コンテンツにスキップ

波動作用素と漸近完全性:Cook の方法・短距離ポテンシャル・Dollard 修正

対象読者: 学部で Hilbert 空間と有界作用素、量子力学の基礎を学び、自己共役作用素のスペクトル分解を知っている大学院生。散乱理論は仮定しません。

前提となる記事:Hilbert 空間の基礎:射影定理・リースの表現定理・正規直交基底、量子力学の誕生:黒体放射・光電効果・物質波が壊した古典像

生 Markdown

粒子を標的に当てて、遠くへ飛び去った先で何が起きたかを調べるのが散乱実験です。この記事は、衝突の前と後で粒子がどんな運動をしているかを、量子力学の時間発展の極限として正確に定式化し、その定式化がいつ成り立つかを調べます。遠くまで力が届く Coulomb 力ではそのままでは成り立たないので、どう直すかも扱います。読み終えると、「波動作用素が存在する」「漸近完全である」という言葉が、それぞれ何を保証しているのかを説明できます。

  • 自己共役作用素の組 (H,H0)(H,H_0) に対し、波動作用素を Ω±=s-limt→±∞eitHe−itH0Pac(H0)\Omega_\pm=\mathop{\mathrm{s\text{-}lim}}_{t\to\pm\infty}e^{itH}e^{-itH_0}P_{\mathrm{ac}}(H_0) と定めます。存在すれば Ω±\Omega_\pm は始空間 Hac(H0)\mathcal{H}_{\mathrm{ac}}(H_0) の部分等長作用素(ある部分空間の上では長さを保ち、その直交補空間の上では 00 にする作用素)で、絡み関係 HΩ±=Ω±H0H\Omega_\pm=\Omega_\pm H_0(H0H_0 で測ったエネルギーを HH で測ったエネルギーに対応させる関係)を満たし、値域は Hac(H)\mathcal{H}_{\mathrm{ac}}(H) に含まれます。
  • Cook の方法: 稠密な集合の上で ∥(H−H0)e−itH0φ∥\|(H-H_0)e^{-itH_0}\varphi\| が tt について可積分なら、波動作用素は存在します。自由ハミルトニアン −Δ-\Delta に対し、∣V(x)∣≤C(1+∣x∣)−1−ε|V(x)|\le C(1+|x|)^{-1-\varepsilon} を満たす短距離ポテンシャルではこの条件が成り立ちます。
  • 漸近完全性は Ran Ω+=Ran Ω−=Hac(H)\mathrm{Ran}\,\Omega_+=\mathrm{Ran}\,\Omega_-=\mathcal{H}_{\mathrm{ac}}(H) かつ Hsc(H)={0}\mathcal{H}_{\mathrm{sc}}(H)=\{0\} のことで、「すべての状態は束縛状態と散乱状態の重ね合わせである」という物理的要請の数学的表現です。VV がさらに C2C^2 級で x⋅∇Vx\cdot\nabla V、(x⋅∇)2V(x\cdot\nabla)^2V が無限遠で消える場合に、Mourre 評価(スペクトルのある区間で、共役作用素との交換子が正になるという不等式)による局所平滑性と、Kato の平滑摂動論(∥Ge−itHψ∥2\|Ge^{-itH}\psi\|^2 が時間について可積分になる作用素 GG を使う理論)から漸近完全性を証明します。
  • 散乱作用素 S=Ω+∗Ω−S=\Omega_+^*\Omega_- は H0H_0 と可換で、Hac(H0)\mathcal{H}_{\mathrm{ac}}(H_0) 上でユニタリであることと Ran Ω+=Ran Ω−\mathrm{Ran}\,\Omega_+=\mathrm{Ran}\,\Omega_- は同値です。
  • Coulomb ポテンシャルのような長距離ポテンシャルでは、自由運動との比較が対数的にずれるため、波動作用素は存在しません。自由時間発展に運動量依存の対数位相を加える Dollard 修正で、散乱理論が回復します。

散乱実験では、遠方から粒子を標的に当て、遠方に飛び去った粒子を観測します。相互作用が効くのは衝突の前後の有限の時間だけで、遠い過去と遠い未来の粒子は自由粒子のように運動していると考えるのが自然です。古典力学では、ポテンシャルが遠方で速く減衰すれば、軌道 x(t)x(t) は t→±∞t\to\pm\infty で直線運動 x±+v±tx_\pm+v_\pm t に漸近します。散乱理論の対象は、入射の漸近運動 (x−,v−)(x_-,v_-) から出射の漸近運動 (x+,v+)(x_+,v_+) への写像です。

量子力学で同じことを言うには、二つの時間発展 e−itHe^{-itH}(相互作用あり)と e−itH0e^{-itH_0}(自由)を比べます。状態 ψ\psi が「t→+∞t\to+\infty で自由運動 e−itH0φ+e^{-itH_0}\varphi_+ に漸近する」とは

lim⁡t→+∞∥e−itHψ−e−itH0φ+∥=0\lim_{t\to+\infty}\|e^{-itH}\psi-e^{-itH_0}\varphi_+\|=0

のことで、e−itHe^{-itH} がユニタリなのでこれは ψ=lim⁡t→+∞eitHe−itH0φ+\psi=\lim_{t\to+\infty}e^{itH}e^{-itH_0}\varphi_+ と同値です。こうして、漸近状態 φ±\varphi_\pm から実際の状態 ψ\psi をつくる作用素として波動作用素が現れます。入射状態 φ−\varphi_- から出射状態 φ+\varphi_+ への写像が散乱作用素で、物理で測る散乱振幅・断面積はすべてこの作用素から読み取れます。

V が効く領域入射の漸近線 x₋ + v₋t(t → −∞)出射の漸近線x₊ + v₊t(t → +∞)(相互作用がなければこう進む)φ₋(入射)↦ ψ = Ω₋φ₋ ↦ φ₊ = Ω₊*ψ = Sφ₋(出射)
散乱の描像。実際の運動(実線)は、遠い過去には入射の自由運動(下の破線)に、遠い未来には出射の自由運動(斜めの破線)に漸近する。波動作用素は漸近状態から実際の状態を作り、散乱作用素は入射の漸近状態を出射の漸近状態に写す。

この枠組みでは次の 3 つの問いが分かれます。

  1. 存在: 強極限は存在するか。存在しないなら、何を比較の基準にすべきか。
  2. 性質: 存在したとき、波動作用素はどのような作用素か。
  3. 完全性: 束縛状態でない状態は、すべて自由運動に漸近するか。

この章では 1 と 2 を完全に扱い、3 については定義と、散乱作用素のユニタリ性との関係を述べます。3 を証明する一般的な方法の一つが次章の トレースクラス摂動と Kato–Rosenblum の定理 です。

ここから先は有料(買い切り ¥200)の内容です。

この章は博士課程以上・研究水準の内容です。続き(定義・定理・証明・例・演習)は ¥200 の買い切りで、他の有料章と 100 本ノックも含めてすべて読めます。無料の章は最後まで読めます。

購入する ログイン

このテーマの 100 本ノック(100 問)

執筆: Claude Code(Opus 5.5)、Claude Code(Sonnet 5.5)・監査 6 回(Claude Code)・最終 2026-10-12

この記事の誤りを報告する ・運営: 夢現技研合同会社 ・料金 ・利用条件 ・特定商取引法に基づく表記

© 2026 夢現技研合同会社 ・コード例は MIT ライセンスです。