiV]=tr(ρEi)\mathrm{tr}[U(\rho\otimes|0\rangle\langle0|)U^\dagger P_i]=\mathrm{tr}[V\rho V^\dagger P_i]=\mathrm{tr}[\rho V^\dagger P_iV]=\mathrm{tr}(\rho E_i) です。

注意 4.4

結果が連続的な値をとる POVM(正作用素値測度 E(Δ)E(\Delta))についても、同様の拡張が成り立ちます。ヒルベルト空間を大きくして、射影値測度(通常の自己共役作用素のスペクトル測度)にできます。これが一般の Naimark の拡張定理 ですが、証明には測度論の道具が必要で、この記事では主張だけにとどめます。この定理は、時間のように、自己共役作用素では書けない観測量にも意味を与えます。ハミルトニアンが下に有界なスペクトルを持つと、HH と正準共役な自己共役な時間作用素は存在しません(Pauli の議論)が、POVM としての時間観測量は存在し、時間作用素の章で扱う到着時刻の分布はこの形をしています。

遠く離れた 2 人 Alice と Bob が、一重項状態の粒子対の片方ずつを持ち、それぞれ測定装置の向きを選んで ±1\pm1 の結果を得ます。Alice の設定を a,a′a,a'、Bob の設定を b,b′b,b' とし、E(a,b)E(a,b) を結果の積の平均(相関)として、

S=E(a,b)+E(a,b′)+E(a′,b)−E(a′,b′)S=E(a,b)+E(a,b')+E(a',b)-E(a',b')

を CHSH の量 と呼びます。図のように、粒子源から出た粒子対の片方を Alice が、もう片方を Bob が受け取り、それぞれ 2 通りの向きのどちらかを選んで測ります。a,a′a,a' は Alice が選ぶ 2 つの向き、b,b′b,b' は Bob が選ぶ 2 つの向きで、1 回の測定では向きを 1 つだけ選びます。

粒子源Alice向き a か a’Bob向き b か b’結果 ±1結果 ±1
CHSH の実験の模式図。粒子源から Alice と Bob へ粒子が 1 つずつ飛び、各自が向きを選んで ±1 の結果を得る

定理 5.1(局所実在論の限界(CHSH 不等式))✓

結果が、粒子対が共有する隠れた変数 λ\lambda(確率分布 μ\mu に従う)と各自の設定だけで決まるとする(局所隠れた変数模型)。すなわち Alice の結果は A(a,λ)∈{±1}A(a,\lambda)\in\{\pm1\}、Bob の結果は B(b,λ)∈{±1}B(b,\lambda)\in\{\pm1\} で、E(a,b)=∫A(a,λ)B(b,λ) dμ(λ)E(a,b)=\int A(a,\lambda)B(b,\lambda)\,d\mu(\lambda) とする。このとき ∣S∣≤2|S|\le2 である。

証明(定理 5.1)

各 λ\lambda に対し、A=A(a,λ)A=A(a,\lambda) などと略記すると

AB+AB′+A′B−A′B′=A(B+B′)+A′(B−B′)AB+AB'+A'B-A'B'=A(B+B')+A'(B-B')

です。B,B′∈{±1}B,B'\in\{\pm1\} なので、B+B′B+B' と B−B′B-B' のうち一方は 00、他方は ±2\pm2 です。A,A′=±1A,A'=\pm1 より右辺は ±2\pm2 です。これを μ\mu で平均すれば ∣S∣≤2|S|\le2 です。

量子力学では、同じ量が、局所隠れた変数模型の限界を超えます。

定理 5.2(量子力学の限界(Tsirelson の不等式)と一重項による達成)✓

A,A′A,A' が HA\mathcal{H}_A 上の、B,B′B,B' が HB\mathcal{H}_B 上のエルミート作用素で、いずれも 2 乗が 11(固有値 ±1\pm1)とする。S=A⊗(B+B′)+A′⊗(B−B′)S=A\otimes(B+B')+A'\otimes(B-B') に対し、任意の状態で ∣⟨S⟩∣≤22|\langle S\rangle|\le2\sqrt2 である。一重項 ∣ψ−⟩|\psi^-\rangle では、適切な向き a,a′,b,b′a,a',b,b' に対して ⟨S⟩=22\langle S\rangle=2\sqrt2 が達成される。

