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同種粒子と多電子原子:Slater 行列式、ヘリウム原子、Hartree–Fock 方程式と交換エネルギー

対象読者: 量子力学の前編の摂動論と、角運動量・スピン(パウリ行列、一重項・三重項の合成則)を学んだ学部生。行列式の基本性質は既知とします。

前提となる記事:摂動論:解けない問題を「解ける問題の近く」で解く、角運動量とスピン:交換関係から固有値・パウリ行列・合成則を導く

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電子が 2 個以上ある原子では、どの電子もまったく同じ性質をもつので、「どの電子がどれか」を区別することができません。この区別できなさのせいで、同じ状態には電子が 2 個入れない、スピンの向きによってエネルギーが変わる、といった現象が起こります。この記事では、それを数式で表す方法を学び、ヘリウム原子で実際に確かめ、多電子原子を調べる標準的な近似の方程式までたどります。

  • 同種粒子は原理的に区別できないので、粒子の交換で状態は同じ状態に戻らなければならず、波動関数は交換で対称(ボース粒子)か反対称(フェルミ粒子)のどちらかです。電子は反対称で、同じ軌道に 2 個入れません(パウリ原理)。
  • 反対称な状態を作る標準的な方法が Slater 行列式です。NN 個の直交する軌道から作った Slater 行列式は規格化されており、軌道が 1 次従属なら 00 になります。軌道の選び方(占有の仕方)が状態の基底をなします。
  • Slater 行列式の期待値は軌道の積分だけで書けます。1 体演算子は ∑a⟨a∣f∣a⟩\sum_a\langle a|f|a\rangle、2 体演算子は直接項(Coulomb 積分 JJ。電荷の分布どうしの古典的な反発のこと)から交換項(交換積分 KK。電子が区別できないことから生じる補正のこと)を引いた 12∑ab(Jab−Kab)\frac12\sum_{ab}(J_{ab}-K_{ab}) です。
  • 2 電子系では、空間部分が対称ならスピンは一重項、反対称なら三重項です。エネルギーは J±KJ\pm K で、K>0K>0 なので同じ軌道配置なら三重項が低くなります(Hund の規則の起源)。
  • Slater 行列式でエネルギーを最小化する条件が Hartree–Fock 方程式 Fφa=εaφaF\varphi_a=\varepsilon_a\varphi_a で、Koopmans の定理は軌道エネルギー εa\varepsilon_a をイオン化エネルギーと結びつけます。

1. 動機:電子が 2 個あるだけで何が変わるか

Section titled “1. 動機:電子が 2 個あるだけで何が変わるか”

摂動論の章では、ヘリウム原子の基底状態を「2 個の独立した水素様原子 + 電子間反発」と見て、反発を摂動として扱いました(例 6.1[摂動論])。そこで空間部分を 1s1s 軌道の積 ψ0(r1)ψ0(r2)\psi_0(\boldsymbol{r}_1)\psi_0(\boldsymbol{r}_2) としたのは、それが 1↔21\leftrightarrow2 の交換に対して対称なので、スピン部分を反対称な一重項にできる、と断っただけでした。その断りの中に、多電子系の理論の核心がすでに入っています。

電子は互いに区別できません。同じ質量、同じ電荷、同じスピンをもつ粒子に「1 番」「2 番」というラベルを貼ることは、波動関数の記法の都合にすぎず、物理的な意味がありません。この事実が、(1) 波動関数の形に強い制限をかけ(交換対称性)、(2) 古典的には存在しないエネルギー(交換エネルギー)を生みます。

この章では次の順に進みます。まず交換対称性を定式化し、状態の基底として Slater 行列式を導入します。次に、2 電子の簡単な場合に交換エネルギーを手で計算します。最後に、多電子原子の標準的な近似である Hartree–Fock 法を導きます。記法は前編に合わせ、ハミルトニアンの電子間反発は e24πε0r12\dfrac{e^2}{4\pi\varepsilon_0 r_{12}} と書き、必要に応じて原子単位(ℏ=m=e2/4πε0=1\hbar=m=e^2/4\pi\varepsilon_0=1)を使います。

1 粒子のヒルベルト空間(軌道とスピンを合わせたもの)を h\mathfrak{h} とします。電子なら h=L2(R3)⊗C2\mathfrak{h}=L^2(\mathbb{R}^3)\otimes\mathbb{C}^2 で、1 粒子の状態を「スピン軌道」と呼びます。NN 粒子の空間は h⊗N\mathfrak{h}^{\otimes N} です。

次の定義の PπP_\pi は、粒子を並べ替える操作です。逆置換 π−1\pi^{-1} が出てくるのは、「jj 番目の状態を π(j)\pi(j) 番目の位置に移す」ためです。たとえば N=3N=3 で π(1)=2, π(2)=3, π(3)=1\pi(1)=2,\ \pi(2)=3,\ \pi(3)=1 なら、Pπ(ϕ1⊗ϕ2⊗ϕ3)=ϕ3⊗ϕ1⊗ϕ2P_\pi(\phi_1\otimes\phi_2\otimes\phi_3)=\phi_3\otimes\phi_1\otimes\phi_2 です(ϕ1\phi_1 が 2 番目へ、ϕ2\phi_2 が 3 番目へ、ϕ3\phi_3 が 1 番目へ移る)。

定義 2.1(置換演算子と対称化・反対称化)↗

NN 次対称群 SNS_N の元 π\pi に対し、PπP_\pi を Pπ(ϕ1⊗⋯⊗ϕN)=ϕπ−1(1)⊗⋯⊗ϕπ−1(N)P_\pi(\phi_1\otimes\cdots\otimes\phi_N)=\phi_{\pi^{-1}(1)}\otimes\cdots\otimes\phi_{\pi^{-1}(N)} で定まるユニタリ演算子とする。PπPσ=PπσP_\pi P_\sigma=P_{\pi\sigma} である。

S=1N!∑π∈SNPπ,A=1N!∑π∈SNsgn(π) Pπ\mathcal{S}=\frac{1}{N!}\sum_{\pi\in S_N}P_\pi,\qquad \mathcal{A}=\frac{1}{N!}\sum_{\pi\in S_N}\mathrm{sgn}(\pi)\,P_\pi

