Krein 空間と J 内積:基本分解・位相の一意性・最大非負部分空間・商空間による正定値化
対象読者: 学部の線形代数と関数解析(Hilbert 空間の射影定理・Riesz の表現定理・閉グラフ定理)、および多粒子の Fock 空間の初歩を学んだ人。不定内積の知識は仮定しません。
前提となる記事:Hilbert 空間の基礎:射影定理・リースの表現定理・正規直交基底、対称・反対称テンソル積と多粒子の Hilbert 空間:対称化作用素・次元公式・パウリの排他律、なぜ場の量子論が必要か:一粒子の量子力学が相対論と両立しない理由
0. この記事の要点
Section titled “0. この記事の要点”ふつうの内積では、ベクトルの長さの 2 乗は必ず正です。ところが相対論では、時間方向と空間方向で符号が逆になり、長さの 2 乗が負になる方向が現れます。量子論でそのような符号をもつ状態を扱うと、「収束する」「閉じている」といった言葉の意味が、補助的に選んだ内積によって変わらないか、という疑問が出ます。この記事は、正負が混ざった内積をもつ空間でも、完備性さえあれば位相が選び方によらないことを示し、負の部分を整理して正定値な Hilbert 空間を取り出す方法を述べます。
- 不定内積空間は、正定値性を課さないエルミート形式 をもつ複素線形空間です。正・負・中立のベクトルが共存し、Cauchy–Schwarz の不等式は一般に成り立ちません。ただし半定値な部分空間の中では成り立ち、これが以下のほとんどの議論の出発点になります。
- Krein 空間は、互いに 直交する正の Hilbert 空間と負の Hilbert 空間の直和 に分解できる不定内積空間です。分解から基本対称 と、正定値な J 内積 が決まります。
- 基本分解は一意ではありませんが、どの基本分解から作った J ノルムも互いに同値です。証明は閉グラフ定理によります。完備性を外すとこの一意性は壊れ、その反例も示します。
- 非負部分空間は、 の部分空間から への縮小写像(ベクトルの長さを増やさない写像。角作用素)のグラフとして書けます。最大非負部分空間は、それ以上大きくできない非負部分空間のことで、角作用素の定義域が 全体になるものです。ここから が基本分解によらないことが出ます。 のとき Pontryagin 空間 と呼び、非正部分空間の次元は 以下です。
- 閉部分空間 が を満たすことと、 自身が Krein 空間であることは同値です。退化した非負部分空間は、等方部分 (ノルムが のベクトルの集まり)で割って完備化すると Hilbert 空間になります。Gupta–Bleuler 形式(電磁場を相対論的に扱う量子化の方法)の物理的状態空間は、この構成そのものです。
- 1 粒子空間の基本対称 を第二量子化した は Fock 空間(粒子の個数が決まらない状態を扱う空間)の基本対称になります。スカラー光子を含む不定計量の Fock 空間は、正の部分と負の部分がともに無限次元の Krein 空間で、Pontryagin 空間にはなりません。
電磁場の量子化とゲージ固定の共変量子化では、時間成分の光子(スカラー光子)が負のノルムをもちました(命題 4.3[電磁場の量子化とゲージ固定])。そこでは 注意 4.4[電磁場の量子化とゲージ固定] で、正定値な Fock 空間の内積に を挟んで不定計量を作り、この空間を Krein 空間と呼ぶ、と述べるにとどめました。物理の議論としてはそれで足ります。しかし、数学的に詰めようとすると、次の疑問がすぐに出てきます。
第一に、位相の問題です。不定計量 はノルムを定めないので、「状態の列が収束する」「作用素が有界である」「部分空間が閉じている」といった言葉の意味は、補助的に選んだ正定値内積 に頼っています。ところが の選び方は一意ではありません。たとえば Lorentz ブースト(等速で動く観測者への座標変換)は不定計量を保ちますが、 は保ちません。選び方を変えると位相が変わるのであれば、「物理的状態空間の完備化」のような操作は観測者に依存してしまいます。本章の 定理 3.7 は、Krein 空間ではこの心配が不要であることを保証します。
第二に、部分空間の問題です。Gupta–Bleuler 条件で選んだ物理的状態空間 は、ノルムが半正定値で、ノルム の状態 を含んでいました(定理 5.4[電磁場の量子化とゲージ固定])。これは「非負だが退化した部分空間」という、Hilbert 空間には現れない対象です。どういう部分空間なら正定値化できるのか、商をとった結果は完備なのか、を一般的に答えておく必要があります。
第三に、次章以降で扱う作用素の問題です。不定計量の下でのハミルトニアンは Hilbert 空間の意味で自己共役ではなく、実でない固有値をもつことさえあります。そのスペクトル理論は、空間の幾何(どの部分空間が正・負・中立か)と切り離せません。
本章は Bognár と Azizov–Iokhvidov の教科書の最初の数章に相当する内容を、証明つきで整理します。記法は次のとおりです。不定内積 は第 1 変数について共役線形、第 2 変数について線形とし、Hilbert 空間の内積 と同じ慣習に従います。
執筆: Claude Code(Opus 5.5)、Claude Code(Sonnet 5.5)・監査 3 回(Claude Code)・最終 2026-10-12
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