# no-pair（Brown–Ravenhall）作用素：臨界結合 2/(π/2+2/π) までの下界、Furry 描像、Mittleman の射影

> 多電子 Dirac 作用素の連続スペクトルへの溶解を正エネルギー射影で防ぐ no-pair 作用素を定義し、部分波ごとの Kato 不等式から Brown–Ravenhall 作用素が ν≤2/(π/2+2/π) で下に有界なことを証明する。Furry 描像と Mittleman の max-min 原理も扱う。
> https://rikai.mugen-giken.com/mathematics/dirac-operators/brown-ravenhall

## 0. この記事の要点

電子が 2 個以上ある原子を相対論の方程式でそのまま書くと、エネルギーがいくらでも低い状態が現れ、安定な状態を考えること自体が難しくなります。この記事は、電子が入れる状態を「エネルギーが正の側」に限る工夫を数学として整え、核の電荷がある大きさまでなら、そのように限ったエネルギーが下から抑えられることを示します。読み終えると、その限界の値がどんな計算から出てくるかが追えるようになります。

- 電子が 2 個以上あると、相互作用のない $D_\nu\otimes1+1\otimes D_\nu$ でもスペクトルは $\mathbb{R}$ 全体になり、束縛状態は連続スペクトルに埋もれます（Brown–Ravenhall の病）。物理的には 1 個の電子が負エネルギーに落ち、もう 1 個が無限に高いエネルギーに上がる過程です。
- 処方は、1 電子の射影 $P$（電子が入れる状態の空間への直交射影）で $N$ 電子空間を $\bigwedge^N P\mathcal{H}$ に制限した **no-pair 作用素** $P^{\otimes N}H P^{\otimes N}$ です。$P$ を自由な正エネルギー射影 $\Lambda_+$ に取ったものが **Brown–Ravenhall 作用素**、外場を含む $D_\nu$ の正スペクトル射影に取ったものが **Furry 描像**です。
- 正エネルギーのスピノルは $\hat\psi(\boldsymbol p)=\bigl(A\xi,\ B\,\boldsymbol\sigma\cdot\hat{\boldsymbol p}\,\xi\bigr)$ の形で、上下の成分の軌道角運動量が $j\mp\frac12$ とずれます。部分波ごとの [Kato 不等式](/mathematics/dirac-operators/dirac-coulomb) $|\boldsymbol x|^{-1}\le c_l|\boldsymbol p|$ の定数は $c_0=\pi/2$、$c_1=2/\pi$ と $l$ について減少するので、二つの平均で $1/\nu_c=\frac12(\pi/2+2/\pi)$ が出ます。
- **定理**：$0\le\nu\le\nu_c=2/(\pi/2+2/\pi)\approx0.906$ なら、Brown–Ravenhall 作用素 $\Lambda_+(D_0-\nu/|\boldsymbol x|)\Lambda_+$ は $-\frac{\pi}4\nu m$ 以上で下に有界です。$N$ 電子の no-pair 作用素も、電子間反発が正なので $-N\frac\pi4\nu m$ 以上です。
- **Mittleman の射影**：$D$ の正スペクトル射影 $\Lambda$ に近い射影 $P$（$\|P-\Lambda\|<1$）の中で、$P\mathcal{H}$ 上のエネルギーの下限 $E(P)$ を最大にするのは $P=\Lambda$ で、最大値は $D$ の最低正エネルギーです。射影の選び方を変分原理で正当化します。

<Aside type="tip" title="この記事で使う事前知識">

- **直交射影**: 空間のベクトルを、ある部分空間の上へ垂直に落とす作用素。→ [直交射影](/mathematics/functional-analysis/bounded-operators#def-orthogonal-projection)
- **Weyl 列**: 単位ベクトルの列で、$(K-\lambda)\Psi_n\to0$ となるもの。$\lambda$ がスペクトルに入ることの証拠に使います。→ [Weyl 列](/mathematics/functional-analysis/spectrum-classification#def-weyl-sequence)
- **スピン角度関数**: 球面上の 2 成分の関数で、軌道角運動量とスピンを合わせた角運動量が決まった状態を表すもの。→ [スピン角度関数](/physics/quantum-mechanics-2/relativistic-quantum-mechanics#def-spin-angular)
- **Kato 不等式**: Coulomb 項 $1/|\boldsymbol x|$ を運動エネルギー $|\boldsymbol p|$ の定数倍で抑える不等式。→ [外場つき Dirac 作用素と Dirac–Coulomb](/mathematics/dirac-operators/dirac-coulomb)
- **KLMN の定理**: 下に有界な形式に、相対的な大きさが 1 未満の形式を足しても、自己共役作用素が一意に定まるという判定法。→ [自己共役性の判定](/mathematics/functional-analysis/self-adjointness-criteria)
- **Funk–Hecke の定理**: 球面上の、内積だけに依存する積分作用素が、球面調和関数をその定数倍に写すという定理。→ [球面調和関数と Legendre 関数](/mathematics/special-functions/spherical-harmonics)

</Aside>

## 1. 動機

重い原子の電子状態の計算では、相対論の効果が欠かせません。素朴には、各電子に Dirac–Coulomb 作用素 $D_\nu$ を使い、電子間に Coulomb 反発を加えた
$$
H_N=\sum_{i=1}^ND_{\nu,i}+\sum_{i<j}\frac1{|\boldsymbol x_i-\boldsymbol x_j|}
$$
を $\bigwedge^NL^2(\mathbb{R}^3;\mathbb{C}^4)$ 上で考えたくなります。しかし $D_\nu$ は上にも下にも有界でなく、2 電子では「一方が $-\infty$ に、他方が $+\infty$ に」行く状態の組み合わせで、全エネルギーが任意の値を取れます。Brown と Ravenhall（1951）はこれを、束縛状態が連続スペクトルと混ざって共鳴に溶けてしまう現象として指摘しました。

物理の処方は、場の量子論での「負エネルギー状態は Dirac の海で埋まっていて電子はそこに落ちない」という描像を、射影で真似ることです。電子の 1 粒子空間を正エネルギー部分空間に制限すれば、運動エネルギーは下に有界になります。ただし、どの射影を使うかで作用素が変わり、Coulomb 場が強いと射影したあとでも下に有界とは限りません。本章では、自由な射影 $\Lambda_+$（Brown–Ravenhall）での下界を臨界結合まで証明し、外場を含む射影（Furry）と、射影の選び方の変分原理（Mittleman）を述べます。前章の Kato 不等式 <Ref to="mathematics/dirac-operators/dirac-coulomb#thm-kato-inequality" /> を、部分波に分けて精密化するのが技術的な中心です。

（この章の続きは購入者向けです。）
