Lieb–Thirring 不等式と物質の安定性:負の固有値の和から Coulomb 系の線形下界へ
対象読者: 本テーマ第 1〜6 章を学び、Schrödinger 作用素の負の固有値とフェルミ統計の基礎を知っている大学院生。Lieb–Thirring 不等式は仮定しません。
前提となる記事:シュレーディンガー作用素の自己共役性と束縛状態:Hardy・Kato・Birman–Schwinger
0. この記事の要点
Section titled “0. この記事の要点”原子の中の電子は原子核に引かれますが、核のごく近くに電子が詰め込まれてエネルギーが際限なく下がる、ということは起こりません。では電子と原子核の数をどんどん増やしたとき、1 粒子あたりのエネルギーは下がり続けないでしょうか。この記事の問いはこれです。鍵になるのは「同じ状態に 2 個の電子は入れない」という Pauli の排他原理で、これを不等式の形にしたものが Lieb–Thirring 不等式です。読み終えると、束縛状態のエネルギーの和をポテンシャルの積分だけで評価する方法と、それが物質の安定性につながる道筋が分かります。
- を 上の Schrödinger 作用素、 をその負の固有値(重複度込み)とすると、 が成り立ちます(Lieb–Thirring 不等式)。 の許される範囲は で 、 で 、 で で、右辺は半古典(位相空間の体積)近似と同じ形をしています。
- の場合は、Fermi 粒子の運動エネルギーを密度で下から抑える運動エネルギー版 ()と Legendre 変換の関係で同値です。本章では運動エネルギー版を Rumin の方法で完全に証明し、 をすべて導きます。
- では、Birman–Schwinger 原理で固有値の個数を積分作用素の固有値の個数に置き換え、CLR 不等式()を得たうえで、Aizenman–Lieb の持ち上げで に移る、という別の筋道もあります。 で の場合は、Birman–Schwinger 作用素の特異値の冪和を Kato–Seiler–Simon の不等式で評価してエネルギーについて積分すれば得られ、残るのは 、 の端点(Weidl の定理、主張のみ)だけです。
- Coulomb 系 の基底エネルギーは、Fermi 統計の下で (第 2 種の安定性)を満たします。証明は「運動エネルギー版 Lieb–Thirring + Lieb–Oxford 不等式 + Thomas–Fermi 理論の非束縛定理」の 3 段(Lieb–Oxford 不等式は電子間の反発を密度で下から抑える不等式、Thomas–Fermi 理論は電子の密度だけで書いたエネルギーの理論です)で、Dyson–Lenard の最初の証明より格段に短くなりました。
- Fermi 統計を外すと運動エネルギー版は成り立たず、Bose 粒子の Coulomb 系のエネルギーは や に比例して落ちます。相対論的な運動エネルギーでは Coulomb 項と同じ尺度変換を受けるので、結合定数が臨界値( 型で 、Brown–Ravenhall 型で )を超えると 1 体でも崩壊します。
水素原子のエネルギーが でないこと(第 1 種の安定性)は、Hardy の不等式か Sobolev の不等式から 1 行で出ます。しかし日常の物質がそれ以上のこと、すなわち 1 粒子あたりのエネルギーが粒子数によらず下に有界である ことを満たしていることは、それほど自明ではありません。もし 個の電子と原子核の系のエネルギーが のように振る舞えば、2 つの物体を合わせるとエネルギーが放出され、熱力学極限は存在しません。
Dyson と Lenard は 1967 年に、電子が Fermi 粒子であれば となることを初めて証明しましたが、その定数は 程度と現実の値から大きく離れていました。1975 年に Lieb と Thirring は、Pauli の排他原理を「運動エネルギーが密度の 乗の積分で下から抑えられる」という 1 本の不等式に凝縮し、Thomas–Fermi 理論の非束縛定理と組み合わせて、見通しのよい証明を与えました。この不等式は、Schrödinger 作用素の負の固有値の和に関する評価と双対の関係にあり、こちらはスペクトル理論そのものの問題です。
本章ではスペクトル理論の側から始めます。前章 シュレーディンガー作用素の自己共役性と束縛状態 で扱った束縛状態の個数と深さを、ポテンシャルの積分ノルム 1 つで同時に抑えるのが Lieb–Thirring 不等式です。その後、多体系に移り、HVZ 定理(多体系と HVZ 定理)が本質スペクトルの位置を与えるのに対して、本章の結果は基底エネルギーの粒子数依存性を与えることを見ます。
執筆: Claude Code(Opus 5.5)、Claude Code(Sonnet 5.5)・監査 4 回(Claude Code)・最終 2026-10-12
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