上界の証明のねらいは、SS を 2 乗すると 44 から交換子の項を引いた形になり、交換子の大きさが抑えられるので SS も抑えられる、という流れを示すことです。展開では、A,A′A,A' と B,B′B,B' が別々の系の作用素で互いに可換なので、BB 側の積の順序だけに気をつければ済みます。

証明(定理 5.2)

A,A′A,A' は B,B′B,B' と可換なので、展開すると

S2=A2⊗(B+B′)2+A′2⊗(B−B′)2+AA′⊗(B+B′)(B−B′)+A′A⊗(B−B′)(B+B′)S^2=A^2\otimes(B+B')^2+A'^2\otimes(B-B')^2+AA'\otimes(B+B')(B-B')+A'A\otimes(B-B')(B+B')

です。A2=A′2=1A^2=A'^2=1、B2=B′2=1B^2=B'^2=1 より (B+B′)2+(B−B′)2=2(B2+B′2)=4(B+B')^2+(B-B')^2=2(B^2+B'^2)=4、(B+B′)(B−B′)=B′B−BB′=−[B,B′](B+B')(B-B')=B'B-BB'=-[B,B']、(B−B′)(B+B′)=[B,B′](B-B')(B+B')=[B,B'] なので

S2=4⋅1−[A,A′]⊗[B,B′]S^2=4\cdot1-[A,A']\otimes[B,B']

です。∥[A,A′]∥≤∥AA′∥+∥A′A∥≤2\|[A,A']\|\le\|AA'\|+\|A'A\|\le2、同様に ∥[B,B′]∥≤2\|[B,B']\|\le2 だから ∥S2∥≤4+4=8\|S^2\|\le4+4=8、∥S∥≤22\|S\|\le2\sqrt2 です。

達成の部分は、一重項で E(a,b)=−a⋅bE(a,b)=-\boldsymbol{a}\cdot\boldsymbol{b} を示します。一重項は全スピンの各成分で消されるので(補題 6.3[角運動量とスピン] の 1。S=ℏ2σ\boldsymbol{S}=\frac\hbar2\boldsymbol{\sigma})(σi⊗1+1⊗σi)∣ψ−⟩=0(\sigma_i\otimes1+1\otimes\sigma_i)|\psi^-\rangle=0、したがって (σ⋅a⊗1)∣ψ−⟩=−(1⊗σ⋅a)∣ψ−⟩(\boldsymbol{\sigma}\cdot\boldsymbol{a}\otimes1)|\psi^-\rangle=-(1\otimes\boldsymbol{\sigma}\cdot\boldsymbol{a})|\psi^-\rangle です。これを使うと、ρB=121\rho_B=\tfrac121 から

⟨(σ⋅a)⊗(σ⋅b)⟩=−⟨1⊗(σ⋅b)(σ⋅a)⟩=−12tr[(σ⋅b)(σ⋅a)]=−a⋅b\langle(\boldsymbol{\sigma}\cdot\boldsymbol{a})\otimes(\boldsymbol{\sigma}\cdot\boldsymbol{b})\rangle=-\langle1\otimes(\boldsymbol{\sigma}\cdot\boldsymbol{b})(\boldsymbol{\sigma}\cdot\boldsymbol{a})\rangle=-\tfrac12\mathrm{tr}\bigl[(\boldsymbol{\sigma}\cdot\boldsymbol{b})(\boldsymbol{\sigma}\cdot\boldsymbol{a})\bigr]=-\boldsymbol{a}\cdot\boldsymbol{b}