を 対称化演算子、反対称化演算子 と呼ぶ。像 Sh⊗N\mathcal{S}\mathfrak{h}^{\otimes N} を対称空間、Ah⊗N\mathcal{A}\mathfrak{h}^{\otimes N} を反対称空間という。

命題 2.2(反対称化演算子は射影)✓

A\mathcal{A} は直交射影である(A2=A=A†\mathcal{A}^2=\mathcal{A}=\mathcal{A}^\dagger)。任意の σ∈SN\sigma\in S_N について PσA=APσ=sgn(σ)AP_\sigma\mathcal{A}=\mathcal{A}P_\sigma=\mathrm{sgn}(\sigma)\mathcal{A} である。同様に S\mathcal{S} も射影で PσS=SP_\sigma\mathcal{S}=\mathcal{S} を満たす。

証明(命題 2.2)

PσA=1N!∑πsgn(π)PσπP_\sigma\mathcal{A}=\dfrac1{N!}\sum_\pi\mathrm{sgn}(\pi)P_{\sigma\pi} で、τ=σπ\tau=\sigma\pi と置き換えると sgn(π)=sgn(σ)sgn(τ)\mathrm{sgn}(\pi)=\mathrm{sgn}(\sigma)\mathrm{sgn}(\tau) より sgn(σ)A\mathrm{sgn}(\sigma)\mathcal{A} です(π\pi が SNS_N を走るとき τ\tau も走る)。右からの積も同様です。次に A2=1N!∑σsgn(σ)PσA=1N!∑σsgn(σ)2A=A\mathcal{A}^2=\dfrac1{N!}\sum_\sigma\mathrm{sgn}(\sigma)P_\sigma\mathcal{A}=\dfrac1{N!}\sum_\sigma\mathrm{sgn}(\sigma)^2\mathcal{A}=\mathcal{A}。Pπ†=Pπ−1P_\pi^\dagger=P_{\pi^{-1}} と sgn(π−1)=sgn(π)\mathrm{sgn}(\pi^{-1})=\mathrm{sgn}(\pi) から A†=A\mathcal{A}^\dagger=\mathcal{A} です。S\mathcal{S} も sgn\mathrm{sgn} を省けば同じです。

AΨ=Ψ\mathcal{A}\Psi=\Psi とは、任意の置換で Ψ\Psi が sgn(π)\mathrm{sgn}(\pi) 倍になる、すなわち任意の 2 粒子の交換で符号が変わることです。

公理 2.3(対称化の要請)↗

同種粒子 NN 個の物理的な状態は、ボース粒子なら対称空間、フェルミ粒子なら反対称空間に属する。電子・陽子・中性子はフェルミ粒子(スピン 1/21/2)、光子はボース粒子(スピン 11)である。

この要請は、粒子の区別がつかないことから、「Ψ\Psi と PπΨP_\pi\Psi が同じ物理状態でなければならない」ので PπΨ=eiθπΨP_\pi\Psi=e^{i\theta_\pi}\Psi という位相因子だけが許される、という議論の延長にあります。2 回の交換は恒等変換なので位相は ±1\pm1 に限られ、さらに粒子の種類によらず全体で統一されます(3 次元の場合)。どちらの符号が現れるかは、粒子のスピンが整数か半整数かで決まります(スピン統計定理)。この定理の証明は相対論的場の量子論の課題で、ここでは要請として使います。量子統計ではこの要請から Fermi–Dirac 分布を導いています(定義 3.1[量子統計])。

定理 2.4(交換対称性の保存)✓

同種粒子系のハミルトニアン HH と、すべての観測量 AA は、すべての置換と交換する:[Pπ,H]=[Pπ,A]=0[P_\pi,H]=[P_\pi,A]=0。このとき HH の時間発展は反対称空間(あるいは対称空間)を保ち、初期状態が反対称なら、以後もずっと反対称である。

証明(定理 2.4)

観測量が PπP_\pi と交換しなければならないのは、粒子のラベルの付け替えが観測結果に影響しないためです(これが粒子が区別できないことの内容)。[Pπ,H]=0[P_\pi,H]=0 なら、[A,H]=0[\mathcal{A},H]=0 で、e−iHt/ℏe^{-iHt/\hbar} も A\mathcal{A} と交換します。したがって AΨ=Ψ\mathcal{A}\Psi=\Psi なら A e−iHt/ℏΨ=e−iHt/ℏAΨ=e−iHt/ℏΨ\mathcal{A}\,e^{-iHt/\hbar}\Psi=e^{-iHt/\hbar}\mathcal{A}\Psi=e^{-iHt/\hbar}\Psi です。

反対称性は動力学からは出てこない、初期条件として課される約束 であり、ハミルトニアンが置換対称でさえあればそれが保たれます。

定義 3.1(Slater 行列式)↗

ϕ1,…,ϕN∈h\phi_1,\ldots,\phi_N\in\mathfrak{h} に対して、

∣ϕ1⋯ϕN⟩A=N!  A(ϕ1⊗⋯⊗ϕN)=1N!∑π∈SNsgn(π) ϕπ(1)⊗⋯⊗ϕπ(N)|\phi_1\cdots\phi_N\rangle_{\mathcal{A}}=\sqrt{N!}\;\mathcal{A}(\phi_1\otimes\cdots\otimes\phi_N)=\frac{1}{\sqrt{N!}}\sum_{\pi\in S_N}\mathrm{sgn}(\pi)\,\phi_{\pi(1)}\otimes\cdots\otimes\phi_{\pi(N)}

を Slater 行列式 と呼ぶ。位置・スピン変数 ξi=(ri,si)\xi_i=(\boldsymbol{r}_i,s_i) で書くと 1N!det⁡[ϕj(ξi)]i,j=1N\dfrac{1}{\sqrt{N!}}\det\bigl[\phi_j(\xi_i)\bigr]_{i,j=1}^N である。

定理 3.2(Slater 行列式の性質)✓

(1) ϕ1,…,ϕN\phi_1,\dots,\phi_N が正規直交なら、∥ ∣ϕ1⋯ϕN⟩A∥=1\|\,|\phi_1\cdots\phi_N\rangle_{\mathcal{A}}\|=1。 (2) ϕ1,…,ϕN\phi_1,\dots,\phi_N が 1 次従属なら ∣ϕ1⋯ϕN⟩A=0|\phi_1\cdots\phi_N\rangle_{\mathcal{A}}=0。とくに同じ軌道は 2 回使えない(パウリの排他原理)。 (3) ϕj′=∑iUijϕi\phi_j'=\sum_iU_{ij}\phi_i(UU は N×NN\times N ユニタリ行列)と取り替えると、Slater 行列式は det⁡U\det U(絶対値 11 の位相)倍になる。 (4) {ei}\{e_i\} を h\mathfrak{h} の正規直交基底(添字は全順序)とすると、i1<i2<⋯<iNi_1<i_2<\cdots<i_N に対する ∣ei1⋯eiN⟩A|e_{i_1}\cdots e_{i_N}\rangle_{\mathcal{A}} は反対称空間の正規直交基底をなす。とくに dim⁡h=d\dim\mathfrak{h}=d なら反対称空間の次元は二項係数 (dN)\binom{d}{N} である。

証明(定理 3.2)

(1) ∥ ⋅ ∥2=1N!∑π,σsgn(π)sgn(σ)∏i⟨ϕπ(i)∣ϕσ(i)⟩\|\,\cdot\,\|^2=\dfrac1{N!}\displaystyle\sum_{\pi,\sigma}\mathrm{sgn}(\pi)\mathrm{sgn}(\sigma)\prod_{i}\langle\phi_{\pi(i)}|\phi_{\sigma(i)}\rangle で、正規直交性より積は π=σ\pi=\sigma のときだけ 11、他は 00 です。和は N!N! 項の 11 で、結果は 11 です。

(2) 添字を並べ替えれば(Slater 行列式は符号しか変わらない)、ϕN=∑j<Ncjϕj\phi_N=\sum_{j<N}c_j\phi_j と書けるとしてよく、多重線形性により ϕN=ϕj\phi_N=\phi_j(ある j<Nj<N)の場合に帰着します。このとき互換 τ=(j N)\tau=(j\ N) について PτΠ=ΠP_\tau\Pi=\Pi(Π=ϕ1⊗⋯⊗ϕN\Pi=\phi_1\otimes\cdots\otimes\phi_N)です。命題 2.2 より APτ=−A\mathcal{A}P_\tau=-\mathcal{A} なので、AΠ=APτΠ=−AΠ\mathcal{A}\Pi=\mathcal{A}P_\tau\Pi=-\mathcal{A}\Pi、すなわち AΠ=0\mathcal{A}\Pi=0 です。

(3) 多重線形性により、N!A\sqrt{N!}\mathcal{A} に ϕj′\phi_j' を代入すると ∑i1,…,iNUi11⋯UiNN∣ϕi1⋯ϕiN⟩A\sum_{i_1,\ldots,i_N}U_{i_11}\cdots U_{i_NN}|\phi_{i_1}\cdots\phi_{i_N}\rangle_{\mathcal{A}} になります。iki_k に重複があれば (2) により 00 で、重複がなければ (i1,…,iN)=(π(1),…,π(N))(i_1,\ldots,i_N)=(\pi(1),\ldots,\pi(N)) と書けて ∣ϕπ(1)⋯ϕπ(N)⟩A=sgn(π)∣ϕ1⋯ϕN⟩A|\phi_{\pi(1)}\cdots\phi_{\pi(N)}\rangle_{\mathcal{A}}=\mathrm{sgn}(\pi)|\phi_1\cdots\phi_N\rangle_{\mathcal{A}} なので、係数は ∑πsgn(π)∏kUπ(k)k=det⁡U\sum_\pi\mathrm{sgn}(\pi)\prod_kU_{\pi(k)k}=\det U です。

(4) 反対称空間は A\mathcal{A} による h⊗N\mathfrak{h}^{\otimes N} の像で、積基底 ej1⊗⋯⊗ejNe_{j_1}\otimes\cdots\otimes e_{j_N} の像で張られます。(2) により添字に重複のあるものは 00、重複のないものは並べ替えで符号が変わるだけなので、i1<⋯<iNi_1<\cdots<i_N のものだけで十分です。異なる添字集合に対する像は、積基底の異なる元の A\mathcal{A} の像だから直交し、(1) により規格化されています。個数は dd 個から NN 個を選ぶ組合せです。

(4) は 占有数表示 の起源です。基底が「どの軌道が占有されているか」という 0/10/1 の列に対応し、そこから Fock 空間の言葉に進みます。占有数表示は、各軌道に粒子が何個入っているかで状態を表す書き方のことです。

例 3.3(箱の中の自由電子)

1 次元の長さ LL の箱で、軌道 φn(x)=2/Lsin⁡(nπx/L)\varphi_n(x)=\sqrt{2/L}\sin(n\pi x/L) と、スピン ↑,↓\uparrow,\downarrow の組を考えます。NN 個の電子の基底状態は、エネルギー En=ℏ2π2n2/2mL2E_n=\hbar^2\pi^2n^2/2mL^2 の低い方からスピン軌道を 1 個ずつ埋めた Slater 行列式です。定理 3.2 (2) により各軌道は ↑,↓\uparrow,\downarrow の 2 個までなので、N=4N=4 なら n=1,2n=1,2 がそれぞれ 2 個で埋まり、全エネルギーは 2E1+2E2=10E12E_1+2E_2=10E_1 です。電子が区別できる(排他原理がない)ならすべて n=1n=1 に入って 4E14E_1 なので、排他原理がエネルギーを 2.52.5 倍に押し上げます。これが物質が潰れない理由の 1 つです。

4. 2 電子系:交換エネルギーを手で計算する

Section titled “4. 2 電子系:交換エネルギーを手で計算する”

電子 2 個の状態は、空間 ⊗\otimes スピンの形に変数分離できます。

命題 4.1(2 電子の反対称状態)✓

2 電子の反対称状態は、(a) 空間部分が交換対称でスピン部分が一重項 χS=(↑↓−↓↑)/2\chi_{\mathrm S}=(\uparrow\downarrow-\downarrow\uparrow)/\sqrt2 の積、または (b) 空間部分が交換反対称でスピン部分が三重項(↑↑\uparrow\uparrow, (↑↓+↓↑)/2(\uparrow\downarrow+\downarrow\uparrow)/\sqrt2, ↓↓\downarrow\downarrow)の積の線形結合である。

証明(命題 4.1)