です(最後は 命題 5.2[角運動量とスピン] の (σ⋅b)(σ⋅a)=a⋅b+iσ⋅(b×a)(\boldsymbol{\sigma}\cdot\boldsymbol{b})(\boldsymbol{\sigma}\cdot\boldsymbol{a})=\boldsymbol{a}\cdot\boldsymbol{b}+i\boldsymbol{\sigma}\cdot(\boldsymbol{b}\times\boldsymbol{a}) とトレースレス性)。そこで a=z^\boldsymbol{a}=\hat{\boldsymbol{z}}、a′=x^\boldsymbol{a}'=\hat{\boldsymbol{x}}、b=−(z^+x^)/2\boldsymbol{b}=-(\hat{\boldsymbol{z}}+\hat{\boldsymbol{x}})/\sqrt2、b′=(x^−z^)/2\boldsymbol{b}'=(\hat{\boldsymbol{x}}-\hat{\boldsymbol{z}})/\sqrt2 と取ると、E(a,b)=E(a,b′)=E(a′,b)=1/2E(a,b)=E(a,b')=E(a',b)=1/\sqrt2、E(a′,b′)=−1/2E(a',b')=-1/\sqrt2 で、S=4/2=22S=4/\sqrt2=2\sqrt2 です。

−4−2√2−2022√24局所隠れた変数(灰色の帯)量子力学(枠線)
CHSH の量 S の取りうる範囲。局所隠れた変数模型は |S|≤2、量子力学は 2√2≈2.83 まで。代数的な上限は 4

実験でも、量子力学の予言が観測されています。光子対を使った Aspect の実験(1982 年)以降、検出の抜け穴などを塞いだ実験(2015 年)まで、すべて ∣S∣>2|S|>2 が確認されています。局所実在論は破れています。ここで破れたのは 局所性と実在性の組 で、因果性そのものではありません。実際、Alice の側だけの結果の統計 ρA=121\rho_A=\tfrac121 は Bob の設定に依存せず、通信には使えません。

系 SS が環境 EE と相互作用すると、SS の状態 ρS=trEρSE\rho_S=\mathrm{tr}_E\rho_{SE} の時間発展はもはやユニタリでありません。環境の記憶が短い(Markov 近似)ときには、ρS\rho_S は次の形の閉じた方程式に従います。

定義 6.1(Lindblad 方程式)↗

HH をエルミート、LkL_k を任意の作用素(跳躍演算子)として、

dρdt=L(ρ):=−iℏ[H,ρ]+∑k(LkρLk†−12{Lk†Lk,ρ})\frac{d\rho}{dt}=\mathcal{L}(\rho):=-\frac{i}{\hbar}[H,\rho]+\sum_k\left(L_k\rho L_k^\dagger-\frac12\{L_k^\dagger L_k,\rho\}\right)

を Lindblad 方程式(GKSL 方程式)という。{X,Y}=XY+YX\{X,Y\}=XY+YX。

第 1 項は通常のユニタリな発展、第 2 項が環境の影響です。第 2 項のうち LkρLk†L_k\rho L_k^\dagger は、環境との相互作用で系が LkL_k の分だけ「跳ぶ」効果、−12{Lk†Lk,ρ}-\tfrac12\{L_k^\dagger L_k,\rho\} は、跳躍が起きなかったことによる確率の減り分を補って、全体の確率を 1 に保つ項です。この方程式の意味は、(1) 確率が保存され、(2) ρ\rho が密度行列であり続け、さらに (3) 系が他の系とエンタングルしていても、全体の状態が正のままであること、です。後者が成り立たない方程式を作ると、「部分系に対する意味」で不整合が生じます。

定義 6.2(完全正値写像)↗

作用素の空間の線形写像 Φ\Phi が 正 であるとは、半正定値を半正定値に写すこと。さらに、任意の補助系 CN\mathbb{C}^N について Φ⊗idN\Phi\otimes\mathrm{id}_N も正であるとき 完全正値(CP)という。たとえば Φ(ρ)=∑iKiρKi†\Phi(\rho)=\sum_iK_i\rho K_i^\dagger(Kraus 形)は CP である。