スピン空間 C2⊗C2\mathbb{C}^2\otimes\mathbb{C}^2 は、一重項(交換で符号が変わる)と三重項(交換で不変)に直交分解されます(補題 6.3[角運動量とスピン] の 2)。一般の状態は空間 ⊗\otimes スピンの和で、交換 P12=P12spaceP12spinP_{12}=P_{12}^{\rm space}P_{12}^{\rm spin} で全体が −1-1 倍になるには、スピン部分が三重項(+1+1)なら空間が反対称(−1-1)、一重項(−1-1)なら空間が対称(+1+1)でなければなりません。

したがって、同じ空間軌道の配置でも、スピンの向きの組み方でエネルギーが変わります。ハミルトニアンはスピンに依存しないのに、です。

次の定理では、電子間反発の期待値が、古典的な反発 JJ と、区別できないことによる補正 ±K\pm K に分かれることを示します。証明の最後で KK が正であることをフーリエ変換(関数を波の重ね合わせに分解する操作)で確かめますが、読み飛ばしても結論の J±KJ\pm K は追えます。

定理 4.2(交換エネルギーによる一重項・三重項の分裂)✓

H=h(1)+h(2)+v(r1,r2)H=h(1)+h(2)+v(\boldsymbol{r}_1,\boldsymbol{r}_2) とし、hφa=εaφah\varphi_a=\varepsilon_a\varphi_a、hφb=εbφbh\varphi_b=\varepsilon_b\varphi_b、φa,φb\varphi_a,\varphi_b は直交する規格化された空間軌道とする。空間波動関数

Ψ±=12(φa(r1)φb(r2)±φb(r1)φa(r2))\Psi_\pm=\frac{1}{\sqrt2}\left(\varphi_a(\boldsymbol{r}_1)\varphi_b(\boldsymbol{r}_2)\pm\varphi_b(\boldsymbol{r}_1)\varphi_a(\boldsymbol{r}_2)\right)

(++ が一重項、−- が三重項に付随する)について、vv の期待値は

⟨Ψ±∣v∣Ψ±⟩=Jab±Kab\langle\Psi_\pm|v|\Psi_\pm\rangle=J_{ab}\pm K_{ab}

である。ここで Coulomb 積分 と 交換積分 は

Jab=∬∣φa(r1)∣2 v ∣φb(r2)∣2,Kab=∬φa(r1)‾ φb(r2)‾ v φb(r1)φa(r2)J_{ab}=\iint|\varphi_a(\boldsymbol{r}_1)|^2\,v\,|\varphi_b(\boldsymbol{r}_2)|^2,\qquad K_{ab}=\iint\overline{\varphi_a(\boldsymbol{r}_1)}\,\overline{\varphi_b(\boldsymbol{r}_2)}\,v\,\varphi_b(\boldsymbol{r}_1)\varphi_a(\boldsymbol{r}_2)

である。v=e2/4πε0∣r1−r2∣v=e^2/4\pi\varepsilon_0|\boldsymbol{r}_1-\boldsymbol{r}_2| のとき Kab>0K_{ab}>0 であり、一重項のエネルギー εa+εb+Jab+Kab\varepsilon_a+\varepsilon_b+J_{ab}+K_{ab} は三重項の εa+εb+Jab−Kab\varepsilon_a+\varepsilon_b+J_{ab}-K_{ab} より 2Kab2K_{ab} だけ高い。

証明(定理 4.2)

Ψ±\Psi_\pm を展開すると ⟨Ψ±∣v∣Ψ±⟩=12(⟨ab∣v∣ab⟩+⟨ba∣v∣ba⟩±⟨ab∣v∣ba⟩±⟨ba∣v∣ab⟩)\langle\Psi_\pm|v|\Psi_\pm\rangle=\dfrac12\left(\langle ab|v|ab\rangle+\langle ba|v|ba\rangle\pm\langle ab|v|ba\rangle\pm\langle ba|v|ab\rangle\right) です。ここで ∣ab⟩=φa(r1)φb(r2)|ab\rangle=\varphi_a(\boldsymbol{r}_1)\varphi_b(\boldsymbol{r}_2)。vv が r1↔r2\boldsymbol{r}_1\leftrightarrow\boldsymbol{r}_2 で対称なので ⟨ba∣v∣ba⟩=⟨ab∣v∣ab⟩=Jab\langle ba|v|ba\rangle=\langle ab|v|ab\rangle=J_{ab}、⟨ba∣v∣ab⟩=⟨ab∣v∣ba⟩‾=Kab‾\langle ba|v|ab\rangle=\overline{\langle ab|v|ba\rangle}=\overline{K_{ab}} です。一方、KabK_{ab} は ρ(r)=φa(r)‾φb(r)\rho(\boldsymbol{r})=\overline{\varphi_a(\boldsymbol{r})}\varphi_b(\boldsymbol{r}) を使って Kab=∬ρ(r1) v ρ(r2)‾K_{ab}=\iint\rho(\boldsymbol{r}_1)\,v\,\overline{\rho(\boldsymbol{r}_2)} と書けます。クーロンポテンシャルのフーリエ表示 14πr=∫eiq⋅rq2d3q(2π)3\dfrac{1}{4\pi r}=\displaystyle\int\frac{e^{i\boldsymbol{q}\cdot\boldsymbol{r}}}{q^2}\frac{d^3q}{(2\pi)^3}(−∇2-\nabla^2 のグリーン関数が 1/4πr1/4\pi r であることの言い換え)を使うと

Kab=e2ε0∫∣ρ^(q)∣2q2d3q(2π)3>0K_{ab}=\frac{e^2}{\varepsilon_0}\int\frac{|\hat\rho(\boldsymbol{q})|^2}{q^2}\frac{d^3q}{(2\pi)^3}>0

です(ρ^\hat\rho は ρ\rho のフーリエ変換で、ρ≠0\rho\ne0 なら ρ^≠0\hat\rho\ne0)。とくに KabK_{ab} は実数で、⟨Ψ±∣v∣Ψ±⟩=Jab±Kab\langle\Psi_\pm|v|\Psi_\pm\rangle=J_{ab}\pm K_{ab} です。h(1)+h(2)h(1)+h(2) の期待値が εa+εb\varepsilon_a+\varepsilon_b なのは、Ψ±\Psi_\pm が固有値 εa+εb\varepsilon_a+\varepsilon_b の固有関数だからです。

物理的な読み方はこうです。三重項は空間が反対称なので r1=r2\boldsymbol{r}_1=\boldsymbol{r}_2 で波動関数が 00 になり、2 個の電子が近づきにくく、反発エネルギーが小さく済みます。一重項は空間が対称で電子が近づきやすく、反発が大きくなります。スピンの向きが直接エネルギーに効いているのではなく、スピンが空間の対称性を通じて効いているのです。

例 4.3(ヘリウムの 1s2s 状態)

基底状態 1s21s^2 は同じ軌道に 2 個入るので空間が対称で、スピンは一重項(パラヘリウム)だけが許されます。電子を 1s1s と 2s2s に 1 個ずつ入れた励起配置では、空間が対称な一重項(21S2^1S)と、反対称な三重項(23S2^3S)の両方が許されます。定理 4.2 により三重項のほうが 2K1s,2s2K_{1s,2s} だけ低く、実測でも基底状態から 23S2^3S は約 19.82 eV19.82\ \mathrm{eV}、21S2^1S は約 20.62 eV20.62\ \mathrm{eV} で、差は約 0.8 eV0.8\ \mathrm{eV} です。同じ現象は一般に Hund の第一規則(同じ配置ならスピンの向きがそろった最大スピンの項が最もエネルギーが低い)として知られています。

ε₁ₛ + ε₂ₛ(電子間反発なし)+J交換積分 K で分裂一重項 ε₁ₛ+ε₂ₛ+J+K(空間が対称)三重項 ε₁ₛ+ε₂ₛ+J−K(空間が反対称)差 2K
ヘリウムの 1s2s 配置のエネルギー。電子間反発を入れない準位から、Coulomb 積分 J で全体が押し上げられ、交換積分 K で一重項と三重項に分かれる

3 電子以上でも、Slater 行列式の期待値は次の規則で計算できます。1 体演算子とは各電子に別々に働く量(運動エネルギーなど)、2 体演算子とは電子の対ごとに働く量(電子間反発など)のことです。次の定理は、NN 個の電子の期待値が、軌道 1 個ぶん、または軌道 2 個ぶんの積分だけに帰着することを述べます。証明は反対称化演算子の性質(命題 2.2)を繰り返し使うだけなので、どの式で何を使うかに注目して読むとよいでしょう。

定理 5.1(Slater 行列式の期待値)✓

ϕ1,…,ϕN\phi_1,\ldots,\phi_N を正規直交なスピン軌道とし、Φ=∣ϕ1⋯ϕN⟩A\Phi=|\phi_1\cdots\phi_N\rangle_{\mathcal{A}} とする。1 体演算子 F=∑if(i)F=\sum_if(i) と 2 体演算子 W=∑i<jw(i,j)W=\sum_{i<j}w(i,j)(ww は粒子の交換について対称)について

⟨Φ∣F∣Φ⟩=∑a=1N⟨ϕa∣f∣ϕa⟩,⟨Φ∣W∣Φ⟩=12∑a,b=1N[⟨ϕaϕb∣w∣ϕaϕb⟩−⟨ϕaϕb∣w∣ϕbϕa⟩]\langle\Phi|F|\Phi\rangle=\sum_{a=1}^N\langle\phi_a|f|\phi_a\rangle,\qquad \langle\Phi|W|\Phi\rangle=\frac12\sum_{a,b=1}^N\Bigl[\langle\phi_a\phi_b|w|\phi_a\phi_b\rangle-\langle\phi_a\phi_b|w|\phi_b\phi_a\rangle\Bigr]

が成り立つ。

証明(定理 5.1)

Φ=N! A Π\Phi=\sqrt{N!}\,\mathcal{A}\,\Pi(Π=ϕ1⊗⋯⊗ϕN\Pi=\phi_1\otimes\cdots\otimes\phi_N)です。F,WF,W は置換と交換するので [A,F]=[A,W]=0[\mathcal{A},F]=[\mathcal{A},W]=0 で、命題 2.2 の A2=A\mathcal{A}^2=\mathcal{A} を使うと、X=FX=F または WW について

⟨Φ∣X∣Φ⟩=N! ⟨Π∣AXA∣Π⟩=N! ⟨Π∣XA∣Π⟩=∑π∈SNsgn(π) ⟨Π∣X Pπ∣Π⟩\langle\Phi|X|\Phi\rangle=N!\,\langle\Pi|\mathcal{A}X\mathcal{A}|\Pi\rangle=N!\,\langle\Pi|X\mathcal{A}|\Pi\rangle=\sum_{\pi\in S_N}\mathrm{sgn}(\pi)\,\langle\Pi|X\,P_\pi|\Pi\rangle

です。PπΠ=ϕπ−1(1)⊗⋯⊗ϕπ−1(N)P_\pi\Pi=\phi_{\pi^{-1}(1)}\otimes\cdots\otimes\phi_{\pi^{-1}(N)} と、正規直交性より、f(i)f(i) の行列要素 ⟨Π∣f(i)Pπ∣Π⟩\langle\Pi|f(i)P_\pi|\Pi\rangle は j≠ij\ne i のすべてについて π−1(j)=j\pi^{-1}(j)=j のときだけ 00 でなく、そのとき π=id\pi=\mathrm{id} で値は ⟨ϕi∣f∣ϕi⟩\langle\phi_i|f|\phi_i\rangle です。これを ii について足すと 1 体の公式です。w(i,j)w(i,j) では、i,ji,j 以外の添字を固定する置換は恒等置換と互換 (i j)(i\ j) だけで、それぞれ ⟨ϕiϕj∣w∣ϕiϕj⟩\langle\phi_i\phi_j|w|\phi_i\phi_j\rangle と −⟨ϕiϕj∣w∣ϕjϕi⟩-\langle\phi_i\phi_j|w|\phi_j\phi_i\rangle を与えます。∑i<j\sum_{i<j} を 12∑a≠b\frac12\sum_{a\ne b} に書き直し、a=ba=b の項(⟨aa∣w∣aa⟩−⟨aa∣w∣aa⟩=0\langle aa|w|aa\rangle-\langle aa|w|aa\rangle=0)を加えれば主張です。