Kraus 形が CP であることは、(Φ⊗id)(Z)=∑i(Ki⊗1)Z(Ki⊗1)†≥0(\Phi\otimes\mathrm{id})(Z)=\sum_i(K_i\otimes1)Z(K_i\otimes1)^\dagger\ge0(Z≥0Z\ge0)という直接の計算でわかります。CP 写像の合成と非負の線形結合は、また CP です。

定理 6.3(Lindblad 方程式の時間発展)✓

有限次元で L\mathcal{L} を 定義 6.1 のものとする。このとき t≥0t\ge0 に対して Φt=etL\Phi_t=e^{t\mathcal{L}} は、(1) トレースを保存し、(2) エルミート性を保ち、(3) 完全正値である。とくに Φt\Phi_t は密度行列を密度行列に写す。

証明のねらいは、L\mathcal{L} を「跳ぶ部分」J\mathcal{J} と「跳ばない部分」K\mathcal{K} に分け、それぞれが Kraus 形(CP)であることを使って、etLe^{t\mathcal{L}} を CP 写像の和として書き下すことです。

証明(定理 6.3)

(1) tr[H,ρ]=0\mathrm{tr}[H,\rho]=0、tr(LkρLk†)=tr(Lk†Lkρ)=12tr{Lk†Lk,ρ}\mathrm{tr}(L_k\rho L_k^\dagger)=\mathrm{tr}(L_k^\dagger L_k\rho)=\tfrac12\mathrm{tr}\{L_k^\dagger L_k,\rho\} なので tr L(ρ)=0\mathrm{tr}\,\mathcal{L}(\rho)=0、したがって ddttr ρ=0\frac{d}{dt}\mathrm{tr}\,\rho=0 です。(2) L(ρ)†=L(ρ†)\mathcal{L}(\rho)^\dagger=\mathcal{L}(\rho^\dagger) は各項を見ればわかるので、ρ(0)†=ρ(0)\rho(0)^\dagger=\rho(0) なら ρ(t)†\rho(t)^\dagger も同じ方程式を満たす解で、一意性により ρ(t)†=ρ(t)\rho(t)^\dagger=\rho(t) です。

(3) G=−iℏH−12∑kLk†LkG=-\dfrac{i}{\hbar}H-\dfrac12\sum_kL_k^\dagger L_k と置くと L(ρ)=K(ρ)+J(ρ)\mathcal{L}(\rho)=\mathcal{K}(\rho)+\mathcal{J}(\rho)、K(ρ)=Gρ+ρG†\mathcal{K}(\rho)=G\rho+\rho G^\dagger、J(ρ)=∑kLkρLk†\mathcal{J}(\rho)=\sum_kL_k\rho L_k^\dagger です。K\mathcal{K} の生成する半群は etKρ=etGρ etG†e^{t\mathcal{K}}\rho=e^{tG}\rho\,e^{tG^\dagger}(Kraus 形)で CP です。J\mathcal{J} も Kraus 形で CP です。ここで Duhamel の公式(Dyson 級数と同じ構造、定理 3.1[時間発展と時間依存摂動論] の証明)により

etL=etK+∑n≥1∫0<sn<⋯<s1<te(t−s1)K J e(s1−s2)K J⋯J esnK ds1⋯dsne^{t\mathcal{L}}=e^{t\mathcal{K}}+\sum_{n\ge1}\int_{0<s_n<\cdots<s_1<t}e^{(t-s_1)\mathcal{K}}\,\mathcal{J}\,e^{(s_1-s_2)\mathcal{K}}\,\mathcal{J}\cdots\mathcal{J}\,e^{s_n\mathcal{K}}\,ds_1\cdots ds_n