直接項 ⟨ab∣w∣ab⟩\langle ab|w|ab\rangle は古典的な電荷分布どうしの相互作用、交換項 ⟨ab∣w∣ba⟩\langle ab|w|ba\rangle は反対称性のみから生じる、古典論に対応物のない項です。スピンを含めると、ϕa,ϕb\phi_a,\phi_b のスピンが異なるときは交換項が 00(スピンの内積が 00 になる)で、スピンが同じときだけ生き残ります。

実際の原子の電子数は 10 個、20 個と多く、厳密には解けません。そこで、波動関数が 1 個の Slater 行列式である という制限のもとで、エネルギーが最小になる軌道を探します。これが Hartree–Fock 法です。ハミルトニアンを

H=∑i=1Nh(i)+∑i<jv(i,j),h=−ℏ22m∇2−Ze24πε0r,v=e24πε0∣ri−rj∣H=\sum_{i=1}^Nh(i)+\sum_{i<j}v(i,j),\qquad h=-\frac{\hbar^2}{2m}\nabla^2-\frac{Ze^2}{4\pi\varepsilon_0r},\quad v=\frac{e^2}{4\pi\varepsilon_0|\boldsymbol{r}_i-\boldsymbol{r}_j|}

とします。定理 5.1 より、Slater 行列式 Φ\Phi のエネルギーは

E[Φ]=∑a⟨a∣h∣a⟩+12∑a,b(Jab−Kab),Jab=⟨ab∣v∣ab⟩, Kab=⟨ab∣v∣ba⟩E[\Phi]=\sum_a\langle a|h|a\rangle+\frac12\sum_{a,b}\left(J_{ab}-K_{ab}\right),\qquad J_{ab}=\langle ab|v|ab\rangle,\ K_{ab}=\langle ab|v|ba\rangle

です(ϕa\phi_a を ∣a⟩|a\rangle と略記した)。

次の定理の証明の方針は、軌道を少し動かしたときにエネルギーが変わらない条件を調べることです。直交性を保つ動かし方は、占有軌道どうしを混ぜ合わせる動かし方(Slater 行列式が位相倍されるだけでエネルギーは変わらない)と、占有軌道の外へ動かす動かし方に分けられます。後者でエネルギーが変わらない条件が、Hartree–Fock 方程式になります。

定義 6.1(Coulomb 演算子・交換演算子・Fock 演算子)↗

占有軌道 ϕ1,…,ϕN\phi_1,\ldots,\phi_N に対し、

(Jbψ)(ξ)=(∫e24πε0∣r−r′∣∣ϕb(ξ′)∣2 dξ′)ψ(ξ),(Kbψ)(ξ)=ϕb(ξ)∫e24πε0∣r−r′∣ϕb(ξ′)‾ ψ(ξ′) dξ′(\mathcal{J}_b\psi)(\xi)=\left(\int\frac{e^2}{4\pi\varepsilon_0|\boldsymbol{r}-\boldsymbol{r}'|}|\phi_b(\xi')|^2\,d\xi'\right)\psi(\xi),\qquad (\mathcal{K}_b\psi)(\xi)=\phi_b(\xi)\int\frac{e^2}{4\pi\varepsilon_0|\boldsymbol{r}-\boldsymbol{r}'|}\overline{\phi_b(\xi')}\,\psi(\xi')\,d\xi'

とする(∫dξ\int d\xi はスピンの和を含む)。Fock 演算子 は F=h+∑b=1N(Jb−Kb)F=h+\sum_{b=1}^N\left(\mathcal{J}_b-\mathcal{K}_b\right) である。Jb,Kb\mathcal{J}_b,\mathcal{K}_b はともにエルミートで、FF もエルミートである。

定理 6.2(Hartree–Fock 方程式)✓

正規直交な NN 個のスピン軌道の張る Slater 行列式 Φ\Phi が、直交性を保つ微小変分に関して E[Φ]E[\Phi] の停留点であるための必要十分条件は、エルミート行列 (εab)(\varepsilon_{ab}) があって Fϕa=∑bεabϕbF\phi_a=\sum_b\varepsilon_{ab}\phi_b が成り立つことである。このとき ϕa\phi_a を占有部分空間内でユニタリ変換して (εab)(\varepsilon_{ab}) を対角化でき、Hartree–Fock 方程式

Fϕa=εa ϕa(a=1,…,N)F\phi_a=\varepsilon_a\,\phi_a\qquad(a=1,\ldots,N)

が成り立つ。

証明(定理 6.2)

ϕa→ϕa+δa\phi_a\to\phi_a+\delta_a の微小変分を考えます。EE の各項の変分を取ると、⟨a∣h∣a⟩\langle a|h|a\rangle からは ⟨δa∣h∣a⟩\langle\delta_a|h|a\rangle とその複素共役、12∑bc(Jbc−Kbc)\frac12\sum_{bc}(J_{bc}-K_{bc}) からは、bb と cc のどちらが aa になる場合も同じ寄与を与えるので 12\frac12 が打ち消し合い、⟨δa∣∑b(Jb−Kb)∣a⟩\langle\delta_a|\sum_b(\mathcal{J}_b-\mathcal{K}_b)|a\rangle とその複素共役が出ます。したがって

δE=∑a(⟨δa∣F∣ϕa⟩+⟨δa∣F∣ϕa⟩‾)\delta E=\sum_a\left(\langle\delta_a|F|\phi_a\rangle+\overline{\langle\delta_a|F|\phi_a\rangle}\right)

です。直交性が 1 次まで保たれる変分は、δa=∑bcabϕb+δa⊥\delta_a=\sum_bc_{ab}\phi_b+\delta_a^\perp(cc は反エルミート行列、δa⊥\delta_a^\perp は占有部分空間 span{ϕb}\mathrm{span}\{\phi_b\} に直交)と書けます。前半の変分は占有軌道のユニタリ変換で、定理 3.2 (3) により Φ\Phi を位相倍するだけなので EE を変えません。したがって δE=0\delta E=0 が任意の δa⊥\delta_a^\perp で成り立つ条件は、⟨δa⊥∣F∣ϕa⟩=0\langle\delta_a^\perp|F|\phi_a\rangle=0、つまり FϕaF\phi_a が占有部分空間に属すること、すなわち Fϕa=∑bεabϕbF\phi_a=\sum_b\varepsilon_{ab}\phi_b です(逆も同様)。内積を取ると εab=⟨b∣F∣a⟩\varepsilon_{ab}=\langle b|F|a\rangle で、FF がエルミートなので (εab)(\varepsilon_{ab}) もエルミートです。