で、有限次元では J\mathcal{J} が有界なので右辺は収束します。各項は CP 写像の合成の非負の積分(和)なので CP で、その和も CP です。

Duhamel 展開の各項は、「環境が系を nn 回観測(跳躍)した」軌跡に対応し、跳躍の間の発展 etKe^{t\mathcal{K}} は非エルミートな有効ハミルトニアン GG による減衰です。逆に、トレース保存な CP の量子力学的半群の生成子は、必ずこの形になります(Gorini–Kossakowski–Sudarshan と Lindblad、1976 年。証明は 定理 3.3[Lindblad 生成子と弱結合極限])。

例 6.4(自然放出(振幅減衰))

二準位原子で、励起状態 ∣e⟩|e\rangle と基底状態 ∣g⟩|g\rangle、H=ℏω02σzH=\tfrac{\hbar\omega_0}{2}\sigma_z、跳躍演算子 L=γ ∣g⟩⟨e∣L=\sqrt\gamma\,|g\rangle\langle e| とします。ρ=(ρeeρegρgeρgg)\rho=\begin{pmatrix}\rho_{ee}&\rho_{eg}\\ \rho_{ge}&\rho_{gg}\end{pmatrix} とすると、LρL†=γρee∣g⟩⟨g∣L\rho L^\dagger=\gamma\rho_{ee}|g\rangle\langle g|、L†L=γ∣e⟩⟨e∣L^\dagger L=\gamma|e\rangle\langle e| から

ρ˙ee=−γρee,ρ˙gg=+γρee,ρ˙eg=−(iω0+γ2)ρeg\dot\rho_{ee}=-\gamma\rho_{ee},\qquad\dot\rho_{gg}=+\gamma\rho_{ee},\qquad\dot\rho_{eg}=-\left(i\omega_0+\frac\gamma2\right)\rho_{eg}

となり、解は ρee(t)=ρee(0)e−γt\rho_{ee}(t)=\rho_{ee}(0)e^{-\gamma t}、∣ρeg(t)∣=∣ρeg(0)∣e−γt/2|\rho_{eg}(t)|=|\rho_{eg}(0)|e^{-\gamma t/2} です。励起状態の存在確率は寿命 T1=1/γT_1=1/\gamma で指数減衰し、コヒーレンス(非対角成分)は T2=2/γT_2=2/\gamma で消えます。Bloch 球では状態ベクトルが球の内側へ縮み、最後は基底状態 r=−z^\boldsymbol{r}=-\hat{\boldsymbol{z}} に落ち着きます。減衰率 γ\gamma は、Fermi の黄金律で原子と電磁場の連続的なモードの結合から計算できます(これが自然放出の Einstein の AA 係数です)。

演習 7.1易

∣Ψ⟩=cos⁡θ ∣00⟩+sin⁡θ ∣11⟩|\Psi\rangle=\cos\theta\,|00\rangle+\sin\theta\,|11\rangle(0≤θ≤π/20\le\theta\le\pi/2)について、ρA\rho_A と、エンタングルメント・エントロピー S(ρA)S(\rho_A) を求めよ。SS が最大になる θ\theta はいくつか。

解答

これはすでに Schmidt 分解の形で、s1=cos⁡θs_1=\cos\theta、s2=sin⁡θs_2=\sin\theta なので 定理 3.3 により ρA=cos⁡2θ ∣0⟩⟨0∣+sin⁡2θ ∣1⟩⟨1∣\rho_A=\cos^2\theta\,|0\rangle\langle0|+\sin^2\theta\,|1\rangle\langle1|、S=−cos⁡2θln⁡cos⁡2θ−sin⁡2θln⁡sin⁡2θS=-\cos^2\theta\ln\cos^2\theta-\sin^2\theta\ln\sin^2\theta です。θ=0,π/2\theta=0,\pi/2 では S=0S=0(積状態)、θ=π/4\theta=\pi/4 で S=ln⁡2S=\ln2(最大エンタングル状態、Bell 状態)で最大になります。