対角化については、∑b∣ϕb⟩⟨ϕb∣\sum_b|\phi_b\rangle\langle\phi_b| は占有部分空間への射影で、占有軌道のユニタリ変換で変わらず、FF はこの射影だけで決まります(∑bJb\sum_b\mathcal{J}_b, ∑bKb\sum_b\mathcal{K}_b の積分核は ∑b∣ϕb(ξ′)∣2\sum_b|\phi_b(\xi')|^2 と ∑bϕb(ξ)ϕb(ξ′)‾\sum_b\phi_b(\xi)\overline{\phi_b(\xi')})。また Φ\Phi は 定理 3.2 (3) により位相しか変わりません。そこで (εab)(\varepsilon_{ab}) をエルミート行列として対角化するユニタリ UU を選んで ϕa\phi_a を取り替えれば、FF を変えずに εab\varepsilon_{ab} を対角にできます。

方程式の中の FF が解 ϕb\phi_b 自身に依存するので、方程式は非線形です。実際には、軌道の仮定から FF を作り、固有値問題を解いて新しい軌道を得る、という操作を、軌道が変わらなくなるまで反復します(自己無撞着場、SCF)。

命題 6.3(Koopmans の定理)✓

Hartree–Fock 方程式の解で、NN 電子状態 Φ\Phi から軌道 ϕa\phi_a を取り除いた (N−1)(N-1) 電子の Slater 行列式 ΦN−1(a)\Phi_{N-1}^{(a)} を作る(他の軌道は凍結)。このとき E[Φ]−E[ΦN−1(a)]=εaE[\Phi]-E[\Phi_{N-1}^{(a)}]=\varepsilon_a である。すなわち −εa-\varepsilon_a は、軌道が緩和しないとみなしたときの軌道 aa の電子のイオン化エネルギーである。

証明(命題 6.3)

定理 5.1 の公式から、軌道 aa に関する項だけが差になります。

E[Φ]−E[ΦN−1(a)]=⟨a∣h∣a⟩+∑b(Jab−Kab)=⟨a∣F∣a⟩=εaE[\Phi]-E[\Phi^{(a)}_{N-1}]=\langle a|h|a\rangle+\sum_{b}\left(J_{ab}-K_{ab}\right)=\langle a|F|a\rangle=\varepsilon_a

です。ここで 12∑bc\frac12\sum_{bc} のうち aa を含む項は ∑b(Jab−Kab)\sum_b(J_{ab}-K_{ab}) の 2 倍の 12\frac12、すなわち ∑b(Jab−Kab)\sum_b(J_{ab}-K_{ab}) になり、Jaa=KaaJ_{aa}=K_{aa} なので b=ab=a の項は 00 です。

イオン化の際には残りの電子の軌道も緩和(再配置)するので、実際のイオン化エネルギーは Koopmans の値と少しずれます。ヘリウムの 1s1s では、−ε1s=0.918 Ha=24.98 eV-\varepsilon_{1s}=0.918\ \mathrm{Ha}=24.98\ \mathrm{eV}(HF 計算値)に対して、実測は 24.59 eV24.59\ \mathrm{eV} です。

注意 6.4

各空間軌道に上向きと下向きのスピンが 1 個ずつ入る閉殻の場合(制限 HF)には、スピンの和を実行して、空間軌道 φb\varphi_b に関する Coulomb 演算子は 2 倍、交換演算子は同じスピンの電子だけなので 1 倍になり、F=h+∑b(2Jb−Kb)F=h+\sum_b(2\mathcal{J}_b-\mathcal{K}_b) となります。ヘリウムのように占有軌道が 1 個のとき K1φ1=J1φ1\mathcal{K}_1\varphi_1=\mathcal{J}_1\varphi_1(同じ軌道なので)で、方程式は (h+J1)φ1=εφ1(h+\mathcal{J}_1)\varphi_1=\varepsilon\varphi_1 に簡約されます。自分自身との反発が取り除かれる ことに注意してください(Hartree の素朴な理論では、電子が自分自身の電荷分布とも反発してしまいます)。

系 6.5(交換エネルギーはエネルギーを下げる)✓

Coulomb 相互作用について Kab≥0K_{ab}\ge0 だから、Hartree–Fock エネルギーの交換部分 Ex=−12∑a,bKabE_{\rm x}=-\frac12\sum_{a,b}K_{ab} は 00 以下である。さらに、同じスピンをもつ 2 電子の対密度は r1=r2\boldsymbol{r}_1=\boldsymbol{r}_2 で 00 になる(Fermi 孔)。

証明(系 6.5)

スピン軌道の KabK_{ab} は、同じスピンのとき 定理 4.2 の証明と同じ形 e2ε0∫∣ρ^ab∣2q−2d3q/(2π)3≥0\frac{e^2}{\varepsilon_0}\int|\hat\rho_{ab}|^2q^{-2}d^3q/(2\pi)^3\ge0、スピンが異なるとき 00 です。Fermi 孔は、Φ\Phi が 2 つの変数 ξ1,ξ2\xi_1,\xi_2 の交換で符号を変えることから、ξ1=ξ2\xi_1=\xi_2(位置とスピンが等しい)で Φ=0\Phi=0 となることから従います。

例 6.6(ヘリウム基底状態:有効核電荷による変分)

Hartree–Fock の考え方を簡略化し、試行関数を φ(r)=ζ3/π e−ζr\varphi(r)=\sqrt{\zeta^3/\pi}\,e^{-\zeta r}(原子単位)の 2 電子の積、スピンは一重項として、ζ\zeta を変分パラメータにします。水素様 1s1s 軌道で ⟨1/r⟩=ζ\langle1/r\rangle=\zeta、⟨−12∇2⟩=ζ2/2\langle-\tfrac12\nabla^2\rangle=\zeta^2/2 なので(−12∇2φ=−12(ζ2−2ζ/r)φ-\tfrac12\nabla^2\varphi=-\tfrac12(\zeta^2-2\zeta/r)\varphi から)、例 6.1[摂動論] で求めた ⟨1/r12⟩=58ζ\langle1/r_{12}\rangle=\tfrac58\zeta と合わせて

E(ζ)=2(ζ22−Zζ)+58ζ=ζ2−2Zζ+58ζE(\zeta)=2\left(\frac{\zeta^2}{2}-Z\zeta\right)+\frac58\zeta=\zeta^2-2Z\zeta+\frac58\zeta

です。dE/dζ=0dE/d\zeta=0 より ζ=Z−516\zeta=Z-\tfrac{5}{16}、そのとき E=−ζ2E=-\zeta^2 です。ヘリウム Z=2Z=2 では ζ=1.6875\zeta=1.6875、E=−2.8477 Ha=−77.49 eVE=-2.8477\ \mathrm{Ha}=-77.49\ \mathrm{eV} となります。実験値 −79.01 eV-79.01\ \mathrm{eV} に対して 1 次摂動論の −74.8 eV-74.8\ \mathrm{eV}(命題 3.4[摂動論] により上界)よりずっと近く、変分原理のため真の値より必ず上です。有効核電荷が 22 より小さい 1.68751.6875 であることは、一方の電子が核の電荷を 遮蔽 することを表しています。軌道の形まで自由に動かした Hartree–Fock の極限値は −2.8617 Ha=−77.87 eV-2.8617\ \mathrm{Ha}=-77.87\ \mathrm{eV} で、実験値との差 ≈1.1 eV\approx1.1\ \mathrm{eV} は、電子が瞬間的に避け合う効果(相関エネルギー)で、1 個の Slater 行列式では表現できません。

演習 7.1易

d=5d=5 個の 1 粒子状態から 3 個の粒子を作る。(1) フェルミ粒子の反対称状態の数、(2) ボース粒子の対称状態の数を求めよ。(3) フェルミ粒子 3 個を 5 個の軌道に入れたとき、基底に Slater 行列式が何個含まれるか。

解答

(1) 定理 3.2 (4) より (53)=10\binom{5}{3}=10 個です。(2) 対称空間の次元は重複を許す組合せ (5+3−13)=(73)=35\binom{5+3-1}{3}=\binom{7}{3}=35 個です(粒子を軌道に入れる個数の組合せ)。(3) Slater 行列式は反対称基底そのもので 10 個です。全体の積空間は 53=1255^3=125 次元で、反対称な部分が 1010、対称な部分が 3535、残り 8080 は対称でも反対称でもない混合対称の状態です。

演習 7.2標準

長さ LL の 1 次元の箱の中の 2 粒子(スピン 1/21/2)に、接触相互作用 v=g δ(x1−x2)v=g\,\delta(x_1-x_2) を摂動として加える。軌道 φ1,φ2\varphi_1,\varphi_2(φn=2/Lsin⁡(nπx/L)\varphi_n=\sqrt{2/L}\sin(n\pi x/L))に 1 個ずつ入る配置について、一重項・三重項のエネルギーの 1 次補正を求めよ。三重項の値が 00 になる理由を説明せよ。

解答

J12=g∫φ12φ22dx=g4L2∫0Lsin⁡2πxLsin⁡22πxLdxJ_{12}=g\int\varphi_1^2\varphi_2^2dx=g\dfrac{4}{L^2}\displaystyle\int_0^L\sin^2\dfrac{\pi x}{L}\sin^2\dfrac{2\pi x}{L}dx。sin⁡2asin⁡2b=14(1−cos⁡2a)(1−cos⁡2b)\sin^2a\sin^2b=\tfrac14(1-\cos2a)(1-\cos2b) で、cos⁡2a=cos⁡(2πx/L)\cos2a=\cos(2\pi x/L) と cos⁡2b=cos⁡(4πx/L)\cos2b=\cos(4\pi x/L) は [0,L][0,L] で直交するため、積分は L/4L/4 です。よって J12=g/LJ_{12}=g/L。実の軌道では K12=g∫φ1φ2φ1φ2dx=J12=g/LK_{12}=g\int\varphi_1\varphi_2\varphi_1\varphi_2dx=J_{12}=g/L。定理 4.2 により、一重項は J+K=2g/LJ+K=2g/L、三重項は J−K=0J-K=0 です。三重項は空間波動関数が反対称で x1=x2x_1=x_2 で 00 になるため、接触相互作用がまったく効かないのです。

演習 7.3標準

例 6.6 の方法で Li+\mathrm{Li}^+(Z=3Z=3)の基底エネルギーの変分値を求め、実験値 −7.280 Ha-7.280\ \mathrm{Ha} と比べよ。また、有効核電荷を求めよ。

解答

ζ=Z−516=2.6875\zeta=Z-\tfrac5{16}=2.6875、E=−ζ2=−7.2227 HaE=-\zeta^2=-7.2227\ \mathrm{Ha}(−196.5 eV-196.5\ \mathrm{eV})。実験値との差は 0.057 Ha0.057\ \mathrm{Ha} で、ヘリウムの場合(差 0.056 Ha0.056\ \mathrm{Ha})とほぼ同じです。電子相関の寄与が ZZ にあまり依存しないことを表しています。有効核電荷は 2.68752.6875、遮蔽の大きさは 5/16≈0.315/16\approx0.31 です。

  • J. J. Sakurai, J. Napolitano, Modern Quantum Mechanics, 3rd ed., Cambridge University Press, 2020 — 同種粒子の章(置換対称性、ヘリウム原子)。
  • D. J. Griffiths, D. F. Schroeter, Introduction to Quantum Mechanics, 3rd ed., Cambridge University Press, 2018 — 同一粒子の章(交換力、周期表)。
  • A. Szabo, N. S. Ostlund, Modern Quantum Chemistry, Dover, 1996 — 第 2 章(Slater 行列式の期待値)、第 3 章(Hartree–Fock 方程式、Koopmans の定理)。
  • L. D. Landau, E. M. Lifshitz, Quantum Mechanics: Non-relativistic Theory, 3rd ed., Pergamon, 1977 — 第 9 章(ヘリウム原子)、第 10 章(多電子原子)。
  • T. Koopmans, “Über die Zuordnung von Wellenfunktionen und Eigenwerten zu den einzelnen Elektronen eines Atoms”, Physica 1 (1934), 104.

このテーマの 100 本ノック(50 問)

執筆: Claude Code(Sonnet 5.5)、Claude Code(Opus 5.5)・監査 3 回(Claude Code)・最終 2026-10-12

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