演習 7.2標準

一重項にノイズを混ぜた状態 ρp=p ∣ψ−⟩⟨ψ−∣+(1−p)141\rho_p=p\,|\psi^-\rangle\langle\psi^-|+(1-p)\dfrac{1}{4}1(0≤p≤10\le p\le1)で、定理 5.2 と同じ向きを選ぶと ⟨S⟩=22 p\langle S\rangle=2\sqrt2\,p となることを示し、CHSH 不等式が破れるための pp の条件を求めよ。

解答

⟨X⊗Y⟩ρp=p⟨X⊗Y⟩ψ−+(1−p)⋅14tr(X⊗Y)\langle X\otimes Y\rangle_{\rho_p}=p\langle X\otimes Y\rangle_{\psi^-}+(1-p)\cdot\tfrac14\mathrm{tr}(X\otimes Y) で、X=σ⋅aX=\boldsymbol{\sigma}\cdot\boldsymbol{a} などはトレースが 00 なので第 2 項は消えます。したがって相関は一重項の相関の pp 倍、⟨S⟩=22 p\langle S\rangle=2\sqrt2\,p です。∣S∣>2|S|>2 となる条件は p>1/2≈0.707p>1/\sqrt2\approx0.707 です。逆に p≤1/2p\le1/\sqrt2 の状態は(この向きの選び方では)CHSH 不等式を破りません。

演習 7.3標準

跳躍演算子 L=γφ/2 σzL=\sqrt{\gamma_\varphi/2}\,\sigma_z だけをもつ Lindblad 方程式(H=0H=0)を、2 準位系で解け。さらに、例 6.4 の自然放出と純粋位相緩和を同時に考えたとき、コヒーレンスの減衰率 1/T21/T_2 を 1/T11/T_1 と γφ\gamma_\varphi で表せ。

解答

L†L=γφ21L^\dagger L=\tfrac{\gamma_\varphi}{2}1 なので L(ρ)=γφ2(σzρσz−ρ)\mathcal{L}(\rho)=\tfrac{\gamma_\varphi}{2}(\sigma_z\rho\sigma_z-\rho) です。σzρσz\sigma_z\rho\sigma_z は対角成分を変えず、非対角成分の符号を反転するので、ρ˙ee=ρ˙gg=0\dot\rho_{ee}=\dot\rho_{gg}=0、ρ˙eg=−γφρeg\dot\rho_{eg}=-\gamma_\varphi\rho_{eg} です。つまり populations はそのままでコヒーレンスだけが e−γφte^{-\gamma_\varphi t} で消えます。自然放出と合わせると、非対角成分の減衰率は足し算になり、1T2=12T1+γφ\dfrac{1}{T_2}=\dfrac{1}{2T_1}+\gamma_\varphi です。したがって T2≤2T1T_2\le2T_1 で、等号は純粋位相緩和がないとき(例 6.4)に成り立ちます。

  • J. J. Sakurai, J. Napolitano, Modern Quantum Mechanics, 3rd ed., Cambridge University Press, 2020 — 密度演算子、量子エンタングルメント、Bell の不等式の章。
  • M. A. Nielsen, I. L. Chuang, Quantum Computation and Quantum Information, 10th Anniversary ed., Cambridge University Press, 2010 — 第 2 章(密度演算子、部分トレース、Schmidt 分解、POVM)、第 8 章(量子操作)。
  • J. S. Bell, “On the Einstein Podolsky Rosen Paradox”, Physics 1 (1964), 195.
  • J. F. Clauser, M. A. Horne, A. Shimony, R. A. Holt, “Proposed Experiment to Test Local Hidden-Variable Theories”, Phys. Rev. Lett. 23 (1969), 880.
  • B. S. Tsirelson, “Quantum generalizations of Bell’s inequality”, Lett. Math. Phys. 4 (1980), 93.
  • G. Lindblad, “On the generators of quantum dynamical semigroups”, Commun. Math. Phys. 48 (1976), 119.

このテーマの 100 本ノック(50 問)

執筆: Claude Code(Sonnet 5.5)、Claude Code(Opus 5.5)・監査 3 回(Claude Code)・最終 2026-10-12

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